鉄道博物館に東武8000系展示へ

栄えある栄誉は昭和35年頃の過渡期塗装リバイバルカラーの8577Fに

東武8000系が鉄道博物館に展示というビッグニュースが年度末に流れました!
所が…原色ではなく、なんと昭和30年代過渡期塗装のリバイバルカラーという事で8000系の塗装では無い車両が選ばれています。
正直うーん…と思う所もありますが、いい機会なので昭和30年代の塗装の変遷についても併せて解説していきたいと思います。
この内容も一読の上、鉄道博物館に8577編成を見に行くと違った見方が出来るかも…?な内容を意識して作成してみました。

東武電車の車体塗装の変遷
〜昭和28年の78型(当初7330型)の誕生から昭和33年の7860型(試験塗装車)の登場まで〜

▲東武電車も一部の優等列車専用車両を除き一般車両は国電の様な暗い茶色塗装一色でした。
そして更には戦前からの車両と戦後の復旧車両、国電譲渡車両や修復車両が混ざりご覧の様に多種多様な形態となっていました。
ちなみにこの画像の先頭車両ですがいかにも戦前の東武電車じゃないスタイルですが、元国鉄の車両です(クハ65054)。
屋根上に設けられている水切りがとても特徴的で東武ではこの車両のみなのでクハ455と判別出来てしまいます。
クハ455は後の3050系のトップナンバー3151編成のクハ3451として更新されていきます。
2扉と3扉が混ざっていたり車体の構造が違ったりパンタ位置が向い合せになっていたりもうなんでもありだったのが伺えます。
東武8000系が就役した頃の東武はまさにこんな感じだったという訳です。
そして…これが撮影されたのは昭和39年1月頃の竹ノ塚付近です。地方私鉄の沿線かと思うぐらい、何にも無いですね…

 東武電車と言えば東武博物館に展示されているデハ1型5号車(のちのモハ1101号車/大正13年製)に代表される様に旧型国電同様にブドウ色というか茶色一色の車体塗装となっていました。※国鉄自体は昭和24年6月からであり、それ以前は省電と呼ぶのが適切かもですね。まぁ国というのは一緒ですが…)
 例外は昭和25年に東上線でフライング東上号に使用された54型の専用車で深紅に黄色帯を巻いた塗装が派手な塗装の始まりだったと思います。これってオレンジに黄色帯と似てるんですよね。フライングカー編成は昭和26年頃にはすぐに8198Fでリバイバルをした様な青色に黄色帯に変更されています。赤から青への変更って極端ですよね…。


▲8198Fで2015年に再現された当時のフライングカー編成の塗装です。(昭和26年頃の塗装)
その前(昭和25年頃)は深紅に黄色帯だったのですが1年で正反対の青に変更されました。
ただ一つ言えるのは周囲が茶色一色の中で青色はとても目立ったなという事ですね!

 こんな感じに優等車両には気を使った塗装がされていましたが、基本は茶色一色の塗装の通勤車を導入し続けていました。
 SL等も国電と同じく黒に塗装されていましたが、省電・国鉄も黒煙や粉じんの汚れを気にして汚れにくい色を採用していたという事で東武にどんな考えがあったかは知りませんが省電・国電が同じだからこれって感じだったかもしれませんね。

 昭和20年末頃からは戦後の復旧が進み、特に東武東上線の混雑が壊滅的になってくる為に新型20m4扉車が製造され始めます。この車両は、国鉄から譲渡された20m4扉車63型(国鉄63系→東武6300系。桜木町事故後に国鉄が63系を73系に改良したのに合わせて番号を7300系へ変更)を改良した7800系という車両です。
 この7800系というのは近年では5000系・5050系・5070系の更新車で走っていた車両達です。5050系は関東圏で最後まで一般運用された釣り掛け駆動の電車ですね。
 7800系の中にも種類が複数あり、初期車の7800型(昭和28年誕生当時は7300型のグループとして7330型でしたがすぐに7800型に改番されています)、蛍光灯や弱め界磁制御が採用され、長距離輸送に配慮しトイレが設置されたタイプの7850型(後に7890型に改番)、7850型からトイレを除いた通勤輸送タイプの7820型(これが78型で最も数が多く、この7820型が7850番台まで来たので7850型が7890型に改番されました)。この7820型と同時期に製造したが7820型がナニワ工機製となった一方で日立製作所で製造された事から7820型との車体仕様の違い(屋根が金属製)から、当時の7850型の番号を避けて付与された7860型、そして78型最終増備グループで各所改良された7870型となります。(※7870型は7889の番号まで行ったので7870Fと最後の番号0を使い切り、7890型と番号が再び重なる一歩手前まで行きましたがそこで増備が終了されました。

 そしてここからが本題ですが、この日立製作所製の7860型8編成のうち4編成にて東武通勤車の今後の新塗装を決める試験塗装が実施される事となりました。
 昭和33年(1958年)11月5日に東武本社隣接の業平橋駅貨物線に試験塗装車を並べて東武鉄道社員とオブザーバー?として鉄道友の会の一部会員を招いての塗装投票会が開催されました。

▲時間もないので適当なイメージでスイマセン!!1958年に東武本社に隣接する業平橋駅貨物線にて7860型4本を配置し、
試験塗装4色と従来の5項目で投票を実施しました。結果はご覧の通り、8577Fで再現されているオレンジ塗装に黄色帯のものが最多得票となりました。
ちなみに鉄道友の会票を見ると、緑色の評価も高いのが意外です。そして社員にはベージュにオレンジ帯の評価も地味に高く逆に緑は不評でした。


▲そして2017年頃から亀戸・大師線で走る2両固定編成にこの時代の試験塗装再現車が登場しました。
草だんご、緑亀の愛称で親しまれた8568Fは廃車され、8577Fも営業運転としては終了し鉄道博物館展示後の処遇が気になります。
試験塗装は4色でしたが、ベージュにオレンジ帯は再現される事はありませんでしたね…
余談ですが、8568Fで再現された塗装は帯の色は当時のクリームではなく、白となっています。

〜73型の試験塗装を経て昭和35年に塗装が決定…と思ったら1年で塗装変更!?〜

 こうして大掛かりな投票を昭和33年11月にやった訳ですが、投票結果を受けても最終案決定までには1年以上が掛かっています。(昭和35年10月頃)
 というのはあれだけ大規模な投票を行っても塗装を決めきれなかった為の様で、昭和34年後半から始まった73型の車体更新工事の開始によって、国鉄63系のボロボロの車体を7820型同様の車体にしましたがこの時に新たな試験塗装車を出しました。

▲という事で昭和34年に実施された7323Fと7325Fの73型更新工事第一陣の2編成で2パターンの試験塗装を行いました。
今回のを見ると昭和36年2000系のツートンカラーに似た配色となっていますが色自体はオレンジとイエローとなっています。
というかここまで黄色推しを見ると、黄色塗装が諦めきれなかったのでは…と感じてしまいます。

 という感じで73型や同時期に増備した7820型において7860型とは違う色を出した訳ですが、昭和35年度の73型更新をするときには色が確定され結局昭和33年7860型試験塗装車で最も得票した塗装に決定しました。
 こうして昭和35年10月から78型を優先的に新塗装になり、そのほか73型未更新車などもこの塗装が採用される事となりました。
 一方で東上線側では32型デッカー車達が昭和36年頃にオレンジ一色(実際はオレンジと微妙に違うマルーン色?<※>)に塗装されたりと本線とは違った塗装変更がされ、方針が決まっている様で対応が違っていた事もありました。<※>昭和49年頃に花上名誉館長が振り返った時はオレンジ一色と表現されていました。一方で有名なヒギンズさんが撮影したカラー記録だと確かにオレンジとはちょっと違う一色で塗装されており、紹介文でもマルーン一色と表現しています。ただインターナショナルオレンジに酷似にも見えるのでオレンジでも良い様な気はしています。

 この様に通勤車の車体塗装について決まった様で微妙に統一されていない所もあり収集がつかない状態な所もありました。
 また社内でもこの塗装に決めきれなかったのか東武の社運を掛けた大プロジェクトの地下鉄直通用の新型車両で更なる新塗装が採用されたのです。

 昭和35年10月にオレンジ+黄色帯に決めてから1年も経たない内の昭和36年7月に落成した37年5月から始まる地下鉄日比谷線との直通運転用の新型車両2000系が2編成誕生しましたが、この編成では8000系8111Fでもお馴染みのロイヤルベージュとインターナショナルオレンジのツートンカラーが採用されました。
 2000系製造時から完成した車体にオレンジ+黄色帯で確認したらコレじゃない感が出たんですかね。。。


▲社運を賭けたと言える都心直通2000系新型車両で改めて今後の東武電車の新塗装を出してきました。
最初からこれを見据えて塗装決めたら良かったのに…と思ってしまう程の二転三転具合です。
と言いつつ実は78型の増備をここまでやる前に2000系の新造を計画していたのですが、
東上線の混雑が余りに悪化していた為に78型の増備を続けなければいけなかった事もあったようです。
そう考えるとこの時期に様々な塗装が出てきた事も事情としてはつながるのかも…と感じなくもないです。


▲こうして昭和33年から昭和36年の間に車体の塗装色については様々な動きがありました。
昭和38年になるといよいよ新型8000系の完成も間近だった為に流石に車体塗装色を決めてないといけず、
ついに昭和38年6月に車体塗装について方針を決定し、特急DRC用・急行RC用・一般車用の3種類に統一されました。
これにより7月1日以降入場する一般車全車は2000系で採用されたツートンカラーに塗装される事が確定しました。
結局オレンジにイエロー帯の塗装は次の検査となる昭和39年末までには消滅する事となります。
こういった経緯で、このオレンジに黄色帯の塗装は過渡期の東武電車カラーと言えるのです。


▲塗装変更が始まり、旧型車も鮮やかな塗装に変身していきます。
こうして見ると確かにツートンカラーって良い塗装だなぁと感じますね。暗い色だなと思ってたんですが…
この茶色がこれ以降全てツートンカラーに塗装される事となります。(昭和39年からは順次3500系への車体更新も控えます)

しかし昭和39年の竹ノ塚付近は本当に何もないですね…これ姫宮〜東武動物公園(当時杉戸)じゃないですよ(汗)

 そういえば試験塗装では散々イエローが出てきたのですが、結局最終的に黄色は除外されました。
 とは言っても2000系の塗装を決める際には当然の如くなのかイエローを組み合わせた塗装案も出されていたそうです。インターナショナルオレンジとロイヤルベージュ以外にミディアムイエローという色も塗装案に組み込まれ、これら3色を織り交ぜて7種類の塗装案が考案されました。なお3色全てを同時に使った案は出ておらず、ミディアムイエローはインターナショナルオレンジとの組み合わせで名前が出ており、そう考えると昭和33年の試験塗装の考えは最後まで残っていた…とは言えそうです。


▲オレンジ+イエロー塗装の流れで誕生したこのツートンカラーの記録も今の内ですね。


▲8577Fも営業運転からは引退となりましたが、最後に素晴らしい花道が用意されました。
鉄道博物館一度も行った事ありませんが、当然行くしかないでしょう!!!

鉄道博物館展示状況
(ここから先は2025年5月1日に遅れながら更新)
 既に多くの方々に撮影されていますので今更ながらですが…
 現地で撮影したものを公開させて頂きます。(全て2025年04月26日撮影)


▲8577F特別展示についての案内看板です。甲種輸送時の写真もプリントされています。


▲鉄道博物館に東武8000系がいます。展示はとても嬉しいですが、やはり東武ファンとしては原色じゃないのが残念!
まぁ展示実現もこの塗装が選ばれたのもどちらもタイミング、巡り合わせですので仕方ないんですけど。


▲LEDはワンマン・葛生表示ですが、ワンマンと正面の行先看板を見ると先日の8575Fのイベントとか思い出しました。
もっとワンマン亀戸やワンマン曳舟出してくれても良いんですけど(笑)


▲LEDは側面は点灯せずにクハ8677、モハ8577の前面部分のみとなっています。
電源は床下にある100V蓄電池みたいです。パンタ故障時や停電時にこの電池を使って100V電源系統を動かせます。
パンタから給電できないのでバッテリーのストックをどこかでしているのか?


▲8577Fの紹介パネルです。まさかこんな展示が開催されようとは誰が予想出来たか。


▲コンセントから電源を取っているのはコンプレッサー用みたいです。
100V動作のコンプレッサーで圧縮空気を空気溜に送り込んで非常コック操作の扉開閉などに使っているのでしょう。
電動空気圧縮機は流石に動かせない(動かす必要まで無い)のでこれが無難ですかね。


▲新幹線E5系やE1系と同じフレームの中に8577Fがいるのは凄い違和感ですね。


▲隣接する大宮総合車両センター試運転線の更に隣には川越線(複線)が並んでおり、
この様にりんかい線70-000系との並びも撮れます。こちらも記録はお早めにですね。


▲新棟屋上から見下ろします。こちらからだとLEDに何が写っているかよく見えます。


▲前面の行先表示板ですがお昼以降には外れるみたいです。


▲時間帯が悪く夕日が邪魔しちゃってますがE1系との並びを。E1系はE4系と違い乗った記憶も全然ないんですよね。


<参考文献>
鉄道ファン昭和49年9月号 クリーム色になった東武電車(交友社/記事・花上嘉成氏)
ヒギンズさんが撮った東武鉄道 (アルファベータブックス)
交通東武各号(東武鉄道株式会社)
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