東武8000系の歴史

5-2.セイジクリームの時代3(昭和57年〜昭和59年)


〜昭和57(1982)年7月27日 本線ダイヤ改正〜
<朝ラッシュ時の輸送力増強・春日部区容量限界に伴い春日部駅に留置線新設>


春日部電留線
↑春日部検修区の収容力が限界に来てしまったので春日部に留置線が新設されたのが昭和57年7月改正からでした。
現在では野田線(アーバンパークライン)用の留置線として使われています。


 この年も引き続き利用者が増え続ける準急の長編成化をメインとしての輸送改善が図られました。
 この頃にはラッシュ時最混雑時間帯の1時間38本運転のうち実に30本が8両編成にて運転されていて、一部残っていた6両編成電車の8両編成への増強と更なる準急増発を実施しています。

1:朝ラッシュ時主要準急列車のうち、新栃木始発2本を幸手から増結し8両編成で運転する。
2:朝ラッシュ時運転の幸手始発普通浅草行きを準急浅草行きに変更。
3:普通が1本準急化したので竹ノ塚始発の普通曳舟行きを1本新設。
→以上によりラッシュ時最混雑時間帯運転本数が1時間39本に増加。
4:伊勢崎線通勤快速列車を準急に変更し東武動物公園以南の乗車機会を均等化。(通勤快速は日光線系統のみに)
5:それまで北春日部から2両増結し8両編成で運転していた幸手始発普通を全て幸手から8両運転にする。
6:夜ラッシュ時20時、21時台は準急が1時間辺り6本のみとなり乗客が集中する上に一部が6000系により運転されていて混雑が激しいのを救済する為に19時〜21時台の普通1本ずつをそれぞれ準急に変更。
→特に20時台と21時台は6000系準急の混雑緩和に貢献した。(というか非冷房車にすし詰め輸送とか止めてあげて…)
7:日比谷線直通列車の東武動物公園行きを増発。
→普通の準急化による通過駅の乗車機会調整の為
8:幸手地区の利便性向上の為に、一部準急を幸手まで延長運転する事に伴いこの改正から初の準急幸手行きが誕生。
→それまで普通幸手行きは当たり前の様に運転されていましたが準急幸手行きは存在せず夜ラッシュ時も何故か東武動物公園止まりでしたが、一部幸手まで延長される事となりました。

 この改正を実施するに当たっては、
1:春日部に延長182m分の留置線2線を新設。(写真だと3線ありますがもう1線増設は次の改正になります)
2:春日部区に8000系18両を増備。(81113F,81114F,8576F,8577F,8578F)

 という訳で本線の朝ラッシュ時輸送力は更に強化されました。
 いよいよ春日部検修区の留置能力が限界に近付いてきたという事で今回増発分の留置場所として春日部駅近くに新設される事となりました。いよいよ春日部区以外でも新しい車両基地が必要になると検討され始める時代に来ていた…のがこの頃となります。
 一方幸手に対しての輸送力強化も行われたり、細かい所では伊勢崎線に1往復残っていた伊勢崎⇔浅草の通勤快速が準急に格下げされる事で廃止される事となりました。


〜昭和58(1983)年 東武8000系の増備終了へ〜


 昭和57年度が東武8000系最後の増備の年となりましたが、年が明けて昭和58年3月に最終ロットの車両達が完成してきました。
 オイルショックの影響も落ち着いた昭和51年から突然年間36両とハイペースで進められた冷房化改造も昭和55年度からは年間48両と更なるペースアップにより一気に近代化が進む事となりました。増備完了時点で非冷房の8000系もわずか30両にまで減る事となっています。
 さて、編成表を確認する前に直前の転属状況も振り返ります。

編成番号転属時期転属先転属理由
8121FS56(1981)/07/03春日部→森林公園73型廃車分?
8192FS56(1981)/08/29春日部→森林公園S56年11月改正での8000系6両増備分?
8502FS57(1982)/05/20春日部→森林公園8503F冷房改造完了と共に入れ替え。
8503FS57(1982)/05/20森林公園→春日部冷房改造完了と同時に転属。8502Fと入れ替え。

 といった感じでBLMG車の数を合わせようという転属も行われたみたいです。
 本線ダイヤ改正で入った18両以外の残り30両ですが、81118F,81119F,81120Fの4両固定3編成と8580Fの2両固定ラストナンバー1編成の14両が1月28日に森林公園区に配置され、3月28日に最終落成分として81115Fの8両固定1本(森林公園)と81117Fの6両固定1本(春日部)と8579Fの2両固定1本(春日部)がの計16両がそれぞれ配属となり、こうして8000系全712両が出そろいました。

8000系電車配置表(S58/1983年4月現在)
所属箇所8両固定編成6両固定編成合計
東武本線
春日部検修区
(北春日部)
配置なし (冷房車)
8101F,8102F,8103F,8104F,8157F
8158F,8159F,8160F,8165F,8166F
8167F,8168F,8169F,8170F,8171F
8172F,81110F,81113F,81114F,81117F
6両固定20編成120両
4両固定20編成80両
2両固定43編成86両
合計286両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8116F,8117F,8127F,8130F,8131F
8132F,8133F,8137F,8139F,8140F
8141F,8144F,8145F,8146F,8147F
8153F,8191F,81107F,81108F,81109F
(冷房車)
8503F,8507F,8508F,8509F,8515F
8516F,8517F,8518F,8519F,8520F
8521F,8522F,8523F,8524F,8528F
8529F,8538F,8540F,8542F,8543F
8544F,8545F,8550F,8553F,8556F
8557F,8558F,8560F,8569F,8570F
8571F,8572F,8573F,8575F,8576F
8577F,8578F,8579F


(非冷房車)
8527F,8539F,8547F,8555F
東上本線
森林公園検修区
(森林公園)
8両固定編成6両固定編成合計
(冷房車)
8173F,8175F,8177F,8179F,8181F
8183F,8185F,8187F,8189F,8193F
8195F,8197F,8199F,81101F,81103F
81105F,81115F
(冷房車)
8105F,8106F,8107F,8108F,8109F
8110F,8111F,8112F,8113F,8114F
8156F,8161F,8162F,8163F,8164F
8192F
8両固定17編成136両
6両固定16編成96両
4両固定23編成92両
2両固定32編成62両
合計388両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8119F,8120F,8121F,8122F,8123F
8124F,8134F,8135F,8136F,8142F
8143F,8148F,8149F,8150F,8151F
8152F,8154F,8155F,81111F,81112F
81118F,81119F,81120F
(冷房車)
8501F,8502F,8504F,8505F,8506F
8510F,8511F,8513F,8525F,8530F
8531F,8533F,8535F,8541F,8548F
8549F,8552F,8561F,8563F,8574F
8580F

(非冷房車)
8512F,8514F,8526F,8532F,8534F
8536F,8537F,8551F,8554F,8559F
8562F
野田線
七光台検修区
(七光台)
4両固定編成2両固定編成合計
(冷房車)
8115F,8118F,8125F,8126F,8128F
8129F,8138F
(冷房車)
8546F,8564F,8565F,8566F,8567F
8568F
4両固定7編成28両
2両固定6編成12両
合計40両
8両固定17編成 6両固定36編成 4両固定50編成 2両固定80編成 全183編成712両

 私が東武8000系を追いかけ始めた頃に全183編成712両という数字は最初に覚えた数字だったなと思います。今でも頭に残っているのですがこうして配置を改めてみるとまた印象が変わってきますね。
 非冷房車は2両固定のみで残り15編成30両にまで減っていますが、この年の4月1日には8554Fが冷房化工事を終えているので非冷房車も残りわずかだという時代となっています。どちらにしても1983年度で8000系は全編成が冷房化される事となります。

〜昭和58(1983)年7月21日 本線・野田線ダイヤ改正実施〜
<日光線:特急の増発とビジネス特急化加速・快速急行の定期運用消滅 + 荷電廃止>
<野田線:新柏駅開業、馬込沢〜船橋複線化、5050系集約と8000系離脱へ…>

 昨年に続きこの年も7月にダイヤ改正となりました。当時は夏場にやる傾向にあるんですかね?
 今回改正は本線は一般車両側は軽微な変更に留まります。一方で日光線特急では年々利用者が減り続ける状況を見て前回改正で通勤需要取り込みを開始しましたが、今回更にそちら側に舵を取る改正となり朝の上り増発(特急初電の1時間繰り上げ)や夜ラッシュ時時間帯に有効な特急の設定に加え、従来特急の朝・夜の新栃木・新鹿沼停車を大幅に増やしています。
 一方で乗車券のみで乗れる快速と同じ非冷房の6000系を使う上に速達性の優位性も無いのに追加料金400円が必要なので当然の如く乗車率の芳しくない快速急行はこの改正で定期運用が廃止される事となりました。

<本線側の変更点>
1.特急の増発(上り1運用、下り2運用の合計3運用)と運用番号の変更
→上りの特急始発を従来より1時間も早めたきぬ100号を新設。(新栃木、新鹿沼停車)
→快速急行の定期運用だった浅草10:00発の場所に下りけごん13号を新設。
→夜ラッシュ時浅草18:05発の下りきぬ135号を新設(新栃木・新鹿沼停車)
※それまで浅草17:00発の次は19:40発まで日光線特急の設定が無かったのですが、通勤需要取り込みとして18:05発の下り特急が新設されました。便利ですね。

2.特急の新栃木・新鹿沼停車を拡大。(上下合計8運用)
→それまで新鹿沼に停車していた列車は今回改正より全て新栃木にも停車となりました。また夜時間帯は上下全てが新栃木・新鹿沼停車に変更されています。

3.快速急行の定期運用廃止。
→いわゆる繁忙期A期間中のみ設定される事となりました。それ以外の期間は利用状況を見ての設定。(だいやは上下4運用、おじかは下りのみ1運用)

4.快速の一部増結実施。
→快速急行削減に伴い6000系が余ったので大好評な快速の増結に使われています。

5.一般車両の時刻変更。
→特急の増発に伴い準急の時間不均等になる為に(浅草18:05発は準急東武宇都宮行きでした)、準急の時間を前後にズラすついでに1本増発を実施したり地下鉄直通運用を一部北春日部止まりを東武動物公園まで延長する運用変更が行われています。

6.荷物電車運用廃止
→それまで新聞と社用品輸送で日光・伊勢崎線と業平橋を1往復ずつ結ぶ荷物電車運用が残されていましたが、3月で新聞輸送を終えて社用品輸送についても東武グループの自動車輸送に切り替える事となりとうとう廃止される事となりました。当時残っていた館林検修区所属のモニ1470形の3両(1471,1472,1473)は運用を離脱する事となりました。
 その後旧モハ1101(現デハ1形5号・保存車)が東武動物公園で復元の上展示される為に入れ替え車がいなくなった直後に上毛電鉄デハ160形161号を車籍無しの入れ替え専用車として導入していました。
 しかし本線に一切出れない入れ替え専用車は扱いが面倒だったのかどうかですが、モニ1473がその後釜に納まる事となりました。
 ※ところがしばらくはこの旧デハ161号は使用され続け、モニ1473は何と通勤車塗装変更に伴う試験塗装も施されたりしたそうです。この頃には色を変えたいって考えがあったんですね…

荷物電車廃止
↑先に東上線で消滅していた荷物電車ですがとうとう本線でも廃止となりました。
画像は在りし日のモニ1471号です。本当によくぞ近年までその姿を見せてくれたものです…

 次に野田線となりますが、こちらは約2年半ぶりの改正という事で新駅の開業や船橋口念願の複線化完成に伴う増発という事で車両も冷房車両が一気に16両も増備され、それまでの40両と併せて56両となりました。
 これによって各主要口での輸送力増強が図られ混雑緩和も実施出来良い事づくめでした。しかし…

<野田線側の変更点>
1.柏〜増尾に新柏駅が開業。また新柏〜増尾を複線化とする。
→新駅開業による所要時間増により単線では現行ダイヤの維持が出来なくなる為に複線化も同時に行われました。

2.船橋口の船橋〜馬込沢の複線化工事が完了し、馬込沢折り返し列車を設定し小運転列車を増発。
→野田線主要口で唯一複線化が遅れ増発が困難な為に長年長編成化による輸送改善のみを行ってきましたが今回ようやく最混雑時に2運用増発が可能になりました。この増発する2運用は馬込沢始発の小運転列車となっています。

3.大宮口、柏口(豊四季方)でも輸送力増強を実施。
→大宮口では残った4両編成運用を一部6両編成に増強し、柏口では1運用増発を行い混雑緩和に繋げました。

4.最新(?)の5050系更新冷房通勤車56両を春日部区から七光台区に集約し同区所属の8000系40両を置き換え。
→3000系のランカーブに合わせてノンビリ運用という楽をし続けていた8000系冷房車40両でしたが、今回5050系更新冷房車が56両になったのを機にこれを七光台区へ集約し8000系40両を春日部区に転属させるという配置転換が実施される事となりました。これは性能面や総合的な運用面を考えても合理的な考えというのは明らかと言えます。


 という訳で野田線では新柏駅開業や複線区間拡大+冷房車両増備による輸送力増強、快適輸送増と明るい話題だらけでしたが一旦8000系がいなくなりまたもや釣り掛け電車王国となりました。
 将来8000系王国になる野田線ですが第2章はちょっと先になります。

 しかしよくよく考えると、3000系のランカーブに併せて余裕だったと言うとそもそも本線も東上線も73・78型(5000系・5050系)の性能に合わせたダイヤでしたので712両全車が出揃っても尚未だに8000系の性能をベースにしたダイヤはどこの路線にもありませんでした。誕生から20年経ってもやはり8000系に電制はいらなかったんだなと言える事ではないでしょうか…。
 たまに山越え運用があるのを考えると電制無いのは辛いですけどそもそも3070系が普通に使われていた時代ですからね。

 余談ですがこの年に更新を終えた5050系(5157F〜)から側面に電動幕が新設されました。
 9101Fで通勤車で初めて側面に電動幕が装備されましたが車端部配置となっていました。車体中央に配置されたのは5050系が初めてとなります。(ちなみに6000系は行先が複雑というのもあってか当初から側面に電動幕が設置されていました)
 最新(?)と煽り気味に書きつつも実際5050系が最新設備を有した通勤冷房車だったって事はある意味ウソじゃありません(汗)

 という訳で全部揃ったと思ったら大掛かりな配置替え発生…

編成番号転属時期転属先転属理由
8115FS58(1983)/07/05七光台→春日部野田線に5050系を集約する為、春日部区5050系と入れ替えが発生しました。
下に記載していますがこの内3編成8両が続けて森林公園区へ転属しています。
8118FS58(1983)/07/06七光台→春日部
8125FS58(1983)/07/09七光台→春日部
8126FS58(1983)/07/13七光台→春日部
8128FS58(1983)/07/16七光台→春日部
8129FS58(1983)/07/13七光台→春日部
8138FS58(1983)/06/16七光台→春日部
8546FS58(1983)/07/09七光台→春日部
8564FS58(1983)/07/05七光台→春日部
8565FS58(1983)/07/06七光台→春日部
8566FS58(1983)/07/13七光台→春日部
8567FS58(1983)/07/16七光台→春日部
8568FS58(1983)/07/19七光台→春日部
8115FS58(1983)/07/07春日部→森林公園この内森林公園区へ転属が3編成8両。
これは東上線8月22日のダイヤ改正に向けた増車分と考えるのが無難かと…
8564FS58(1983)/07/07春日部→森林公園
8565FS58(1983)/07/07春日部→森林公園

 ここら辺も動きが激しく73型の廃車や78型更新との差し引きが完全に理解出来てない状態ですが、S57年に73型8両廃車の所に22両投入なので差し引き+14両に今回の転属で+8両で+22両となっていますが東上線ダイヤ改正の増車分が+16両なので-6両は78型更新分なのかな…と思われます。すいません間違ってたらご指摘お願いします。

 久々に本線、東上線の主要2区の配置のみとなりましたが翌年には館林区と新栃木区の78型入れ替えの為に8000系の配置が発生していきます。そして非冷房車も残りあとわずかです。

〜昭和58(1983)年8月22日 東上線ダイヤ改正実施〜
<営団有楽町線成増延伸に伴う運用修正・朝上りラッシュ時平行ダイヤ解消へ>

 昭和47年3月1日に都市交通審議会答申第15号が提出されてから東上線の直通先は6号線から13号線へと変更されました。
 あれから10年以上の歳月が経ち、ついに営団有楽町線の池袋〜営団成増(現・地下鉄成増)が昭和58年6月24日に開業し成増〜池袋が2社によるものの実質複々線に近い状態となり大幅な輸送力増強と東上線池袋口の混雑緩和が図られる事が期待されました。

 東上線と直通するのは13号線といいつつ8号線である有楽町線の名前での延伸となった所が複雑となっていますがここら辺の経緯はなかなかに複雑で昔の計画だと8号線が成増まで延伸する予定となっていたのを答申第15号の時に新規に誕生した13号線が成増を経由して和光市から東上線に直通するという計画になっているので間違いではないんですよね。
 この時は8号線本来の直通先である練馬からの西武池袋線への直通工事において工事の難航により大幅な開業遅延が想定されていました。
 この為に先行で小竹向原から分岐する西武有楽町線ではすぐ次の駅が練馬駅となる予定だった所に暫定的な終着駅として新桜台駅を建設し、この年の10月1日から直通運転を開始してはいますが乗り入れというには余りにも微妙な存在と言えました。
 一方で東武側は和光市に営団の車庫が建設される事からも有楽町線車両を留置する重要な拠点となるのは明らかであり、13号線と言いつつも8号線の名前が前面に押し出されていたという感じと言えそうです。
 
 という訳で8号線やら13号線やらの話からスタートしましたが、とにもかくにも池袋〜成増は東武と営団の2本の路線で繋がる事となりました。駅は別々となってはいますがお互いがわずか200m程度の距離という位置関係となっており下赤塚がある営団赤塚駅までの2駅はほとんど複々線と言える位置関係となっています。
 それまで池袋口の朝ラッシュ時最短2分15秒ヘッドの限界運用を続けていた東上線にとっては大きな助け舟となる一方でそれ以外の時間帯は競合相手誕生となり旅客転移が起こってしまいます。という訳で、それらに合わせたダイヤ改正を実施する事となりました。
 しかし輸送力限界を迎えていたんですから基本的には有楽町線が延伸しない事には東武東上線のこれ以上の発展も有り得なかったはずです。ですので基本的にはプラスな延伸開業と言えますね。

<ダイヤ改正変更点>
1.成増〜池袋の速達性で優位に立つ為に朝ラッシュ時の準急・普通の平行ダイヤの廃止+上板橋始発普通を廃止し準急を増発
 昭和40年から平日朝ラッシュ時に本数の確保と混雑均等化の理由から準急の平行ダイヤ化が実施されてきましたが、今回有楽町線開業への対抗策として、準急をその他時間帯同様に上板橋か中板橋で普通を追い越すダイヤに変更される事となりました。
 これに伴い準急への旅客集中が想定されるのでラッシュ時に運転されていた上板橋始発普通を全て廃止しその空いた分に準急を増発しそれまでの約10分間隔で運転されていたのが約8分間隔(平均)となりました。
 また最混雑時間帯の池袋口の運転本数が1時間最大27本ダイヤから最大26本に緩和される事となりました。更に上板橋始発普通を無くし代わりに森林公園始発の準急を増やしたので成増・志木以北の運転本数が純増となり全体的に利便性向上と混雑緩和に貢献しています。

2.朝ラッシュ時上りの一部準急限定で実施されていたときわ台停車の廃止。
 昭和42年11月に初めて8両編成運転が実施された時に平行ダイヤであった事から同駅の混雑緩和の救済としてラッシュ時最混雑時間帯の一部準急の停車を実施してきました。これまで池袋着7:30〜8:19までの6本が停車していたのが今回改正で客扱いを終了し全ての準急が同駅通過となりました。

3.日中時間帯の普通削減
 池袋〜成増の速達列車である準急・急行は従来通りとなっていますが、日中時間帯は普通停車駅の旅客転移が想定される事から成増、志木折り返し列車を一部削減しダイヤの効率化が図られる事となりました。
 平日日中の昼間12時台の池袋発で比較してみますと、
改正前改正後
時間種別行先時間種別行先
12:00急行小川町12:00急行小川町
12:01普通成増12:01普通成増
12:05普通川越市12:04普通川越市
12:10準急川越市12:10準急川越市
12:11普通志木12:13普通志木
12:15普通成増削減
12:20急行森林公園12:20急行森林公園
12:21普通成増12:21普通成増
12:25普通川越市12:24普通川越市
12:30準急川越市12:30準急川越市
12:31普通志木12:33普通志木
12:35普通志木削減
12:40急行小川町12:40急行小川町
12:43普通成増12:42普通成増
12:45普通川越市12:44普通川越市
12:50準急川越市12:50準急川越市
12:51普通志木12:53普通志木
12:55普通志木削減

 という感じで今まで準急・急行の間に2本の普通が設定されていたんですが準急の後は普通が1本ずつ削減され1時間3本減となっています。
 かなり不均等な間隔になってしまっていますが、これ以上削減すると一部間隔が開き過ぎてしまうのでここまでで留めたって印象です。

4.休日ダイヤにおける小川町分断と小川町〜寄居小運転の増発。
 昭和54年11月の改正で小川町までの10両運転対応に伴い平日は小川町での分断運転が本格化しました。
 これは小川町以北がホーム有効長の関係で6両編成までしか運転出来ない為ですが、この為以前から池袋から寄居までの6両編成による運転が行われていた場合、時間帯によっては輸送力不足が顕著となっていました。
 今回改正より休日においても全面的に小川町分断運転を取り入れる事となり全列車が小川町か森林公園止まりまでとなり寄居までの直通運転が無くなる事となりました。これにより休日ダイヤで小川町以南では1日上下90本もの列車が8両編成以上で運転される事となり大幅な輸送力増強となっています。
 なお上のダイヤを見てお分かりの様に平日は最長40分間隔で小川町で接続する寄居行きが走っていたのですが休日はまだ最長60分空く時間帯があったそうです。それが今回の改正で平日同様に40分間隔に改められています。

5.休日の秩父線直通行楽特急も小川町で分断と特急たまよど号が消滅
 今回改正より特急みつみね号とながとろ号も小川町で分断される事となりました。(秩父線内停車駅変更無し)
 池袋出発時は8両編成で運転し小川町から先は6両編成の別列車(5レみつみね号→33レみつみね号、7レながとろ号→35レながとろ号と微妙に末尾列番が合わないのも違和感…)に乗り換えを強制されるので利用者にとっては面倒だったと思います。
 この特急2本だけでも6両のままで良いんじゃないか…という感じです。将来的には結局直通運転が復活する事にはなるんですが、しばらくこの乗換運転が続く事になります。
 また小川町分断化に伴いたまよど号は小川町止まりのさだみね号ではなく更に手前の森林公園止まりとなるむさしの号に変更されました。しかも残念な事に終点での寄居方面の接続列車は無しという…。54年改正で誕生したたまよど号は4年もたずにまたもや名称消滅に。
 小川町分断に伴いサボの表示も変わったみたいです。

6.朝混雑時間帯の急行の増結実施
 池袋9:03着と池袋9:23着のいかにも混雑しそうな列車をそれぞれ8→10両編成、6→8両編成に増結しています。特に池袋9:23着急行がそれまで6両編成だったってのは想像するだけで恐ろしいですね。
 結構近年まで朝ラッシュ終了後の本数少ない時間帯に急行の8両編成とか見られて凄い混雑だったのを思い出します…。

7.夜21:00〜22:30までの準急増発。
 池袋21:00発急行森林公園行きで急行運転が終わり、その後は準急だけという今やTJライナーが24:00発まであるのを思うとマジかと疑いたくなる時代でした。
 この時間帯の準急が増発され、21:00台は10分間隔に22:00台は15分間隔になりました。ちなみにこのダイヤ改正時点での下り最終優等は23:00発の準急森林公園行きでした。後は全部普通のみです。

東上線S58年8月22日改正
↑消滅したかと思ったら準急で平日1本だけ池袋発寄居行き準急が残ってました。急行は完全に寄居直通運転が消滅しています。
そういえば特急むさしの号ですが下りは全て森林公園止まりですが、上りは2本が小川町始発となってるんですよね。

 という感じに営団有楽町線成増延伸に伴う東上線ダイヤ改正をまとめてみました。2008年に副都心線が開業する時、した後の変化も凄かったですがこの時代においても旅客転移への対応によりいろいろな動きが見られました。
 和光市付近の工事も最盛期を迎え、いよいよ東上線と営団有楽町線の相互直通も近づきつつありました。

〜8000系の後継車・オールステンレス10000系登場〜


ついに10000系登場ついに10000系登場
↑長きに渡って製造された8000系の後継となる地上用新通勤車10000系が昭和58年11月に誕生しました(左)
先に東上線用が誕生し、続いて年が明けてから本線用の車両が誕生しました(右)

 9000系が誕生してからちょうど約2年となる1983年11月14日竣工で東上線に10000系オールステンレスカーが登場しました。9000系と違い地上用の新型車両という事で8000系の後継に当たる存在となります。
 この10000系は8両固定編成2本16両が東上線に、6両固定2編成と2両固定1編成の14両が本線に配置される事となりましたが先に落成してきたのが8両固定編成2本となります。
 9000系の就役に続いての新型車両がまたも東上線に誕生という事で新たな時代の到来を予感させる出来事だったと感じます。

 上に近年撮った画像を載せてはいますが落成当初からの変化点を9000系同様に記載しますと、
1:クハ正面に11802の数字が見えますが当時は正面に記載はありませんでした。
2:側面番号表示は9000系同様に社名記号車号が記載された長方形のステンレス板に腐蝕(エッチング)加工にて文字を表現した銘板が腰板コルゲート板部の中央付近にビスにて固定されていました。(現在は撤去されています)
3:本線用は増解結が頻繁に行われるので密着連結器と電気連結器併用のタイプが後々付けられますが当初は東上線用と同じ密着自動連結器にジャンパー栓が設置されていました。

 列車無線アンテナ形状が違うとかは9000系と一緒ですがこれ以外だと特段大きな変化点無かったと思います。そもそも現在はリニューアル工事がされていて外観が滅茶苦茶変わっていますが就役当初との違いで言えばこんなものだったかと…。

 10000系も9000系同様に下板橋留置線で根津社長以下幹部による展示会が実施され(S58年11月18日)、その後12月22日より11801Fと11802Fが営業運転を開始しました。
 一方でこれに伴い森林公園区の73型は一気に18両が運用離脱となり池袋口の運用が消滅し越生線や小川町以北でのローカル運用担当となりました。また森林公園区に集中配置されていた5000系も池袋まで乗り入れていた運用が無くなったようです。

 次に本線側ですがこちらは昭和59(1984)年3月20日より営業運転を開始し、11601F,11602F,11201Fが就役しています。
 両方共営業一番列車ではそれぞれ浅草・池袋で乗務員への花束贈呈といったセレモニーが行われ次世代の新しい通勤電車の門出を祝いました。

〜昭和59年(1984年)73型全廃、78型更新工事も終盤へ/8000系館林区配置へ〜


 昭和59年に入り、前年で8000系の増備は終えて次世代10000系の新造が開始されました。
 これにより昭和58年度末には73型は館林車が先に全廃し森林公園区側も引退となり定期運用は消滅しました。(しかし臨時輸送により6両が春日部区へ転属し後述するダイヤ改正まで残る事となります。)
 78型も順調に更新工事が進み58年度までに半数を超える84両が5000系、5050系となりました。
 残った78型でも新栃木検修区所属車は更新工事が最後の方となり残り続ける事になりますが、館林検修区側では本線唯一の73型の廃車が進めばそれを春日部区や森林公園区の78型を送り込んでカバーし、78型の更新も館林区や春日部区の車両から先に開始され工事が進むと森林公園区から78型が転属したりといった等動きが活発となっていました。
 森林公園区の78型4両固定編成はすぐに5000系や5050系の初期編成(5151F〜5153F)に更新されましたが2両固定の更新については新栃木区78型同様に後回しにされていたりと動きがなかなかに複雑です。

 そんな折、8000系の転属も行われる事となりました。
編成番号転属時期転属先転属理由(予測)
8138FS59(1984)/03/30春日部→森林公園78型本線転属の為の車両数調整?
8165FS59(1984)/03/29春日部→森林公園
8118FS59(1984)/03/16春日部→館林館林区78型更新工事の為の車両調整?
8546FS59(1984)/03/16春日部→館林
8125FS59(1984)/03/28春日部→館林
8503FS59(1984)/03/28春日部→館林

 こうして館林区に8000系が配置される事になりましたが、この年の5月には一気に館林区78型を8000系に置き換える配置替えが行われています。

編成番号転属時期転属先転属理由
8128FS59(1984)/05/01春日部→館林館林区78型と配置替えの為
8529FS59(1984)/05/01春日部→館林
8543FS59(1984)/05/01春日部→館林
8547FS59(1984)/05/01春日部→館林
8550FS59(1984)/05/01春日部→館林
8126FS59(1984)/05/02春日部→館林
8527FS59(1984)/05/02春日部→館林
8540FS59(1984)/05/02春日部→館林
8553FS59(1984)/05/02春日部→館林
8555FS59(1984)/05/02春日部→館林
8129FS59(1984)/05/03春日部→館林
8524FS59(1984)/05/03春日部→館林

 現在は春日部区と新栃木区と館林区の所属車両の運用は完全に分けられているのですが、当時はまだ本線運用を館林車と新栃木車も受け持っていました。
 ですので館林区に転属といいつつローカル運用はあくまで3050系達が担当し8000系は78型が担っていた本線運用を行う事になります。(と言いつつ正直当時の新栃木区と館林区の本線運用が実際どうだったのかを理解してないんですよね…。資料探しているんですがまだ発見出来ずです。)

8000系電車配置表(S59/1984年5月現在)
所属箇所8両固定編成6両固定編成合計
東武本線
春日部検修区
(北春日部)
配置なし (冷房車)
8101F,8102F,8103F,8104F,8157F
8158F,8159F,8160F,8166F,8167F
8168F,8169F,8170F,8171F,8172F
81110F,81113F,81114F,81117F
6両固定19編成114両
4両固定20編成80両
2両固定35編成70両
合計264両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8116F,8117F,8127F,8130F,8131F
8132F,8133F,8137F,8139F,8140F
8141F,8144F,8145F,8146F,8147F
8153F,8191F,81107F,81108F,81109F
(冷房車)
8507F,8508F,8509F,8515F,8516F
8517F,8518F,8519F,8520F,8521F
8522F,8523F,8528F,8538F,8539F
8542F,8544F,8545F,8556F,8557F
8558F,8560F,8566F,8567F,8568F
8569F,8570F,8571F,8572F,8573F
8575F,8576F,8577F,8578F,8579F

東武本線
館林検修区
(館林)
4両固定編成2両固定編成合計
(冷房車)
8118F,8125F,8126F,8128F,8129F
(冷房車)
8503F,8524F,8527F,8529F,8540F
8543F,8546F.8547F,8550F,8553F
8555F

4両固定5編成20両
2両固定11編成22両
合計42両
東上本線
森林公園検修区
(森林公園)
8両固定編成6両固定編成合計
(冷房車)
8173F,8175F,8177F,8179F,8181F
8183F,8185F,8187F,8189F,8193F
8195F,8197F,8199F,81101F,81103F
81105F,81115F
(冷房車)
8105F,8106F,8107F,8108F,8109F
8110F,8111F,8112F,8113F,8114F
8156F,8161F,8162F,8163F,8164F
8165F,8192F
8両固定17編成136両
6両固定17編成102両
4両固定25編成100両
2両固定34編成68両
合計406両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8115F,8119F,8120F,8121F,8122F
8123F,8124F,8134F,8135F,8136F
8138F,8142F,8143F,8148F,8149F
8150F,8151F,8152F,8154F,8155F
81111F,81112F,81118F,81119F,81120F
(冷房車)
8501F,8502F,8504F,8505F,8506F
8510F,8511F,8512F,8513F,8514F
8525F,8526F,8530F,8531F,8532F
8533F,8534F,8535F,8536F,8537F
8541F,8548F,8549F,8551F,8552F
8554F,8559F,8561F,8562F,8563F
8564F,8565F,8574F,8580F

 という感じに配置が変更されました。そして8000系は昭和58年度で全車冷房改造が完了しています。
 この年の末には新栃木区の78型と8000系との入れ替えも発生しますので当時は本当に各所での配置替えが激しかったんだなぁと感じます。

 …。何か妙な既視感感じるなと思ったら館林区配置になった4両固定編成、みんな七光台区にいた編成なんですよね(汗)

〜昭和59(1984)年8月21日・本線ダイヤ改正〜
<上り北千住口+久喜口輸送力増強・りょうもう号全面スピードアップ実施>

 この年も例年通り夏場に本線のダイヤ改正となりました。
 10000系6両2編成(11603F,11604F)と2両1編成(11202F)の14両を新造投入しての北千住口朝ラッシュの輸送力増強とラッシュ時の伊勢崎線下り通勤通学輸送列車の増発や増え続ける準急利用者への対応として午後ラッシュ時間帯の準急の増発が実施されています。
 また今回改正では昭和49年改正で東武動物公園(当時杉戸)以南で実施されていた急行りょうもうのスピードアップを東武動物公園以北でも実施した点が特筆されます。

<一般車両変更点>
1:朝上り北千住口に春日部始発の準急3本を新設(北千住7:03、7:17、7:43着)。
→混雑悪化によるオフピーク通勤として朝の早い時間帯の準急の混雑も激しくなってきたので春日部6:29,6:39始発の6両編成準急曳舟行きを設定しそれまで16分と12分空いていたこの時間帯の準急の間隔を適正化する為の増発を実施。
 また最混雑時間帯に8両編成準急曳舟行きを増発。これにより北千住口は1時間最大40本運転となりました。(普通26本準急14本)
 昭和49年の竹ノ塚〜北千住の複々線化による増発以来普通の本数は日比谷線直通含め26本と変更無しですが、準急は実質7本から2倍に増発された事になります。

2:館林6:12発の準急浅草行きを6両から8両編成に増強。
3:午後ラッシュ時下りの準急増発3本。
→この内2本はそれまでの普通幸手行きを準急幸手行きに変更し、残り1本は浅草22:20発の最終準急館林行きの1本前に同22:12発の準急東武動物公園行きを新設し混雑の激しい最終準急の混雑緩和を図るもの。普通を準急化した分は日比谷線直通普通の行先延長にて対応。

4:久喜口準急列車の新設。(通勤通学輸送対策)
→昭和57年開校のマンモス私立校花咲徳栄高校が3年目を迎えるに当たって通学輸送力の増強と通勤輸送の増加も著しい事から、この年の4月から定期運用から離脱した73型6両を使用しての臨時列車を東武動物公園→加須で運転していました。
 今回改正でこれに変わるB準急館林行きが新設される事となり、73型は完全に引退となりました。
 また朝夕の上下5本の準急Aが準急Bに格下げされる事となり花崎駅他準急通過駅の利用客の利便性向上を図る事となりました。

5:曳舟終着列車の下り列車客扱い化へ。
→朝の上りラッシュ時の8両編成列車が増えるに連れて下りを全て回送列車にすると客扱い列車が確保出来なくなってしまう為、今回改正より下り8両編成の客扱いを開始する様に変更されました。
 これに伴い鐘ヶ淵、堀切、牛田の各駅において下りホームの8両対応工事を実施しています。(玉ノ井は既に8両対応だったみたいです)
 なお客扱い化に伴い曳舟上り副線到着後に発車だと分かりにくいので客扱い列車は業平橋まで回送し折り返した上で曳舟駅下りホームから発車する様になりました。

6:伊勢崎線東武動物公園以北のスピードアップ化に伴い通勤車についても東武動物公園〜館林間の最高速度を90km/hから95km/hに向上。
→速度向上に伴い所要時間の短縮化(準急Aが平均3分の短縮)

<優等列車変更点>
7:不定期快速(たびじ号)の停車駅に新栃木と新大平下と新高徳を追加。
→78型や8000系といった通勤車でも運転されるたびじ号ですが停車駅が快速よりも少なく下手したら同じ時間帯に走る特急が停車する新栃木と新高徳すら通過するという停車駅となっていましたが、今回改正で新大平下、新栃木、新高徳の3駅にも停車する様に改められました。

8:急行りょうもう号スピードアップ
 東武動物公園以北の重軌条化+PC枕木化、羽生と川俣の分岐器改良(高速対応)、各所曲線改良等各種改良、整備が完了しました。。
 これによって館林までの一部区間において、前述した通勤車同様にスピードアップが実施され、それまでの最高速度90km/hから100km/hと大きく向上しました。
 更に桐生線内の急行の待ち合わせ解消等に伴う平均速度向上も併せて行われ、浅草〜赤城を平均約10分もの短縮される事となります。

 今後は館林〜太田も同様の改良を実施し最高速度90km/hから100km/hへのスピードアップに加え、浅草〜館林全区間の最高速度105km/h化を目指す事となっています。
 1969年(昭和44年)9月の就役から15年。57型と同等の運転速度で走って来たりょうもう号もようやく本領発揮の時を迎える事となりました。

 以上が今回のダイヤ改正の概要となっています。
 複々線効果でついに北千住口は1時間最大40本運転を行うまでになりました。しかしついにその本数増も現状設備では限界を迎えてしまい今後は竹ノ塚以北の複々線延伸工事完成を待つ事となります。
 またほとんどの主要列車の8両化が完了した事からいよいよ本線でも10両編成運転の開始が視野に入ってくる事となりました。今回改正で春日部駅の留置線が1本増設され、いよいよ車両の留置場所にも限界が見えてきてしまいました。こうして南栗橋の新基地の序章へと繋がっていきます。

〜78型更新・5070系6両固定編成の誕生と新栃木区へ8000系配置へ〜

 78型の更新も順調に進み5050系も5162F,5562Fまで完了していました。
 この頃になると78型も4両固定化された編成の工事はほとんど完了し、グループ分けをすると78型の初期車、7890型(旧7850型)、7860型(金属屋根車)の更新は完了し、大所帯の7820型と最終増備の7870型を残すのみとなっていました。
 既に館林区では春日部区へ8000系と入れ替えで78型の転属が行われていましたが、新栃木区には7870型11編成22両が集中して配置されていたので動きが無いままとなっていましたがとうとう動きが出る事となりました。
 流れとしては、森林公園区と春日部区に残った7820型の更新工事が優先され、森林公園区から春日部区に7820型を送り、代わりとして新栃木区や春日部区の7870型を森林公園区へ配置替えするという措置が取られました。森林公園側にも7870型は少数配置されていましたが、この流れで一部は逆に本線へ転属したりという動きも出ています。複雑ですね。
 わざわざ更新前に森林公園区に送るのは東上線側には越生線や小川町以北のローカル運用があるので旧型車両の最後の活躍場所として重用されていた向きもありますね。

 昭和59年度更新分からは5050系から更に新しくなり5070系5171Fとして番号が振られる事となりました。
 今回から以降の更新車は全て6両固定編成で製造される事となりました。ただ編成は3000系や8000系と異なり、クハ5170+モハ5270+モハ5370までは一緒ですが、4両目からはサハ5470+モハ5570+クハ5670と下り方のクハの100の位は4ではなく6とある意味普通の順番となりました。違和感はありますが…
 こうして残った7820型と7870型から5070系13編成78両更新車が誕生し78型の更新は終わる事となります。

 そして昭和59年11月に8000系にいろいろと動きが発生しました。
編成番号転属時期転属先転属理由(推測)
8503FS59(1984)/11/12館林→春日部春日部区2両固定編成調整の為に出戻り?
8524FS59(1984)/11/12館林→春日部
8139FS59(1984)/11/12春日部→館林館林配置増車?
8140FS59(1984)/11/23春日部→館林
8166FS59(1984)/11/21春日部→森林公園転属調整分?
8545FS59(1984)/11/23森林公園→新栃木新栃木区78型入れ替えによる配置替え
8552FS59(1984)/11/19森林公園→新栃木
8554FS59(1984)/11/19森林公園→新栃木
8559FS59(1984)/11/19森林公園→新栃木
8556FS59(1984)/11/14春日部→新栃木
8557FS59(1984)/11/14春日部→新栃木
8560FS59(1984)/11/14春日部→新栃木

 複雑な配置替えが発生していますが、基本的には78型の動きが影響している所ですが今年度の増備車数14両に対し、本線純増分が10両となっていて残り4両がこの直後に解説する野田線輸送力増強分となっています。新栃木区は78型22両配置だったのが8000系だと14両に減っています。
 ただ野田線では更に6両の増車が必要となるのでこの6両を捻出する為の調整という意味もありそうです。78型の動きを記載出来てないのでよく分からないですが…(汗)

8000系電車配置表(S59/1984年11月現在)
所属箇所8両固定編成6両固定編成合計
東武本線
春日部検修区
(北春日部)
配置なし (冷房車)
8101F,8102F,8103F,8104F,8157F
8158F,8159F,8160F,8167F,8168F
8169F,8170F,8171F,8172F,81110F
81113F,81114F,81117F
6両固定18編成108両
4両固定18編成72両
2両固定33編成66両
合計246両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8116F,8117F,8127F,8130F,8131F
8132F,8133F,8137F,8141F,8144F
8145F,8146F,8147F,8153F,8191F
81107F,81108F,81109F
(冷房車)
8503F,8507F,8508F,8509F,8515F
8516F,8517F,8518F,8519F,8520F
8521F,8522F,8523F,8524F,8528F
8538F,8539F,8542F,8544F,8558F
8566F,8567F,8568F,8569F,8570F
8571F,8572F,8573F,8575F,8576F
8577F,8578F,8579F


東武本線
館林検修区
(館林)
4両固定編成2両固定編成合計
(冷房車)
8118F,8125F,8126F,8128F,8129F
8139F,8140F
(冷房車)
8527F,8529F,8540F,8543F,8546F
8547F,8550F,8553F,8555F

4両固定7編成28両
2両固定9編成18両
合計46両
東武本線
新栃木検修区
(新栃木)
4両固定編成2両固定編成合計
配置無し (冷房車)
8545F,8552F,8554F,8556F,8557F
8559F,8560F

2両固定7編成14両
合計14両
東上本線
森林公園検修区
(森林公園)
8両固定編成6両固定編成合計
(冷房車)
8173F,8175F,8177F,8179F,8181F
8183F,8185F,8187F,8189F,8193F
8195F,8197F,8199F,81101F,81103F
81105F,81115F
(冷房車)
8105F,8106F,8107F,8108F,8109F
8110F,8111F,8112F,8113F,8114F
8156F,8161F,8162F,8163F,8164F
8165F,8166F,8192F
8両固定17編成136両
6両固定18編成108両
4両固定25編成100両
2両固定31編成62両
合計406両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8115F,8119F,8120F,8121F,8122F
8123F,8124F,8134F,8135F,8136F
8138F,8142F,8143F,8148F,8149F
8150F,8151F,8152F,8154F,8155F
81111F,81112F,81118F,81119F,81120F
(冷房車)
8501F,8502F,8504F,8505F,8506F
8510F,8511F,8512F,8513F,8514F
8525F,8526F,8530F,8531F,8532F
8533F,8534F,8535F,8536F,8537F
8541F,8548F,8549F,8551F,8561F
8562F,8563F,8564F,8565F,8574F
8580F


 本当にこの年は配置替えが激しい年でした。
 10000系が増え始めてきたので8000系も全車揃ったかと思ったらすぐに旧型車の後釜に座るという印象になってきました。まだまだ主役なんですけどね…どこでも何両でも使えるがゆえでしょうか。


〜昭和59(1984)年11月27日 野田線ダイヤ改正〜
<全線での6両運転開始へ/終電延長>


 8000系がいなくなり再び釣り掛け電車王国となった野田線ですが相変わらずドーナツ化現象による郊外の宅地化は進み順調に利用客が増え続けていました。となればまたもや混雑率が悪化してくる訳ですがこの時まで大宮口だけは大型6両化運転が実施されていなかったのをこの改正より実施する事になりました。
 これによって全線での大型6両運転が可能となり運用面でも扱いが容易になり、そこに純粋な6両固定編成である5070系を投入する事で輸送力の増強が図る事が出来るという流れです。

1:大宮〜川間のホームを大型6両対応に延伸し、大宮口での大型6両運転を実施。(主要4本列車を大型化)
2:大宮口、柏口(新柏方)で最混雑時間帯に運転されていた小型4両編成が運転されていたのを小型6両編成に増強。
3:柏口(豊四季方)で最混雑時間帯の小型6両編成2本を大型6両編成に増強。
4:各口で終電が延長される事になりました。

 まとめると表の様になります。




 こうして野田線ではついに全線での大型6両運転が出来る環境が整ったので輸送力増強については車両大型化が進められていきます。3000系小型車両達はそれでもまだまだ野田線の輸送を支える存在で在り続けます。
 それにしても終電繰り下げましたよと言いつつ、最近野田線は終電を繰り下げたばかりですが眺めてみると最大で1時間近く変わってるんで本当に時代の違いを感じますね…。

〜昭和50年代も終わりへ〜


 昭和40年代に比べるとトントン拍子で進めましたが、なんだかんだで動きが激しい時代でした。
 8000系の10両運転、マイナーチェンジ、初めての野田線での活躍いろいろありましたね。最後の最後には配置替えが活発になり、館林区と新栃木区配置という動きも出ました。増備は終了してもこの時点では10両編成で走る事が出来ない後輩10000系を尻目に通勤・通学輸送の主役を務めるのは相も変わらず8000系となります。

 次はいよいよ昭和60年代に突入です。激動の昭和も終わりが近付き、平成が見えてきました。
 なんといっても8000系でいったら現代のカラーに塗り替えられ、修繕工事がスタートするという大きな話題が控えていますね。

ご覧いただきありがとうございました。
間違いとかあればご指摘いただけると非常に有難いです。  



2020年08月30日編集

(今後改変する場合があります。というか意味不明な文章が各所で目立つのでちょくちょく改善しますm(_ _)m)

参考文献(※交通東武以外、全て購入。一部資料は国立国会図書館にて閲覧し有料プリント。)
●とれいん(株式会社エリエイ)
2011年1月号 通巻433号
→東武8000系おくのふか道 (山賀一俊氏)
●鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション27 東武鉄道 1970〜1980
●鉄道ピクトリアル No:915 2016年3月号 特集東武8000系
→東武8000系のプロフィールは特に参考にさせて頂いております。
●鉄道ダイヤ情報2013年10月号 東武鉄道8000系電車あれこれ(花上嘉成氏著)
●ヤマケイ私鉄ハンドブック3 東武
●モデルワム 東武鉄道8000系列ディティールUPガイド(目沼 弥十郎氏)(2008年1月発行)
●東武鉄道100年史(東武鉄道株式会社)
●交通東武各号(東武鉄道株式会社)※非売品 東武博物館図書室にて閲覧
●【復刻版】私鉄の車両24 東武鉄道(ネコパブリッシング)




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