東武8000系の歴史

5-2.セイジクリームの時代2(昭和54年〜昭和56年)


〜昭和54年突入 東上線新駅開業へ。しかも2駅。〜

 昭和46年に森林公園が開業して以降、昭和48年北坂戸、昭和49年朝霞台、昭和52年みずほ台と次々に駅が増えている東上線でしたが、この年も新駅の開業が予定されていました。
 しかも何と一気に2駅も開業する事となります。
 一つは4月開業予定の若葉駅(鶴ヶ島〜坂戸間)ともう一つが11月開業予定の柳瀬川駅(志木〜みずほ台間)です。
 志木〜鶴瀬は昭和52年にみずほ台が出来てからわずか2年で2駅目が開業するっていうのも凄い話ですが、東上線沿線の開発はどんどん進んでいきました。

 若葉駅は昭和54年4月2日に開業し、日本住宅公団若葉団地や工業団地が造成され将来の発展が期待されました。川越市以北の駅ですから急行も停車する駅ですので池袋からの利用もしやすく今後順調に成長していく事となります。
 ますます東上線の利用者が増えていく事にもなりますが若葉開業の時点ではダイヤの変更は行われず、11月の柳瀬川開業時に行われる事となります。それはまた後程。
 

〜日光線特急の話題と1800系急行りょうもう6両編成化へ〜

 この時代の日光線特急と伊勢崎線急行の利用状況を見ると年々利用者が増え続ける伊勢崎線急行りょうもうに対し、日光線特急DRCは昭和49年のオイルショック以降年々減少が進んでいました。
 昭和49年のオイルショックの影響もそうですが円高によって外国人観光客が減少した事や、国鉄の大幅運賃値上げによって新幹線の利用客が減った結果関西方面からの利用客も減少した事も要因とされています。
 昭和54年は日光線特急鬼怒・華厳誕生30周年の年となったのですがなかなか明るい話題とは言えないですね。しかしこの頃になるとようやく利用客減少も底を打ったという事で少しずつ上昇に転じる事となったそうです。
 特急誕生30周年に加えこの年が昭和4年の日光線全通50周年記念の年とも重なったので東武日光駅の改良工事を実施する事となり、現在のアルペン風の駅舎に改築もされる事となります。
 またこの年7月に1700系2編成の台車が白帯時代の金属バネ台車からDRCと同様の空気バネ台車に更新され同時に駆動装置、主電動機も交換されるという大規模な改良を行い乗り心地の改善を図っています。

 と日光線特急関係の話題を書きましたが本題は1800系の6両化ですね。
 利用客が順調に増えているにも関わらず4両編成のままだったりょうもう号の6両化が昭和54年4月に実施され、4月5日より現代にも続くりょうもう号の6両運転が開始されました。
 1800系は元々8000系と一部違いがあれどほぼ同スペック同種の機器が採用されてはいましたが、今回8000系がマイナーチェンジされた昭和51年度以降の車両新造となった為にこれら増結車両も台車を8000系同様のダイレクトマウント方式のS型ミンデン台車TRS-75M/Tが採用されている等1800系でも既存車両との違いが出ています。
 また6両化に際してはこれまた8000系と同様にMT比1:1を維持し初の1M車と中間T車を1両ずつ繋げています。DRCはオールMなので1700系の台車交換も2編成12両を実施するのに3億も掛かってしまったみたいですので1800系は急行らしく控えめな印象です。ドル箱列車なんですけどね…
 りょうもうも未だに杉戸以北は速度アップが出来ずに性能を持て余す状況が続きますが、今後は6両編成8本で両毛産業圏と東京を繋ぐ重要な存在として走っていきます。

〜昭和54(1979)年6月 ついに78型の更新車誕生〜


 昭和54年5、西新井津覇にてついに78型初の更新車両が完成しました。
 ついに旧型車両の更新工事も終盤に入って来たという印象を受けますが今回からも車体は8000系の同様の車体に載せ替えられたので従来の3000系列や5000系と違いぱっと見は8000系との違いが分からないという程になっています。
 ちなみに今5000系と書きましたが、今回78型の更新車が新5000系と称される事となり旧5000系は3000系列に組み込まれ3070系に変更されました(昭和54年4月1日付)
 以降新5000系を5000系としますが今回初期の78型から更新が開始され、4両固定編成と2両固定編成の6両で落成しています。
 5月16日には4両の5101Fが業平橋に回送され根津社長らに展示される事となりあの78型がピカピカの新車みたいに生まれ変わった姿が公開されました。

 更新ペースは年間6両という事で後々を考えると当初は遅いペースを想定していました。しかも当時は西新井津覇は8000系の冷房改造で手一杯だった事もあってか5000系は冷房改造しない状態で登場しています。後々冷房改造される事となりますが8000系の冷房改造が終わって後となってしまい実に5年も後の話となります。

 こうして78型の更新が開始されました。8000系と3000系列以外が多くいた所についに78型まで8000系と同じ見た目となってしまう事で更に東武と言えばこの顔、この色が定着していく事となります。
 当初更新は3000系列同様に古くなった車体の刷新がメインとなり主要機器は原則再利用となっています。MGや通風器等8000系の冷房化で不要となったものを再利用もしています。
 しかしブレーキは旧型特有の車体ブレーキ方式のAMA-RE制動のままとなっていました。見た目は変わったから機器室配置は8000系に準じて取り扱いを容易にした一方で運転扱いは従来の78型とほとんど変わらないよというのがある意味うたい文句だったのですが、一方で既存の78型とは連結が不可になっているので運用面では非常に面倒な存在となってしまいました。
 一番最初の78型更新だったのでここら辺は手探りだったので仕方ないのですがこの5000系というのはわずか4本(4両固定2本と2両固定2本)で終わってしまいます。
 ですので当初は春日部区配置もありましたが全車が早々に森林公園検修区に集中配置替えされていく事となります。


〜防護無線対応と列車無線2期工事と昭和54年度新造車投入〜



 昭和53年4月より優等列車にて列車無線の使用が開始されましたが、今までは指令と車両間の相互通話に限定したシステムとなっていましたが昭和54年6月21日よりこの機能に更に防護無線システムも追加されて使用開始となりました。
 防護無線とは当該車両に事故発生時にすぐに警報を飛ばしてそれを受信した別の車両が速やかに停車する事で2次災害を防ぐという機能です。鉄道の歴史において2次災害だったり正面衝突だったりこの複合事故によって大きな被害を出している事もあって非常に重要な機能です。現代では最早当たり前ですね。

 そして昭和54年10月1日より列車無線2期工事が完成し、伊勢崎線の全線対応(館林〜伊勢崎まで追加対応)と桐生線全線、鬼怒川線全線と宇都宮線全線が新たに列車無線対応範囲となったのです。
 これによってそれまで優等列車限定だった列車無線は今回から8000系、5000系も追加対応となる事となりました。
 ただしまだまだ全編成対応とはいかないので8000系でもこの時点では28編成130両程度だったとの事です。

 ダイヤ改正を控えて昭和54年度の新車投入ですが8000系8両固定5編成40両(8193F,8195F,8197F,8199F,81101F)となりました。
 ついに8000系の編成番号が100を超えて5桁となりました。前年に8191F(4両固定)を投入しているので8192Fが欠番となっていましたが従来通りの番号のつけ方を踏襲して8193Fからスタートしているのも面白い所です。令和になった現代でようやく70000系にまで形式が上り詰めてきた(?)ので40年が経ってやっと8000系5桁番号に追いつきそうになってきました(?)
 いずれも8両固定なので当然全車森林公園区に投入となりますが、東上線のダイヤ改正に必要な純増分は26両なので14両が森林公園区から本線側へ転属する事となります。

編成番号転属時期転属先転属理由
8137FS54(1977)/10/16森林公園→春日部東上線増備26両に対し40両を投入したので余剰分14両を本線、野田線へ転属させる為。
8121FS54(1979)/10/29森林公園→春日部
8124FS54(1979)/10/29森林公園→春日部
8564FS54(1979)/10/16森林公園→七光台
8565FS54(1979)/10/16春日部→七光台野田線冷房化推進とラッシュ時の6両運転増の為(※8000系自体の6両運転はまだ先)


8000系電車配置表(S54/1979年11月現在)
所属箇所8両固定編成6両固定編成合計
東武本線
春日部検修区
(北春日部)
配置なし (冷房車)
8101F,8102F,8103F,8104F,8157F
8158F,8159F,8160F,8165F,8166F
8167F,8168F,8169F,8170F,8171F
8172F
6両固定16編成96両
4両固定18編成72両
2両固定34編成68両
合計236両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8116F,8117F,8121F,8124F,8127F
8130F,8131F,8132F,8137F,8144F
8191F


(非冷房車)
8139F,8140F,8141F,8145F,8146F
8147F,8153F
(冷房車)
8518F,8519F,8520F,8521F,8523F
8528F,8546F,8566F,8567F,8568F
8569F,8570F


(非冷房車)
8515F,8516F,8517F,8522F,8524F
8527F,8529F,8538F,8539F,8540F
8542F,8543F,8544F,8545F,8547F
8550F,8553F,8555F,8556F,8557F
8558F,8560F
東上本線
森林公園検修区
(森林公園)
8両固定編成6両固定編成合計
(冷房車)
8173F,8175F,8177F,8179F,8181F
8183F,8185F,8187F,8189F,8193F
8195F,8197F,8199F,81101F
(冷房車)
8105F,8106F,8107F,8108F,8109F
8110F,8111F,8112F,8113F,8114F
8156F,8161F,8162F,8163F,8164F
8両固定14編成112両
6両固定15編成90両
4両固定17編成68両
2両固定34編成68両
合計338両
4両固定編成2両固定編成
(非冷房車)
8119F,8120F,8122F,8123F,8133F
8134F,8135F,8136F,8142F,8143F
8148F,8149F,8150F,8151F,8152F
8154F,8155F
(冷房車)
8501F,8502F,8513F,8563F

(非冷房車)
8503F,8504F,8505F,8506F,8507F
8508F,8509F,8510F,8511F,8512F
8514F,8525F,8526F,8530F,8531F
8532F,8533F,8534F,8535F,8536F
8537F,8541F,8548F,8549F,8551F
8552F,8554F,8559F,8561F,8562F
野田線
七光台検修区
(七光台)
4両固定編成2両固定編成合計
(冷房車)
8115F,8118F,8125F,8126F,8128F
8129F,8138F
(冷房車)
8564F,8565F
4両固定7編成28両
2両固定2編成4両
合計32両

 七光台区に2両固定編成が配置されました。先に書いておくと昭和54年時点ではまだ野田線での8000系の6両運転は行われていません。大型6両で運転出来る環境が出来ていなかったからです。
 次の項目で本線、野田線のダイヤ改正が行われて6両運転が増える訳ですがあくまで3000系による6両運転となっています。

 地味に森林公園区4両固定の冷房車が全て春日部区に転属して一旦消える事となりました(汗)
 こうして編成眺めると森林公園区は上り方冷房車、下り方は非冷房車って時代だったんですよね。確かに池袋は上り方に利用者が集中する傾向にはあったんでしょうけど、利用客の間じゃ後ろの車両は冷房がないぞ!?なんて噂になってたんですかね?

〜昭和54(1979)年10月31日 本線・野田線ダイヤ改正〜
本線:太田〜伊勢崎の自動化工事完了、久喜〜羽生の下り輸送改善
野田線:朝ラッシュ時の6両運転増


 本線、野田線共にダイヤ改正となりましたが今回は小規模となっています。

 まず本線側の変更点ですが、
1:朝ラッシュ時に下り羽生行き準急を1本増発する。
 これは鷲宮、花咲、加須、羽生沿線での通勤・通学輸送が増えていたにも関わらず上りの運用改善に手一杯で増発出来ていませんでした。
 その結果久喜発の羽生方面は7:24発伊勢崎行きの次が8:08発伊勢崎行きと40分以上も空いてしまうので当然の如く凄まじい混雑により遅延の原因となっていました。
これを解消する為に今回浅草始発の準急羽生行きを1本新設し久喜7:48発が出来る事で混雑を分散するもの。
2:伊勢崎線太田〜伊勢崎の単線自動化の完成+TSP-ATS使用開始
→これによって熊谷線以外は全て自動化が達成され保安度は大きく向上しました。

 次に野田線側ですが、変化点としては3運用が6両編成化(七光台→大宮、七光台→柏、柏→船橋の合計3本)されたのみです。

 前述していますが8000系2両固定が2本増備され8000系による6両運転も可能に思えますが、この段階ではホーム等諸設備が大型6両の長さに対応していなかったのでこれに対応させる必要があります。
 またこの頃は船橋口の船橋〜塚田の高架化工事が進んでおり、これの完成に合わせて七光台〜船橋のホーム延伸も予定され野田線初の大型6両運転開始もそこまで迫っていました。

〜昭和54年11月8日・東上線ダイヤ改正〜
<柳瀬川駅開業・普通の10両運転開始・小川町までの10両運転対応>


 ラッシュ時輸送の改善をしてもしても東上線朝ラッシュ時ではまた最混雑時間帯では混雑率200%超えとなっていました。
 これを改善すべく11月8日にダイヤ改正を実施しました。今回のメインは志木〜みずほ台間に柳瀬川駅が開業した事と池袋〜小川町の全駅で10両対応にホーム延伸が完了した事で、長編成化の問題は全てクリア出来たというのが大きな変化点となっています。

1:志木〜みずほ台間に柳瀬川駅が開業。(準急と普通のみが停車)
2:北池袋〜下赤塚(ときわ台除く)のホーム延伸完成、武蔵嵐山・小川町のホーム延伸完成。
→これにより池袋〜小川町の10両運転が可能となりました。
3:朝ラッシュ時の普通の10両運転開始。
→8000系26両増備により朝ラッシュ時の普通が6本が10両化、4本が8両化と大幅な輸送力増強となりました。
4:平日の秩父線直通特急廃止。
→今回改正で8000系運用の9割以上が8両編成以上での運転となりラッシュ時に6両運転が厳しくなった為秩父直通みつみね号の運転は平日は廃止となり休日限定となりました。これ以降の平日特急は小川町止まりのさだみね号として運転されています。
5:小川町〜寄居の小運転列車の増備
→小川町での分断が本格的に開始された一方で小川町以北がそれまで昼間時最大60分間隔(不均等)だったのが最大40分間隔に短縮されました。
6:特急列車の名称・停車駅変更
→行楽急行時代は最優等列車でもあった、たまよど号が寄居行き特急として復活しました。
→小川町以北分断拡大に伴い特急が東上線内の東松山から寄居までが各駅停車に変更されました。(秩父線内はそのまま)
7:各種設備改善を実施
 普通列車への10両運転拡大に伴い、成増、上福岡、川越市の留置線が下り側へ40m延伸されました。
 森林公園検修区でも収容線新設4線、8両から10両への延伸13線と大掛かりな改良が行われています。
 更にはときわ台電電所の新設と鶴瀬変電所の増強、北池袋の地下道の移設、中板橋・上板橋・成増の配線改良、各所信号機の移設などなど…ホーム延伸だけに留まらず非常に各所での設備改良が多岐に渡って行われました。
 長編成化も本当大変なんですよね…。

東上線昭和54年11月改正
 特急の停車駅変更や寄居行きのたまよどが追加されました。
 それまで昼間は森林公園で乗り継ぎか寄居まで直通で急行が運転されていましたが、平日では本格的に小川町での分断となりました。


〜昭和55年(1980年)増備車40両登場〜


 8000系も5桁番号となりいよいよ増備も終盤に差し掛かってきました。
 昭和55年度増備車も40両となるのですが、いよいよ純粋な増備以外で73型の置き換え車両という名目での投入となりました。
 8000系増備が開始して以来、純粋な増備や旧型車両を置き換えて野田線や支線に車両を転属させる為の新車投入という名目でした。
 しかしついに旧型車両の置き換えの為、という名目での投入を行える様になってきました。既に78型の更新が始まっていて旧型車の更新も終盤に差し掛かっている状態ではありました。
 73型については元々が国鉄63系を譲渡されたものを一度東武で更新している車両だったのでですが時代の流れに合わせて必須であった冷房化改造に足回りの強度が耐えられないという事で、流石に2度目の更新とはならずに8000系新造による置き換えという形となりました。

 という訳で73型6両の置き換えもあってこの年の増備からは久々に誕生の2両固定(8571F,8572F,8573F)から4両固定(81107F,81108F,81109F)、6両固定(8192F)、8両固定(81103F,81105F)と様々な長さで誕生しています。
 8192Fだけ番号が若いのですがこれは昭和53年度製分の8191Fが4両固定であり8192Fが欠番となっていた為に6両固定の8192F誕生となりました。もし4両固定が先に完成していたらそれが8192Fとなっていましたね。

 東上線は長編成化の為の投入であり増備は無いです。一方で本線は8月のダイヤ改正に向けての16両増備、野田線は12月のダイヤ改正に向けての8両増備という事でまた森林公園区からの春日部区への転属、そして春日部区から七光台区への転属が発生します。

編成番号転属時期転属先転属理由
8502FS55(1980)/08/04森林公園→春日部森林公園区16両投入伴う代替え転属16両
8月ダイヤ改正増備分
8507FS55(1980)/07/08森林公園→春日部
8508FS55(1980)/07/09森林公園→春日部
8509FS55(1980)/07/09森林公園→春日部
8119FS55(1980)/07/08森林公園→春日部
8133FS55(1980)/07/09森林公園→春日部
8546FS55(1980)/12/08春日部→七光台野田線大型6両運転の為の増結車8両転属
12月ダイヤ改正増備分
8566FS55(1980)/12/12春日部→七光台
8567FS55(1980)/12/12春日部→七光台
8568FS55(1980)/12/12春日部→七光台

 先に81103Fと81105Fが投入されてこの様な動きが出ていますが、8192Fが10月投入、81107F〜81109Fと8571F〜8573Fは昭和56年に入ってからの投入となるのでここら辺は後述します。

 もう今更なんで細かい変更点は割愛します(他でも書いてますので)が、この年から窓枠のガラス固定がHゴム方式からアルミ枠固定に変更されているのが一番大きな特徴ですね。
 またこれまではモハ8200のみに空転検出器が設置されていたのを1M方式のモハ8500やモハ8800にも今回から追加されました。更に空転検出時は加速度を下げる様に空転検出補助リレーも付加して空転防止の強化を行い乗り心地の改善等につなげています。

〜昭和55(1980)年8月5日・本線ダイヤ改正〜
<館林からの8両運転開始・北千住口輸送力増強>


 かつては梅島、五反野付近で限界を迎えていた本線のラッシュ輸送ですがドーナツ化現象によりどんどん郊外の人口が増えてくると利用者は速達性の高い準急に集中していきます。
 という訳で前回改正ではてっとり早く8両化が出来た日光線幸手始発の準急3本の8両化を行った訳ですが今回はいよいよ伊勢崎線側という事で和戸〜館林の上りホーム8両化を完成させて館林からの8両編成運転を開始する事となりました。

 変化点としては、
1:朝ラッシュ時の準急列車5本の8両化の実施。(準急の8両運転は合計8本となる)
→伊勢崎始発3本を館林から連結し8両で運転する事と館林始発と羽生始発の2本の合計5本を8両編成で運転するものでこれらは全て浅草行きです。
2:朝ラッシュ時の北春日部始発8両編成普通を6両編成準急曳舟行きに変更する。
3:普通1本が準急化された変わりに新たに竹ノ塚始発の普通浅草行きを1本新設する。
→これにより最混雑時間帯のラッシュ時1時間37本運転から1本増加して最大38本運転となる。
4:普通1本の準急化により北春日部から北越谷まで回送運転していた日比谷線直通車を北春日部から客扱いとする。
5:下り午後ラッシュ時の準急を全て6両編成にする。(一部4両編成が残っていた)

 運用増と8両区間拡大に伴う設備改良としては、
1:春日部検修区留置線を更に2線新設。
2:羽生引き上げ線の8両化
3:館林検修区留置線に8両編成用の増結車両を留置させる為に、一部車両を外泊させる為に佐野線佐野市駅に留置線を増設。
4:上述してますが上りホーム限定で館林〜和戸を8両編成対応にする。

 という事で本線でもますます8両編成の運転が拡大する事となりました。やっぱり8両編成の下りは回送扱いなんですかね?

〜昭和55(1980)年12月17日・野田線ダイヤ改正〜
<8000系による大型6両運転の開始と船橋駅高架化>


 船橋〜塚田間でお馴染みの高架化ですが、この頃には船橋駅改良と高架化工事が完了し併せて馬込沢〜船橋の複線化工事も進められていました。
 しかし複線化の完成にはまだ時間が掛かる上に船橋口は野田線主要口で唯一単線だった為に本数の増加がこれ以上困難でした。
 その為混雑率200%近くを記録する最混雑区間となっていましたが、これを改善すべく8000系を使用した大型車6両による輸送力増強を実施する事となりました。
 今回も小型車による6両運転が最初に開始された時同様に七光台〜船橋を限定としての大型6両対応のホーム延伸工事が進められ、8000系車両8両増備等各種準備が進められました。
 これらが整うタイミングでダイヤ改正が実施されています。
 変化点としては、
1:船橋口での朝ラッシュ時8000系24両を使用してによる大型6両運転の開始。
→4運用が8000系による大型6両として運転される事になり輸送力の増強。
2:柏口の1運用も大型6両に増強。
3:大宮口で岩槻始発の小型4両編成2本が6両編成に増強。
4:大型6両は七光台⇔船橋限定運用となるので全線に渡り運用番号を変更。

 こうして8000系による大型6両の運転開始に加え七光台区は40両にまで8000系が増えてきました。船橋口側に集中投入となると今度は大宮口のラッシュ最混雑時に8000系が走らないという事であっち行ったりこっち行ったりな運用変更となっておりました。

〜昭和56年突入 3月16日本線ダイヤ改正・東武動物公園駅の誕生(旧杉戸駅)〜
<東武動物公園開園に伴い日比谷線直通を北春日部→東武動物公園まで延伸>


東武動物公園表示の3000系
↑当時の画像は無いので営団3000系保存車の東武動物公園表示を…

 東武動物公園が開園したのは今から約40年も前になる昭和56年(1981年)3月28日となります。そう考えると大分古いんですよね。
 この開園に先立ち3月16日に本線ダイヤ改正が実施され、東武動物公園の最寄駅となる杉戸駅は東武動物公園駅に駅名を変更し日比谷線直通電車をこの駅まで直通延伸する事となりました。
 東武動物公園駅はこの改正の際に橋上駅舎へと改修され、構内改良も行われ東武鉄道随一の橋上駅舎へと変貌する事となりました。またこの改正を機に姫宮駅もようやくホームが45m延伸され8両編成電車が停車出来る様になっています。

 日比谷線直通延伸は当初は一部電車にとどまっていたので30分に1本程度の間隔ではありましたが東武動物公園駅としては上下で1日約20本ずつの増発とはなりました。(準急は快速は本数変わらず)
 直通1番列車到着の際は鉄道友の会東京支部会員より乗務員と東武動物公園駅長さんに花束が贈られて祝賀ムードいっぱいで新たな日比谷線との直通運転は開始されました。

 という訳で年度末を迎え編成表を確認します。昭和56年2月に2両固定3編成と4両固定3編成が相次いで落成し全てが春日部区に投入され、春日部区から4両固定2編成が森林公園区へ転属が発生しています。
 そして73型の置き換えにつながっていきます。73型は森林公園区に4両固定11編成44両、館林区に2両固定7本14両が配置されていましたがついに昭和56年6月より廃車が始まります。
 一方で昭和54年に登場していた78型の更新車である5000系ですが更新内容メニューの検討もあってかその後が続かずに昭和55年は更新車ゼロでした。というかそもそも73型が冷房改造出来ないから更新せず廃車なのに78型の更新も非冷房で登場という点は矛盾していたって所もあります。
 結局78型の更新は西新井津覇ではなくアルナ工機にまで送られてそれまでの5000系とは異なる更新が行われる事となりました。
 それが昭和56年4月になりついに完成してきますがそれによって当初計画よりも更新工事が遅れた事から78型更新時の車両不足を補わないといけない状態も多少なりともあり、ここでも8000系の転属等で調整したのではないか…?と考えます。

編成番号転属時期転属先転属理由
8119FS56(1981)/02/11春日部→森林公園78型更新工事の為の車両調整?
8119F,8124F共すぐに森林公園へ出戻りとなりました。
8124FS56(1981)/03/13春日部→森林公園


8000系電車配置表(S56/1981年4月現在)
所属箇所8両固定編成6両固定編成合計
東武本線
春日部検修区
(北春日部)
配置なし (冷房車)
8101F,8102F,8103F,8104F,8157F
8158F,8159F,8160F,8165F,8166F
8167F,8168F,8169F,8170F,8171F
8172F,8192F
6両固定17編成102両
4両固定20編成80両
2両固定37編成74両
合計256両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8116F,8117F,8121F,8127F,8130F
8131F,8132F,8137F,8139F,8140F
8141F,8144F,8145F,8146F,8147F
8153F,8191F,81107F,81108F,81109F
(冷房車)
8502F,8507F,8508F,8509F,8515F
8516F,8517F,8518F,8519F,8520F
8521F,8522F,8523F,8528F,8545F
8560F,8569F,8570F,8571F,8572F
8573F


(非冷房車)
8524F,8527F,8529F,8538F,8539F
8540F,8542F,8543F,8544F,8547F
8550F,8553F,8555F,8556F,8557F
8558F
東上本線
森林公園検修区
(森林公園)
8両固定編成6両固定編成合計
(冷房車)
8173F,8175F,8177F,8179F,8181F
8183F,8185F,8187F,8189F,8193F
8195F,8197F,8199F,81101F,81103F
81105F
(冷房車)
8105F,8106F,8107F,8108F,8109F
8110F,8111F,8112F,8113F,8114F
8156F,8161F,8162F,8163F,8164F
8両固定16編成128両
6両固定15編成90両
4両固定18編成72両
2両固定30編成60両
合計350両
4両固定編成2両固定編成
(冷房車)
8119F,8120F,8122F,8123F,8124F
8133F,8134F,8155F

(非冷房車)
8135F,8136F,8142F,8143F,8148F
8149F,8150F,8151F,8152F,8154F
(冷房車)
8501F,8505F,8513F,8561F,8563F

(非冷房車)
8503F,8504F,8506F,8510F,8511F
8512F,8514F,8525F,8526F,8530F
8531F,8532F,8533F,8534F,8535F
8536F,8537F,8541F,8548F,8549F
8551F,8552F,8554F,8559F,8562F
野田線
七光台検修区
(七光台)
4両固定編成2両固定編成合計
(冷房車)
8115F,8118F,8125F,8126F,8128F
8129F,8138F
(冷房車)
8546F,8564F,8565F,8566F,8567F
8568F
4両固定7編成28両
2両固定6編成12両
合計40両

 こうしてみると何か森林公園区8000系の非冷房車が多い気がしたので数えてみましたが、
 春日部区:256両に対し32両 約13% 冷房車224両
 森林公園区:350両に対し90両 約26% 冷房車260両
 冷房車の数は多いですけど、やっぱり非冷房車比率は高いですよね。特に下り方って本当非冷房車が当たり前だったんでしょうね…。ますます上り方に乗客が集中してたのでは…?

 裏話ですがこの表作ってる時に8527Fと8528Fが消失している事に気付きました(汗)
 動きが激しくてどうにも抜けが出てしまうみたいです。

〜5050系更新車登場〜


5050系登場
↑関東大手私鉄で最後まで走った吊掛駆動電車・5050系が誕生したのが昭和56年からでした。
5050系登場  昭和54年に78型初の更新車である5000系12両が登場してから次がなかなか続きませんでしたが、昭和56年になって新たに5050系が登場しました。
 この車両は種者は78型な所は一緒ですが、5000系に比べて更なる改良が行われ一番大きなポイントとしては冷房付きとなった所です。
 他にもブレーキ方式の見直しも行われ、車体ブレーキから台車ブレーキ方式でHSC化と8000系と同じブレーキ方式となりました。MGについては新たにブラシレスMGを採用する事になりました。先に書くとこの年から増備される8000系にも採用される新機軸ですが更新車の5050系が先となりました。

 消耗部品であるブラシや整流子をなくせる事から保守でも有利でMGよりも装置が小型化出来る事で一時期流行しましたが、完全に回転摩耗部分がなくせる訳ではないので将来的にはSIVが補助電源装置の主流となります。
 それでも当時はまだまだ半導体装置の進歩途中で、冷房装置に対応した大規模容量のSIVと比較すると安く済むという事で各社で流行しました。谷間の時代に生まれた技術と言えます。
 専門家じゃないので鉄道マニア的に簡単に書くと、直接直流電気を流して使用したMGと違ってサイリスタインバータ装置を介して発生する三相交流電流を流して動かすという所が一番の違いで、SIVに比べると少量とは言え高調波抑制のフィルタ(誘導障害防止)が必要となります。

 最近だとSIV車も普通に走っているんで大丈夫でしょうが、このBLMG車が登場時は秩父鉄道の回送で誘導障害の関係からか使用禁止になっていたみたいです。
 BLMGを止めて走行する為に通常のMGを搭載したサポート車両を連結したり、8000系の場合ですと初期のMG車が秩父ATS搭載車になったりといった所で後々まで影響が残っていきます。

 他でも各種電球類が従来の白熱灯からLED(発光ダイオード)に変更され随所で近代化が図られています。
 今後の更新車は5050系となっていきますが、今後もアルナ工機に回送して更新する分新機軸が加えられていきます。

〜列車無線範囲拡大と昭和56年度新車登場〜


 昭和56年7月1日に列車無線第3期工事が完了し、初めて東上線側が対応範囲になった事と野田線を除く本線側のその他路線も整備が完了し使用開始となりました。
 棒型アンテナもこの頃には当たり前となっていたという事ですね。

 昭和56年度の新車として8月24日に6両固定の81110Fがアルナ工機から西新井工場へ甲種輸送されました。(この頃には久喜から東武線に入っていたそうです。)
 この年の新車はこの81110F(春日部区配置)以外では昭和57年に入ってからの納入となりますが、4両固定2本(81111F,81112Fいずれも森林公園区配置)と2両固定2本(8574F,8575Fいずれも森林公園区配置)と総数18両と控えめになっていますが、何といってもこの年の目玉は13号線直通に向けた東上線の地下鉄乗り入れ新型車両の先行試作車10両が予定されていましたので数が減るのも仕方ないですかね。
 なお81111Fと81112F登場に伴い森林公園区の73型4両2編成が廃車されています。
 この年の8000系の大きな変更点としてはMGが5050系で採用されていたBLMGに変更されています。
 また新車も入りますが一方で73型廃車や78型更新の為の離脱もあったり8000系冷房改造もあったり動きも激しいのでこの年も配置替えが実施されています。
編成番号転属時期転属先転属理由
8121FS56(1981)/07/03春日部→森林公園73型廃車分?(当時7323編成4両廃車)
8192FS56(1981)/08/29春日部→森林公園11月改正での8000系6両増備分

〜9000系誕生と試作ステンレス車の話〜


ついに9000系登場
↑1981年11月に落成した9000系先行試作車。来年11月で40年選手に…

   1981年11月10日竣工で東上線に新形式:9000系が登場しました。1969年に1800系が誕生して以来12年ぶり、通勤車に限定すると1963年の8000系以来18年ぶりの新車誕生となります。
 この車両はもう今更特段の解説もいりませんが、当時の視点で言えば将来予定されている東上線と営団13号線との相互直通運転用としてのフルモデルチェンジ車両であり、8000系や2000系とは全く別物な車両となりました。

 上に最近撮った画像で載せてはいますが落成当初からはいろいろと変更しているので変化点を記載します。
1:クハ正面に9101の数字が見えますが当時はありませんでした。当時の8000系達と一緒ですね。
2:側面番号表示は8000系同様記号・数字・社名ですが、長方形のステンレス板に腐蝕(エッチング)加工にて文字を表現する銘板が腰板部(コルゲート板)にビス固定されていました。(現在はペンキ表記化に伴い撤去されビス孔はシーリングビスで塞がれています。)
3:モハ9200、モハ9500、モハ9800の集電装置が2基ずつ設置され、編成で6基もありました。(現在は1両1基ずつの編成で3基)
4:チョッパ装置回路の素子は当初2500V-400Aの逆導通形サイリスタの装置が使われていて冷却方式はブロアによる強制風冷式でした。
現在は大容量GTOサイリスタ素子を使ったチョッパ装置で冷却もブロア式ではなくフロン沸騰冷却式の物に交換されています。
5:スタンションポールとか吊り手増設の話はまた将来の話ですが一応記載。

 2000系や8000系からの進化点は細かく書くとたくさんありすぎるのでここでは割愛します。
 本題は9000系から採用されたオールステンレス車体についてですが、9000系では東武初のオールステンレス車両が採用される訳ですが製造会社が日本におけるオールステンレスのパイオニアである東急車輌製造…だけとならず東武と付き合いのあるお馴染みアルナ工機と富士重工の2社も加わり3社での合作となりました。

 ただここまでの経緯が非常に興味深いので記載しますが、オールステンレス車両と言うのは東武9000系が出来た時点での製造実績があるのは東急車輛製造のみ…でもなくて近畿車両を含めた2社のみでした。
 というのは東急車輛もアメリカバッド社(当時)との技術提携によるライセンス生産という事で他社でのオールステンレスの製造は特許の問題やそもそもの製造技術の問題等で行われてきませんでした。
 1979年に近鉄3000系が同社唯一となるオールステンレス車両を近畿車両にて製造してはいますがこれは東急のそれとは別の独自の方法にて達成しています。これの存在は調べてて知ったんですが、凄い事だと思いました。
 東武8000系も当初オールステンレスで製造するのが得策と社内で検討されていました。しかしこういう事情があって、製造が厳しいという事でオールステンレスではなく普通鋼製車による登場となっています。
 面白い話としては当時のステンレス車両市場が国内では東急車輛の独断場だったというのは繰り返しになりますが、元がバッド社からの技術提携という事もありコルゲート車体が当たり前となっていたステンレス車体もとある東急車輛の技術者の執念により軽量ステンレス車体の開発が成功したのがちょうどこの頃(1981年初冬)でした。
 これによって従来の車体よりも1両辺りの構体が約6tまでに軽量化が図られた(アルミが約4.5t、鋼製が約10t)東急8090系として鉄道車両業界に衝撃を与える車両が登場しました。従来東急ステンレス車と古くからかかわりが深かったのが東急、京王(井の頭線用)、南海(高野線用)となっていました。
 東急車輛は上記他社以外でもステンレス車両の導入をとアピールしていた所に一番早くにこの軽量ステンレス車両に興味を示したのが意外にも東武鉄道でした。

 東武は8000系の設計段階でオールステンレス車両が望ましいという方針を打ち出した程でした。あれから約17年。今度こそ東武にステンレス車を導入しようというには余りに素晴らしいタイミングでの軽量ステンレス車体開発の成功となったのです。
 更に東武は車両開発において密接な関係にあるアルナ工機において既に1980年から試作ステンレス車体の製造を開始しており、この時は車体寸法を8000系と同等クラスにした上でのステンレス車体化を図った試作構体の製造をしていたと推測されます。鉄道雑誌において8000系の顔をした試作ステンレス構体(コルゲート仕様)が掲載されたのは諸兄の知る所かと思います。

 そこに東急車輛による軽量ステンレス車体の売り込みがあったという事で東武は東急車輛に対しアルナ工機との共同開発ならばステンレス車体を導入しようという事で話を持ち掛けました。
 東急車輛はステンレス車両の売り込み時期の初期という事もあってか渋々この提案に乗ったそうです。
 という訳でアルナや富士重工でも製造しやすいように外板は結局コルゲートを採用し、加工の関係で板厚を東急車輛の想定よりも厚くしたので重量は8090系よりも重くなったとの事です。(そもそも車体断面形状が8090系のそれとはまた違うので致し方無いとは思いますが)

 さて話を3社合作に戻します。製造に慣れた東急車輛に比べるとアルナ工機と富士重工は大変だったと思います。なんせオールステンレスを作れ!!と言われても経験がどれほどあったのか…少なくともこの時点で東急と近車に次ぐ国内オールステンレス車両製造第三、第四の会社となるのですから。
 この先行試作10両編成を製造するにあたっては東急車輛が9101〜9401の4両、中間2両9501と9601の2両を富士重工、アルナ工機は9701〜9001の下り方4両という内訳で製造される事となりました。
 上述していますが経緯が経緯なだけにもし東急車輛だけにお願いしていたらもっとスマートな車両になっていた可能性もありますが仕方ない所ですね。

 この9000系の当初イメージ案ですが2002年に東武博物館で車両のイラスト展が開催された時に公開されたみたいですが、もう嘘電にしか思えないというか衝撃的なスタイルで例えるなら関西で見かけそうなデザインとなっています。(イラスト展またやって頂けないでしょうかね…)
 明らかにアルナ工機のみで設計した場合はこんな車両になってたんだろうなぁ…と思うのですが、そう考えると設計に携わる人が東急車輛の技術さえあればデザインを新しく出来ると考えたのもまた当然なのかもしれませんね…
 結局9000系は当時では画期的なステンレス車ながら運転士前面窓を大きく取った左右非対称の前面スタイルにし、車体中心から側面へ150mm程後退させて奥行感を見せた上で周囲を繊維強化プラスチック(FRP)で覆い立体感を強調した彫りの深いマスクとなっているのは当時ではポイント高い所だと思います。クハ9100とクハ9000で会社によるつくりの違いはあるんでしょうかね?今まであまり気にしてませんでしたが、ジックリ見てみたい気がしてきました…

 こうして営団有楽町線との相互直通が開始するまでの数年間、9000系は各種データ集め等を兼ねて先行試作車が運転を開始していきます。
 1981年11月14日から試運転を開始した9101Fは16日に下板橋留置線にて展示され、根津社長以下関係役員、報道関係者等が集まっています。
 その後は習熟試運転を鶴瀬〜森林公園等で重ねていき、12月28日より営業運転を開始する事となりました。

 もう9101Fも来年になると40年選手なんですね…驚くばかりです。しかし一方で先日見かけましたが余りの汚さにちょっと引いてしまいました。幕なんて本当見えないんですよね。
 9000系も量産車はリニューアルされて華々しい活躍をしている一方でもっとも老朽化の激しい先行試作車両が放置されたままなのは寂しい気がします。
 リニューアルして下さい!!とまでは言えませんが、もう見た目からして唯一の存在になっているので正面番号でも消して就役当初の姿を再現したリバイバルでもやってはいかがかなと思ってしまったり…(パンタやチョッパ装置は再現出来ないですが)。

〜昭和56年11月24日 東上線ダイヤ改正実施〜


 という訳で東上線では前述した9101F10両と8000系増備6両による合計16両を使っての輸送力増強や一部ダイヤを変更する改正を実施します。
 …9101Fが12月28日から営業開始しているのに先にダイヤ改正を行っているという状況ではありますが、多分車両が足りてるから大丈夫だったんでしょう(汗)

 今回変更点としては、
1:ラッシュ時限定だった10両編成運用を日中時間帯にも拡大する。
→9101Fが就役する為の措置ですが、8000系でも同様に日中の10両編成運転を開始する事となります。
2:朝ラッシュ時最混雑時間帯の普通列車3本を8両から10両に増強。
3:朝ラッシュ最混雑時間帯前後に設定されていた6両編成の準急2本と普通2本の計4本を8両編成に増強する。
4:朝ラッシュ時下り運用で混雑の激しい列車を6両編成から8両編成に増強。
5:午後ラッシュ時の混雑の激しい急行を8両編成から10両編成に増強。

 と言った感じで輸送力増強メインのダイヤ改正となっています。
 こうして東上線では平日ですと総運用の87%が8両編成以上での運転となるまでに輸送力は増強されてきました。
 一方で13%はまだ6両編成が普通に池袋まで乗り入れていた時代であり、非冷房時代の5000系が6両編成で乗り入れたりもしてたそうです。

〜8000系の増備も終了へ〜


 8000系の増備も昭和57年度で完了となり、昭和58年度以降は次期車両に引き継がれていく事になります。
 今までなら73型の置き換えをする余裕もなければ8000系以外の車両を設計する余裕も無かった東武鉄道ですがようやく最も厳しい時代を乗り越えて余裕が出てきたと言えます。
 昭和50年代も次がラストとなりますが、どんどん近代化していきますね…

ご覧いただきありがとうございます。
間違いとかあればご指摘いただけると凄い有難いです。  



2020年08月15日編集

(今後改変する場合があります。というか意味不明な文章が各所で目立つのでちょくちょく改善しますm(_ _)m)

参考文献(※交通東武以外、全て購入。一部資料は国立国会図書館にて閲覧し有料プリント。)
●とれいん(株式会社エリエイ)
2011年1月号 通巻433号
→東武8000系おくのふか道 (山賀一俊氏)
●鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション27 東武鉄道 1970〜1980
●鉄道ピクトリアル No:915 2016年3月号 特集東武8000系
→東武8000系のプロフィールは特に参考にさせて頂いております。
●鉄道ダイヤ情報2013年10月号 東武鉄道8000系電車あれこれ(花上嘉成氏著)
●ヤマケイ私鉄ハンドブック3 東武
●モデルワム 東武鉄道8000系列ディティールUPガイド(目沼 弥十郎氏)(2008年1月発行)
●東武鉄道100年史(東武鉄道株式会社)
●交通東武各号(東武鉄道株式会社)※非売品 東武博物館図書室にて閲覧
●【復刻版】私鉄の車両24 東武鉄道(ネコパブリッシング)




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