東武8000系を製作した会社紹介 | |
---|---|
![]() 日本最古級の民間の鉄道車両会社であり、戦後誕生した新興車両メーカー・東急車輛などの台頭があるまでは東京・大阪の東西に大所帯を構えていた一流メーカーでした。文字通り、機関車の製造で有名だったようですが、戦後機関車(汽車)から気動車・電車に製造がシフトされた事で業績が悪化していきます。これに伴い汽車会社でも電車の製造を開始しました。しかし不景気による発注量の減少や前述した新興メーカーの勢いに負け、結局1972年に現在の川崎重工に吸収合併され消滅する事となりました。 汽車会社製の8000系は、1963年度製の8104Fと8105Fのみ。写真のプレートはクハ8404号車1両のみで見られた貴重種です。なお汽車会社で製造された電車自体はまだまだ生き残っているはずなので興味がある方は探されてみては・・・? |
|
![]() 平成14年に新幹線製造2000両を達成した日本を代表する車輌製造会社です。 1963年〜1969年までに製造された編成の多く、特に初期の8500系(2両固定編成)が日本車輌で製造されています。しかし1970年頃に車輌製作工場が愛知県の豊川工場に統一されたため、これ以降8000系はナニワ工機から社名を変更したアルナ工機や富士重工、そして東急車輛で製造されてゆき(いずれも後述)、日本車輌での製造は終了しました。埼玉に近いだけにもし工場が蕨に残っていたら・・・という気分ですね。 |
|
![]() ![]() 関東の私鉄ですが、ナニワ(後のアルナ)工機製が多く阪急電鉄にたまに乗ると東武鉄道の面影が所々見られました。1963年の第一陣から1983年の最終増備まで製造し続けてきた会社です。ちなみに8000系とは関係ありませんが、ここで製造された車両は高い評価を受けており、第一回ローレル賞受賞車両もナニワ工機から誕生しています(人工頭脳電車こと阪急2000系)。1970年に会社名がアルナ工機(後述)に変更されています。 |
|
![]() ![]() 1970年にナニワ工機はアルナ工機に社名を変更しました。このアルナというのは、「アルミのナニワ」を略したブランド名・アルナという意味らしいです。1991年に100系スペーシアを製造しこちらも高い評価を受けています。7800系・8000系・9000系10000系・20000系・30000系など東武線上を走る(走った)車両の多くを製造してきましたが、2001年度に30000系を製造したのを最後に東武鉄道ではアルナ工機での車両製造を打ち切りました。なお、アルナ工機は2002年にアルナ工機株式会社の分社化に伴い車両部門の営業譲渡を受けて、アルナ車両株式会社として独立しています。800系・850系に使用した先頭部分はアルナ車両で製造されており、車内には津覇車輌のプレートとアルナ車両のプレートが同時に付いています。 |
|
![]() 2両固定8500系の製造にて1965年から製造に加わりましたが、 日本車輌の後を継ぐように1972年からは8000系(4両固定以上)の製造にも加わりました。30000系の製造も行うなどこちらも長年に渡り東武電車を製造した会社といえます。残念ながら、2003年3月に鉄道車輌製造事業から撤退してしまいました。 |
|
![]() 戦後誕生した新興車両メーカーですが、今や日本を代表する車両メーカーと言えるでしょう。特にアメリカのバッド社と提携し日本にオールステンレスの風を吹き込んだ功績は未来永劫語り継がれると思います(大げさ?) 本社・横浜製作所は京浜急行沿線にあるので、一部軌道の幅の違う京急の線路も通ったようです(3線軌道)。8000系が東急車輌で製造されたのは、主にS形ミンデン台車など若干のマイナーチェンジが行われた1976年以降ですが、一部の2両固定は1974年に製造されています。 |
|
![]() アルナ工機が業績不振により分社化され誕生した会社。現在はLRT車両など路面電車の車両を中心に製造。東武8000系8両固定編成を3両固定×2本に改造する際に新たに先頭車化改造する為の前面パーツを製作した為、今回名前が載ったと思われます。 |
|
前のページに戻るサイトの中に展示されている画像を転載とかしたい際はメールを送って頂ければ基本的にOKです。 |