特集:北館林の8000系達 Vol.0 東武8000系の最初の廃車について

〜東武8000系最初の廃車について〜

 最初の編成が就役してから実に44年以上が経過した2008年に入り、ようやく東武8000系の廃車が本格化してきました。しかし最近では少し忘れがちになっている事かもしれませんが、東武8000系最初の廃車は2004年の9月末頃に発生しています。なんだかんだで3年以上も経過してるんですね…(時が経つのは早いです)
 これが当時大変話題になったものですが、2006年3月18日のダイヤ改正で伊勢崎線(太田〜伊勢崎)、佐野線、小泉線(館林〜西小泉)、桐生線の一斉ワンマン運転開始(正確には小泉線だけバラバラですね)による東武鉄道では新性能電車化後初の3両固定編成の誕生が影響しました。この為に東上線の森林公園検修区に所属していた8両固定編成5編成から3両固定10編成に分割改造し、中間のサハ10両を廃車するといったものでした。

他のページでも同じ図を使ってたり… 
↑他のページで使ってる図ですが、要はこんな動きが発生しました。

留置される81101Fの車両達。妻面の塗装が残っている姿が懐かしい。
802F/852Fに改造される前の81101Fの車両達。中間のサハは修繕される事なく廃車。

 3両固定に改造される8両固定編成ですが、津覇車両に入場後はやはり3両、3両、2両(廃車されるサハ)に分けられ場内に留置されます。工場のピットに開きが出来ると改造される編成は中に入り、サハは後日半分にカットされ北館林の解体場所へ陸送されたようです。ちなみに東武鉄道の公式な廃車の日にちを見ると…。

番号廃車年月日編成の津覇入場日
サハ8995・89962004/9/282004/9/末頃
サハ89101・891022004/12/142004/12/中旬頃
サハ8987・89882005/4/12005/3/16
サハ8993・89942005/6/92005/6/初旬頃
サハ89103・891042005/10/12005/8/初旬頃
(※:鉄道ピクトリアル2008年1月増刊号のP275参照)

 と以上の様に津覇車両に入場した日に極めて近い日に廃車扱いになっている車両もあれば違うものもある。例えば8187Fは3月16日に入場しているが4月1日扱いになっている。財務計上の関係でそういう扱いにしてるのかもしれませんが、とりあえずサハ10両に関しては津覇に入場した時点で廃車扱いになっていると考えて宜しいみたいですね。
 ちなみに、近年廃車された車両を見てみると5050系や1800系通勤改造車は北館林に回送された日が廃車年月日という東武鉄道からの公式発表が出ています。すなわち北館林に回送される=廃車回送と考えて良いという事になり、8000系も編成単位で北館林に回送され始めているが、まず廃車回送と断定して間違いないと言えます(一部例外もある疑惑???)

 話を元に戻しますが廃車されたサハ10両も津覇から北館林の解体場所まで輸送されるまでそんなに日にちが掛からなかったと思います。以前は留置されていた車両もしばらくすると消えていたという感じです。しかし最後に津覇に入場した81103Fのサハ89103とサハ89104だけは津覇に長期間留置されていました。事実、自分が最後に目撃したのは2006年9月であり、津覇へ回送されてから1年が経過しています。これはサハ2両が津覇で物置扱い(?)されていた為という話を耳にしましたが、真相は不明です。流石にその後津覇の場内のスペースの関係で北館林に陸送されたのか現在その姿を見る事は出来ません。

89103
津覇に1年以上留置されていたサハ89103。銘板などは撤去され廃車体である事を物語っている。

 今回は編成単位での廃車が始まる以前のサハの廃車回送についてご紹介しましたが今後も廃車回送が進み徐々に数を減らす東武8000系。おそらくそれも長期に渡ると思いますが、その第一陣の内容を忘れない内に自分自身振り返ってみようと思いここにまとめてみました。文章ばっかりで恐縮ですが、ご覧頂きましてありがとうございます。感想やご指摘などは掲示板かメールでお願いしますm(_ _)m

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