特集:北館林の8000系達。 Vol.1 未修繕編成、七光台へ | |||||||
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東武8000系初の廃車から実に3年近くが経過した頃にはもう“東武8000系についに廃車が発生!!”の衝撃の熱もすっかり冷めていました。そもそも2004年〜2005年において中間のサハが廃車されるだけでしたので、それよりも新たに誕生した3両固定編成の800系/850系の方に注目が集まったと思います。 そして初の廃車から2年以上が経過し、50000系列の増備も順調に進み車両数的にも余裕が出てきており尚且つ5050系の解体も完了したとあっては車齢の高い編成の検査時期が近づくにつれて「廃車か?」の声が聞かれたのですが、なかなか編成単位での廃車は発生しませんでした。そうこうしている内に初期の編成は就役から44年が経過し、未修繕の編成においても相変わらず修繕し続けるといった状況が続いていました。 しかしファンの予想を裏切った後でそれを更に裏切るといった形となり結局2008年になって東武8000系初の編成単位での廃車が発生した訳ですが、最初に北館林に回送される事となったのは七光台検修区の8134F-8523Fでした。思えば8000系最初の廃車と関わりの大きい8195Fの801Fと851Fの改造の際にクハ8434、モハ8523の運転台機器などをそれぞれ元モハ8395(現モハ801-3)、元モハ8296(現モハ851-1)に流用した編成でした。ちょっと運命的なモノを感じます。 (※注:機器の元と流用先の編成についてはどの編成からどの編成にどの機器が流用されたかという正確な参考文献はありませんが津覇に入場した順番と運転台撤去工事の順番から判断しております。) 何故8134Fと8523Fが最初の廃車となってしまったか。それは2007年8月に客室内で小火(?)騒ぎを起こしたからだそうです。 (※注:配電盤系統において過電流による出火が発生したという説がありますが、何故その様な状況にいたったのか、またその説自体の真否も不明です。) 幸い乗客に大きな影響は無かったのですが、一歩間違えば乗客の方に危害が加わる程の重大な故障を発生させてしまった為、事故の発生時を最後に8134F+8523Fが本線上を自走する事はありませんでした。事故当時は後で別の8000系に救援されて七光台まで牽引されています。 結局8134Fと8523Fは運用を離脱してから数ヶ月で廃車回送される事になりますが、ここで問題が。って問題って訳でもないのですが、重大な事故を起こした日以来本線を走行してはいなかった同編成達ですが、その事が影響してか自走ではなく別の編成の牽引による回送となりました。 そしてこの牽引にまさかまさかの8578F+8571F+8580Fの南栗橋区春日部支所に残る8000系最後の未修繕3編成の緊急登板!!流石にこれには東武鉄道ファンも驚きを隠せなかったようで大勢のファンが沿線に掛けつけた…ような気がします。 当日は先に七光台区により8134Fと8523Fの様子を確認しに行きました。ネット上でこれらの様子が紹介されていましたが、何やら怪しげな動きがあったので自分の目で確認しておきたいなと思った為です。 中間運転台機器撤去工事後は滅多に見る事の出来なかったクハ8434 こちらは同様にモハ8523。ライトが乗務員室内に移植されています。 8523にあった謎の前照灯はクハ8623より移植したもののようです。 最初は意味不明だったこの移植でしたが、後の回送のやり方で真意が明らかに。 ※この画像だけ夕方以降に撮影しました。 係員による最後の調整が行われていました。 8580Fはレアな団体専用・たびじ表示でした。ファンへの手向けの表示??? 14時ちょっと前、ついに8578F+8571F+8580Fが動き出す。 未修繕の編成が3本しか残っていなかったので珍しいシーンですね。 当日は本当に気持ちの良い天気でした。 手前:8139F 中央:8578F 奥:8568F 退避している1時間、様々な車両との顔合わせがありました。 出庫時、8580Fは変わらず団体専用たびじ表示で、 8578Fは最後の本線運用で表示した区間準急北春日部でした。 後々知ったのですが、北春日部から春日部まで回送された後春日部で長時間停車となったようですね。このままここら辺で張ってから移動すれば良かったなぁと思いましたが、最早後の祭りですね。 そんな訳で僕は車で七光台まで移動しました。が、途中光線状態の良い藤の牛島〜南桜井で撮影をしていきました。ここで撮ろうか迷ったのですが七光台に入庫するシーンが撮りたかったので結局移動です。七光台にはギリギリに到着しましたが、やはり他のファンの方が多かったです。時間は既に5時を越えており露出が心配されましたが何とか撮影する事が出来ました。 露出はギリギリ、開放で撮影したら…ピン甘〜 しかし何とか走行が撮れる時間帯に来てくれて良かったです。 ホーム到着後、すぐに入庫。未修繕の編成をここで撮影出来ようとは… 見慣れない顔が七光台検修区に佇む… ※御覧の通り、画像を編集してます。(顔が目立つように暗くしてます) 8578Fと8115F。2ヵ月後、彼等は北館林に場所を変えて再会する事に。 この回送の数日後に8578F+8571Fと8580Fがそれぞれ8134Fと8523Fを北館林(渡瀬北留置線)へ牽引していきました。この回送は8134Fと8523Fは自走出来ない状態だったので普通は設定されていない(?)深夜時間帯の回送となりました。真冬の深夜と言えば凍てつく寒さで外出すらしたくない時でしたが、熱心なファンの方が最後の様子を撮影に行かれたそうです(自分も行く気満々でしたが、行く気があるだけで現実は目の前の仕事に追われ上京どころか現場から出る事すら不可能でした^^;) 北館林の8000系達というタイトルをつけましたが、いきなり北館林と関連の無い画像から始まりました。と言うのも結局この時8134Fと8523Fを牽引した8571F、8578F、8580Fの未修繕3編成もそのまま廃車となってしまうようです。このページでは最後まで残った未修繕の3編成が6連を組み、ましてや野田線を走るという貴重な記録は編成単位での廃車回送の始まり、プロローグという事でご紹介させて頂きました。そして本編となる北館林での撮影記は次回お届け致します。また感想やご意見等ございましたらメールか掲示板にお願い致します。m(_ _)m またこの日貴重な編成の回送を目にする事が出来たのは情報を提供して下さった方がいたからです。この場を借りて御礼申し上げます。
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