近年の鉄道車両の製造は、通勤・近郊電車の標準仕様ガイドラインが制定されたり、各鉄道会社、メーカーが長年積み重ねてきた経験からより効率的な車両製造が考案され製造されるようなったと言えます。製造コストの削減や消費電力を低くしつつも、高性能な車両が当たり前となり、コストだけでなく環境や運行の面で非常に有利なやり方が確立されてきたと感じます。その反面、ほとんどの会社において会社間での違いが無くなり、画一的な車両ばかりが登場した事で面白みが失われてしまったとも言われます。
これは技術的に成熟したというのが大きいと思います。更に極力同じ物を作ればそれだけ扱いは楽ですし、新たに設計するコストも削減されます。特に近年では地下鉄路線網が整備された結果、他の鉄道会社との相互直通運転が当たり前になりつつあります。そんな中、規格だけ合わせれば乗り入れは可能だと言う事で、ある路線では会社の車両によって車椅子スペース位置の違いやら、接客設備の違いが見られる様になってきました。流石に新車になれば共通の仕様を定めようという協定が結ばれてはいるようですが、個人的にこれはサービスの面で言えば利用者に優しくないなと感じています。だからこそ相互直通運転をするぐらいならいっその事、会社間で乗り入れだけの規格だけでなく、接客設備の仕様も統一をするべきとすら感じています。
そしてある会社の設備が豪華なのにもう片方の会社は設備が質素というのが見受けられます。当然お金に余裕が無い会社の方が質素になるのは当然と思います。同じ運賃を払っているのに乗る車両によって設備が違うというのは如何なものかと思います。それならいっその事、相互の会社において全く同じ車両を製造してしまえばそれだけコストが下げられる、浮いたコストで設備をよくする事は可能だと思いますし、車両が全く同じであるなら特に緊急時には乗り入れ先でも取り扱いが楽になって一石二鳥の様に感じられます。
(右上へ続く)
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と言っても一見もっともらしく書いている話が実現しないんですから(グループ間の会社同士では実現している所もありますが)、理由はいろいろとあるんだと思います。それは知る人ぞ知るといった所でしょうか。
ちょっと話が脱線してしまいましたが、一方で今回触れる1960年代の鉄道車両と言えば、各鉄道会社だけでなく、様々な車両製造会社が存在し、それぞれが独自のデザインや新たな技術を取り入れる姿が当たり前となり、個性的な車両が数多く誕生していました。これこそ鉄道ファンから見れば面白いのですが、逆に開発する側、導入する側からすれば設計等に多大な費用と時間が掛かり、一言大変だったというのが実情だったと言えます。
更に1960年当時は現在と違い、軌道の状態が悪く、電力供給設備が少なかった事、検査等の施設も狭くて少なく、尚且つ検修設備自体も現在の様に機械化されておらず、多くの人手を割いて検修されていました。そんな悪条件にも関わらず、現代とは比較にならないスピードで利用者が増え続けてしまった事で、車両の新造ペースを急激に高めなければ輸送そのものが破綻してしまうといった状況に追い込まれてしまうという非常に苦しい時代だったでしょう。
そんな中で、各鉄道会社やメーカーが様々な技術を開発し導入したのも最も効率的な方法が確立されていなかった事の裏返しと言えます。その為、新技術の開発にメーカー、国鉄、私鉄のいずれもが積極的になり、そのデータを得る為に様々な試験が行われました。1章では東武鉄道が初めて本格的に導入したカルダン駆動(直角カルダン駆動)、他には空気(摩擦)ブレーキから発電ブレーキへの移行、1M方式からMM’方式(全電動車方式)への移行、台車の改良や軽量化、車体の軽量化、車内設備の改良(リクライニングシート、扇風機、蛍光灯、洋式トイレ等)導入について触れました。
そして昭和30年代の中盤から後半に掛けてはこれらに加え、電車の心臓部である制御装置や電動機の進化も見られました。
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