東武8000系の歴史


第3章:東武8000系登場 その3

4.東武鉄道新型通勤車8000系製造までの経緯と検討、採用内容について

【4】床下:故障の少なさ、簡素な構成により省メンテナンスを徹底した走行機器類


▲日本車輛製造発行の本に記載されたいたと思われる当時の東武8000系の図面です。
添付しているのはそれをコピーしたものか不明ですが紙で手に入れた物をスキャンしています。
図面日付が昭和38年4月15日となっており8106Fがこの年の10月に落成しますので約半年前の段階の図となります。
この図面にも寸法の修正が記載されており急ピッチで第一編成が新造されていたのだと感じますね。
 次は床下についてですが、ある意味車体以上に検討が必要だったのが走行機器類だと言えます。車体が結局オールステンレスが普通鋼製になったとは言え、当時普通鋼製を採用する事自体は何ら問題は無くごくごく普通な事だったからです。

 しかし走行機器類についてはそうもいかず、大量増備が控えていた事を考えると将来の増備を見越した性能、簡素な構成で故障のしにくい機器類、メンテナンスのしやすい配線、機器類である事が重要視されました。すなわち東武8000系のキモは床下機器や走行システム等にあります。

 当時は1960年代前半と違い全電動車方式の見直しが各社で起こる風潮となっていました。これはまず第一にコスト削減が考えられます。電動車と非電動車ではモーター、制御装置、主抵抗器、発電制動車ならブレーキ用主抵抗器等といった高価で重量のある物が必要となりとにかくコストがかさみます。(大まかな機器以外にも多種多様な機器が鉄道車両には必要です。)重量が増えれば電気代、軌道破壊の増加による保守費用の増大も考えられます。

 当初鉄道各社においては加速度・減速度を高める事によって所要時間の短縮、スピードアップによる本数の増加をはたそうとしていたのですが、特に加速度においては極端に挙げてもそれほど大きな効果が見られないというのが前述した国鉄の101系にて立証されていました。
 また一方で私鉄各社が競って誕生させたオールM車による加速度4.0km/h/sという化け物じみた性能はトータルして見ると最良と呼べるものではないという結果も出て来ており各社は転換期に迫られている時期にも差し掛かっていました。

(右上に続く)

 例えば加速度1.6km/h/sを限界ギリギリと言われる4.5km/h/sまで上げても結局1駅で数秒程度の時短程度にしか繋がらないとの事で(条件は様々でしょうが)、とにかく全電動車による高加速化はコストに見合う効果は得られないというものです。

 これも3.0km/h/s程度あれば十分ではないかと言われたそうです。当時の地下鉄車両だと4.0km/h/s程度でしたが、現代の地下鉄車両が加速度3.3km/h/sとなっていますのでこれが理想的な数値なんでしょう。で、これなら全電動車でなくともMT比1:1で実現可能だと、前述した小田急HE車で付随車を連結した車両でも加速度3.0km/h/sの車両が誕生しています。こういった見方も出て各社では一気に通勤型電車の全電動車方式からの脱却を図る事となりました。

 一方で減速度のアップは時間短縮に大きな効果を発揮する事が証明されましたが、発電ブレーキがメインの場合だと当然電動車が減れば制動力は落ちます。国鉄では101系の後継に製造した103系試作車では8両編成でMT比1:1という大前提があり従来より電動車が減る為、制動力を発電ブレーキで優先的に行う制御にしては粘着係数が確保出来ない事もわかりました。すなわち空気ブレーキも必要だという事が明らかでした。

 この様に電気ブレーキにも当然強み弱みがありましたが、私鉄電車と違って使用電力を抑える為に加速性能が低くなっていた国鉄電車では制動力を高める事によって所要時間短縮や運用本数の拡大を目指していました。国鉄車両が発電制動を備え、かつT車にはブレーキにより車輪踏面を傷めるリスクの低いディスクブレーキを採用したのは制動力をとても重要視していた事の裏返しでしょう。



 以上の事も踏まえてですが、東武鉄道では新型通勤車について以下を採用としました。

4-1.コストの低減を狙い、全電動車方式ではなくMT比1:1としました。
4-2.ブレーキについては発電ブレーキは採用せずに空気ブレーキのみとし回路の簡素化を図りました。

 今まではステンレス導入とか運転台の補強等コストが上がりそうな話ばかり出してましたが、コスト削減を狙った案も採用されています。全電動車方式で発電ブレーキがメインの日比谷線直通用の2000系とは全く異なる方式となっています。

 4-1.と4-2.の条件で同業他社(東西大手私鉄)と比較してみますが、昭和38年当時(1年程度の前後含む)で4-1.のMT比1:1(あるいは3両なら2M1T)の新車を製造した会社は阪神(7801系)・阪急(2000・2300系)・近鉄(900系)・南海(6000系)・小田急(2400・2600系)・京王帝都(3000系・5000系)・西武(601・701系)、そして東武(8000系)です。これだけ見れば全電動車方式にしなかったのは自然な流れに思えます。なお今名前が挙がらなかった会社の車両はその大半は地下鉄直通の乗り入れ協定の為に全電動車としないといけないからだと付け加えておきます。(京急旧1000形、東急旧7000系、京成3150系等)

 ところがここから4-2.の電気ブレーキを省略した会社に絞ると…阪神(7801系)・西武(601・701系)・東武(8000系)の3社しか残りません。これが非常に興味深い所です。
 電気ブレーキ(発電ブレーキ、電力回生ブレーキ)のメリット・デメリットについては前章含めダラダラ記述してきたので説明を省略しますが、何故昭和40年にもなろうかという時期に電気ブレーキを省略した会社が3社のみだったのでしょうか。(3社と言っても大手に限定し、中小私鉄は省略してます。)

 当然コストの削減や保守の簡素化をあるでしょうが、それ以上にあったのは既存車両との連結を可能とさせる為でした。阪神の7801系は1編成2両で製造されましたが、その形態はMc+Tという片側にしか運転台がないという個性的な車両であり、これは当時のラッシュ時に大型車に混じって小型車を連結して運転するほどの車両不足を解消する為に誕生した車両だったからです。
 すなわち既存の車両との連結を考慮して電気ブレーキは採用されませんでした。

(右上に続く)
 これは西武の601系と701系も同様であり、601・701系は極度のコスト削減施策によって近代化が遅れていた西武鉄道初のカルダン駆動車であり、新時代を予感させる車両…となるはずだったのですが、こちらも既存車両との連結を考慮する為に電気ブレーキは省略、それどころか旧型車との連結を最優先する為に電磁直通ブレーキを採用せずに、運転のしづらい自動ブレーキを継続して採用していたほどでした。西武鉄道はこの徹底した運転方式の共通化によって1963年に大手私鉄で初の10両運転を池袋線で開始している訳ですが、当時の写真を見ると20m車、小型車、3扉車、2扉車と旧型車と新型車を目まぐるしく連結しての10両編成だったのです。

 となると東武8000系も既存車両との連結を狙って電気ブレーキを省略したのか?と言うと、そうではなく78型までの自動ブレーキは採用せずに当時では一般的な応答性の良い電磁直通ブレーキを採用したのでした。すなわち既存車両との連結を考慮せずに空気ブレーキオンリーとした大手私鉄は東武鉄道の8000系のみだったのです。(大手じゃなければ相模鉄道6000系も電気ブレーキ省略でしたけね…何か東武8000系と相鉄6000系って共通点多いですよね。新6000系になったら顔が凄い似てるし…^^;あ、相鉄は今は大手私鉄ですよ)

 この背景にはコストに見合う効果が得られないという見方があったようです。特に東武には大量の吊り掛け駆動の電車がおり、またこれらが今後も主要路線を含め必要となる事が明白な状況でした。それを考えると大幅なスピードアップが望めない以上は無理に発電ブレーキを装備した所でその効果を発揮出来ないという検討結果だったのす。

 事実この見立ては全く正しいものでした。結局東武においては戦前の32型電車を更新し平成に入るまで使い続ける事となり、次代の78型についても同様に更新され平成20年近くまで使われる事となりました。電気ブレーキが必要な状況が訪れる事になるのは更に次代の車両達が誕生した後となります。





4-3.ブレーキ:HSC(電磁直通ブレーキ)方式とし、制輪子に新開発の合成制輪子を採用し制動力確保を図った。

 コスト削減の為に発電制動をカットするのは結構な事ですが、しかし従来通りの方式ではブレーキ力が確保出来ない為に最高速度の向上が見込めなくなってしまいます。これは全電動車方式を諦めた各社にも言えた問題でしたが、そこに現れた新兵器が高摩擦係数の合成制輪子(レジンシュー)でした。
 これによって空気ブレーキにおいても制動力を高める事が可能となり再度空気ブレーキが見直されるキッカケとなり、各社は気兼ねなく全電動車方式から脱却する事が出来たのです。

 東武8000系においてもレジンシューのおかげで減速度は常用で3.7km/h/sを確保しています。これは発電制動の車両と比較しても何ら大差無い数値となっています。むしろ当時出始めていた電力回生制動と比較すると、全速度域で一定のブレーキ力が得られるという意味でも信頼性も高いと言えます。これは電力回生制動が主流となった現代においても非常ブレーキでは空気ブレーキが使われている事からも伺えます。
 電気ブレーキは応答性、制動力、メンテナンスフリーの面で有利ですので優先的に使いたい方式である一方で使うには何かしらの条件が必要となります(それなりの速度が出ていなければ発動しないとか架線電圧の関係で発動しないとか。これらは近年だとほぼ解決している話ですが)、イコール発動しないケースがある事を意味します。だから大抵のケースでは非常ブレーキも電気ブレーキを併用した方がすばやく停止出来ると思えるのですが、それでもフェイルセーフの観点から非常ブレーキはトータル的な制動力よりもどんな条件においても確実に発動するという点を最優先し空気ブレーキが採用されるのです。そしてこの空気ブレーキ系統に異常があれば即非常ブレーキが掛かる様になっているので、空気ブレーキは最終防衛ラインとも言えるシステムです。

 東武8000系では摩擦(機械)ブレーキの踏面ブレーキ方式を採用しています。これは空気ブレーキ圧の調整によってブレーキシリンダーを動かしブレーキてこに力を伝達し制輪子を車輪踏面に押し付けて摩擦を与えてブレーキ力を得る方式です。車輪に摩擦を与え続けるので、車輪の直径が徐々に小さくなっていってしまいますが、摩擦係数と制輪子の押し付け力が一定であれば一定のブレーキ力が得られます。鉄道車両の最初期から使われるブレーキの基本方式と言えます。また踏面ブレーキ方式は車輪の踏面に制輪子を当てる為、踏面への付着物も除去できるという利点もあり、最大粘着力を常に確保出来る方式でもあります。逆を言えば踏面ブレーキを採用していない車両ではこれを実現する為に別に車両踏面清掃装置を設けるケースがほとんどです。(例えば車輪の摩耗に影響をしない程度に弱い力で踏面に清掃用の研磨子を押し付けるものとか)8000系では摩擦ブレーキオンリーですので、踏面ブレーキ方式でも全ての車輪に踏面ブレーキが作動する抱き合わせ式を採用しています。電気ブレーキを採用している車両ではこの方式はまず採用されず、片押し式となっています。

 前述しましたが空気ブレーキは電気ブレーキと違ってどんな条件でも確実に発動するという優位性はあります。しかしそれはあくまで通常時の場合であって、空気ブレーキには様々な欠点があります。上でも出てきましたが、制輪子の押し付け力は一定に作動するのですが、摩擦係数については天候等の条件によって大きく変動してしまう為、実は一定のブレーキ力が得られないのです。特に降雨や降雪でレール面と踏面が濡れたりする等でその変動幅は最大で数十%に及ぶと言われます。(ちなみに雨天・降雪時は合成制輪子よりも従来の鋳鉄製制輪子の方が制動力が良いらしいとか)
 そして下り勾配区間が連続する区間では出過ぎた速度を抑える為にブレーキを小まめに掛けなければいけませんが、こういった運用を当たり前の様にしていると制輪子や車輪が摩耗で早くすり減ってしまったり、極めつけは強力な空気ブレーキを掛けた時に車輪が完全にロックされてしまい(回転しない状態)、ある一定の面だけが極端に削れてしまう滑走という現象が発生してしまい、それがフラットの発生となり、乗り心地が極端に低下してしまう欠点がある事です。昭和後半から滑走検知装置が当たり前になってきましたが当時はそんな装置はありませんでした。



(右上に続く)
 前述した踏面方式のデメリットを解消するべくもう一つの機械式(摩擦)ブレーキにディスクブレーキ方式というのがあります。これは車輪踏面に制輪子を当てて制動力を得るのでは無く、ブレーキディスクという摩擦円盤を車軸等に固定し(すなわち車輪と一緒に回っている状態)、これに制輪子(ブレーキライニング)を押し付けて制動力を得るといった方式です。これなら車輪を削る心配も無く、踏面形状に影響を与える事が少ないです(車軸に固定しているという意味では滑走は相変わらず発生してしまうでしょうが)。ディスクブレーキの欠点は、特に電動台車においては電動機と一緒に設置するスペースが無いのが挙げられます。その為電動車ばかりで組成されている新幹線では車輪ディスクブレーキ方式を採用し(新幹線の車輪がツルツルな見た目のはその為)、在来線でも一部の私鉄では車輪の外部側にディスクを設けているのが見受けられます(かつてあったパイオニア3台車や関東近郊ですと相鉄の車両等でよく見られます)。また上記述べましたが踏面の清掃を行う装置が別途必要になります。国鉄車両では特に付随車においてはディスクブレーキを採用し、電動車では発電制動と踏面ブレーキを併用する方式を長年取って来ました。

 8000系の方に話を戻すと、空気ブレーキ(踏面ブレーキ)方式は制輪子と車輪の摩耗が激しいという面で不利でした。合成制輪子についてはそれまでの鋳鉄製制輪子に比べて寿命が3倍〜4倍に延びたみたいですが、何にしても電気ブレーキ採用車に比べれば部品交換の周期が短くなる事によるメンテナンスコスト増大や環境による制動力の変動、フラット発生による乗り心地の低下という面等のデメリットが多い方式ではあります。

 しかし何と言っても電気ブレーキ採用は主回路の複雑化による面で不利でした。回路が複雑になり、それはイコール制御装置の大型化等にも繋がりメンテナンスの手間がかかります。コストという面では確実に電気ブレーキを使わない方が安上がりでしょうし、前述しましたが当時の東武鉄道の一般車両という観点で見れば旧型車両と混同して使う以上は空気ブレーキだけにしたのは正解だったでしょう。空気ブレーキだけなら電空の切り替えも無いので余計な衝動も無いですし、ブレーキ時に電動機を発電機として動かさないので電気ブレーキ車よりかは静かに減速していきますし。

 ところで現代においてレジンシューの摩耗した独特な匂いは8000系の代名詞と言われていますが、このレジンシューの匂いは最新の車両でも堪能(?)出来ます。結局最新の回生制動車においても高速域では回生制動が満足に効かずに必然的に摩擦ブレーキの助けが必要になりますし、回生失効が発生すれば摩擦ブレーキとなるからです。条件が揃えば最新車両でもこの現象から逃れる事は出来ません。

 あ、また話が逸れた(汗)。レジンシューの匂いで話がそれたのでついでですが、8000系通勤車では発電ブレーキを採用しなかった東武鉄道ですが、発電ブレーキ自体は特急車両や2000系で採用実績がありました。しかし電力回生ブレーキについては実績が無かったので、採用検討の際に他社(海外)の例を参考に考えたそうですが、良好な結果では無かった為に断念しています。まぁ当時の回生ブレーキなんてとにかく高価でしたし、よっぽど高密度の区間しか走らない電車以外採用はしない方が無難だったので当然の結果でしょう。ちなみに東武鉄道では昭和20年初め頃にデッカー・3210系を使用した電力回生ブレーキの試験を日光線で行っていたそうですが、これは常用ブレーキとしてではなく下り勾配での抑速用としてでした。(下り勾配での回生抑速ブレーキが本格的に採用されるのは10000系まで待つ事となります。また10000系は常用回生ブレーキ車でした)

 まぁそんなこんなでダラダラと書いたのをまとめると、8000系では7800系の自動空気ブレーキ方式(鋳鉄制輪子使用)に比べると応答性もよく制動力も高い合成制輪子使用の電磁直通ブレーキ(HSC)が採用されました。非常に運転しやすくなったと言えるでしょう。なお制輪子は当初は既存車両との共用も考えられてか鋳鉄製制輪子に交換する事が可能だったそうです。実際に交換して使われたかどうかは分かりません。

 ちなみに8000系に当初採用されたレジンシューはすぐに不具合が発生したみたいで年々メーカーと二人三脚で品質改良を加えていく事となります。


 さて、ブレーキにおいて発電制動は必要無いよという事で、そこまで高性能な性能にはしないという姿勢でしたが、それでも減速度は3.7km/h/sとなっており、加速の方においても2.5km/h/sを確保しており、性能的に悪くなくむしろ結構良いと思います。さてここで東武8000系の電動機と制御装置についてふれてみます。


4-4.電動機は出力を高くし、更に高速域の走行性能を高め短距離にも長距離にも使用出来る物を製造した。

 電動機については、MT比1:1達成する為に必然的に大容量の物を採用する訳ですが当時の狭軌鉄道の平行カルダン駆動車では最大出力(標準軌を含めると複巻電動機で150KWの阪急オートカーが最大だったでしょうか?)とも言える1時間定格130KWのTM63形電動機がM車2両に合計8個搭載されました。

 1700系の頃は中空軸平行カルダンでは75KW程度の出力が限度と言われた頃からは凄まじい進歩であり、これは絶縁材料の進歩によって小型で大出力の電動機が開発可能になったそうです。8000系では完全F種(許容温度155℃)の絶縁体を本格採用しているそうな。

吊り掛け駆動の電動機とカルダン駆動の電動機比較
左が78系(5050系)の電動機、右が8000系の電動機です。
吊り掛け駆動の電動機がいかに大型かが伺えます。

 なおこの電動機は中・長距離電車に使用される事も考慮されてか高速域の加速向上の為に補極・補償巻線付となっています。原理はよく分かりませんがこれらによって高速域に行くに連れて邪魔をする電機子反作用が抑えられるそうで、界磁が20%まで弱められるのが特徴となっています。8000系では30%までに抑えられていますが、この電動機は後々6000系(現6050系)や1800系にも採用されており、その際には界磁を20%にまで弱めて使用されていきます。
 この様に電動機の出力の選定も慎重に検討され、通勤車だけでなく急行タイプの車両でも使用出来る様な物が製造され、後々部品共有化等の面で多大に貢献する事となります。またこれによって8000系自体も長距離列車や無料優等列車に使用しやすくなりました。(事実6000系は8000系製造の翌年に誕生しているのでこの時点で共通で採用出来る電動機を模索していたと考えられます。)※限流値とかの話も出したいですが、不勉強過ぎるのでパスします。


4-5.制御装置は粘着性能を高める為に多段カム軸制御から超多段バーニア式カム軸制御を採用した。

 制御方式については、従来の多段カム軸制御ではなく、車体の軽量化(4両編成でたったの120t)とMT比1:1(Tc+M+M'+Tc)とした事で超多段バーニア式カム軸制御が採用されました。これは前述した小田急のHE車等と同様に粘着の面で不安が発生したからだと思われます。

 軽量化により粘着力が不足すれば空転が起こりやすくなり、スムーズな加速が難しくなってしまいます。ですので、あえてコスト削減を図ろうとしていた8000系対してに回路が複雑になり更にメンテナンスの面で不利となるバーニア制御を採用する事となってしまったのです。

 しかしバーニア制御となった事で抵抗の段数が増えるので抵抗制御の弱点と言える急激なトルク値の変化を極力抑える事に繋がり、粘着力が増えた事で進段時の乗り心地が従来車に比べ大きく改善されました。また発電制動採用を採用していないので制御装置の大型化、複雑化は回避され比較的シンプルに仕上がっていると言えます。

 東武鉄道はバーニア制御を究極の抵抗制御として紹介していますが、後々に電機子チョッパ制御やVVVFインバータ制御が誕生するまでの高粘着な制御方法としてはまさにその通りだったと思います。これは一般の電車以上に粘着力が重要視された電機機関車において、吊掛駆動の採用、自重を上げるだけでなく、制御方式にバーニア制御が採用されてきた事からも伺えます。



(右上に続く)
 8000系の抵抗制御の段数は起動時の弱め界磁1段、直列制御24段、ここで並列制御に切り替わり並列制御21段、そして弱め界磁制御9段と合計55段となっています。それまでの78系と比較すると、総数18段ですから段数だけで3倍にもなっており、それだけ急激なトルクの変化を抑える事に繋がり前後衝動を抑え乗り心地が改善されました。

 個人的には起動時に衝撃が強いのと(これはどうもブレーキの緩解の反応が悪いのが原因みたいですが)、直並列時のワタリの際の衝撃が大きいのが気になります。なお下に制御装置の画像を添付しますが、左が78系の制御装置を再利用した5050系で右が8000系の翌年に誕生する6000系の制御装置です。6000系は発電制動付きの為に、バーニア制御を採用せずにむしろ回路を簡素化する為に永久直列制御(直列18段、弱め界磁6段)を採用したのですが、それでも制御装置自体はかなり大型となっています。

 8000系では検討に検討が重ねねられ発電制動機能がカットされましたが、それほど発電制動は装置の大型化、回路の複雑化に繋がるという訳です。なお肝心の8000系の制御装置の写真が無い訳ですが、東武博物館に行けば8000系のVMC-HT-20A形制御装置の本体が展示されていますんで興味ある方は見て下さい。

 意外にも7800系の制御装置と大きさが変わらないのが特筆されます。実際にはカムの数が大幅に増えており複雑にはなっていますが、バーニア制御を採用しつつもシンプルな制御装置にまとまっているのです。

78系と6000系の制御装置比較
8000系制御装置
上段の左が78型(5050系)の制御装置、右が6050系(旧6000系)の制御装置です。
下段が8000系の制御装置です。6050系の発電制動用のデカさがよく分かります。
中段に蓋がしたままの78型と8000系の制御装置を添付しますが、外観はほぼ同じに収まっています。


?-6.台車にはミンデンドイツ式軸箱支持方式の空気バネ台車を採用した。

78系(5050系)と8000系の台車比較
下が78系(5050系)の台車、上が8000系の台車です。(住友金属製FS056台車。M車はFS356)
7800系は画像の住友金属製のFS10台車で、この他に日本車両製のNL10台車の車両もいました。
78系は基本的に軸箱守+単式コイルバネの軸箱支持方式で
枕バネがコイルバネどころか重ね板バネと言うのが時代を感じさせます。
8000系も78系同様の車体支持方式がスイングハンガー(揺れ枕吊り)式で
インダイレクトマウント式やダイレクトマウント式ではありませんでした。

 さてバーニア制御についてダラダラ書きましたが、車体の軽量化を徹底した結果の一つとしてバーニア制御を採用する事となった訳ですが、この車体の軽量化がもう一つの弊害を起こします。それは車体を支える台車の枕バネには当然従来通りのコイルバネを採用しようとしたのが、全体の自重が相当軽量化され、更に乗客の定員数が増える20m車である為に積空時の荷重差が大きすぎて適当なバネ係数の圧縮コイルバネの選定に困難したという事でした。そこで枕バネに当時では特急型車両での採用ぐらいでしか見られなかった空気バネを採用する事となったのです。

 どういう事かと言えば、閑散時とラッシュ時で床面の高さが変わってしまう可能性があったようです。空気バネは高価というデメリットはありましたが、車体への振動の減衰効果が大きく、振動を減衰する乗り心地の良さに付随して車体床面の高さを一定に出来、空車時と満車時で床面の高さを一定に出来るメリットに繋がりました。考えてみれば、例えば定員150名の車両があったとして、満車時の混雑率を250%とすると375名、一人辺りを60kgとしても22.5tになる。極端な話、付随車1両分がよっこらせと載っているのと似た様な状況になっています。枕バネがコイルバネの場合、この重量差をカバー出来るだけのバネ定数が確保出来なかった、という事が懸念されたのです。

 枕バネがコイルバネの場合、通常オイルダンパー(上下振動を抑える役目を果たす)を併用するのですが、その場合と枕バネに空気バネ(形状は3段ベローズ形)を用いた場合との保持費は後者が多少高けれどほとんど差が無い事から、前者の床面の高さを維持する事を最大の目的とし、可変荷重機構を容易とする為に空気バネ台車を採用する事としたのです。なお台車には一次バネ(軸バネ)と二次バネ(枕バネ)に分かれていますが、軸バネについては従来通りコイルバネが採用されていますが、コイルバネが二つのウイングバネとなっています。

 本来なら枕バネにコイルバネ採用のはずが高価な空気バネ採用とまたもやここでコストアップとなってしまったのです。大量増備をしない会社ならまだしも初年度にいきなり60両という大量増備を計画していた一般通勤電車とは思えない選択肢でした。

 そこでこのイニシャルコストの増化をランニングコストの低減によって回収しようと、先に空気バネ台車が採用されていたDRCや2000系に採用されたのとは違った新たな空気バネ台車の採用に踏み切る事となりました。8000系では台車の軸箱支持方式にミンデンドイツ式と言われる水平・垂直の2枚の板バネで軸箱の前後を支える台車が採用されました。

 この台車の利点はとにかく保守の手間がほとんど掛からないのが魅力的な台車となっており、DRCや2000系で採用されたアルストムリンク式の台車に比べて軸箱の前後に板バネを配置する為にどうしても台車の全長が長くなり製造が難しいという難点はありましたが、前後にL形と-形の維持板バネを配置しL形に配置した垂直板バネが前後移動の際にたわむ様になっているので摺動(しゅうどう)部の磨耗がほとんど無く、磨耗による乗り心地低下が発生する従来の方式に比べて保守の面で有利であったという訳です。保守がいらないという事はそれだけ良好な状態を常時維持出来るのでそれがそのまま乗り心地の良さにも繋がります。

(右上に続く)
 この頃は国鉄で一般的になりつつあるペデスタル方式(軸箱守式)を筆頭にミンデンドイツ式やアルストムリンク式以外にも数多くの軸箱支持方式の台車が誕生していますが、ミンデンドイツ式は様々な方式の中でも評価が高かったと言えます。これは東武8000系と同時期に誕生した日本初の新幹線・0系電車においても台車の軸箱支持方式にミンデンドイツ式をベースとした方式が採用されている事からもその信頼度の高さに疑いの余地はありません。(0系ではアルストムリンク式や平行板バネ式、シュリーレン式等様々な形式を当時の主要メーカー各社に採用させて台車の採用試験を行いましたが、最終的には在来線車両のミンデンドイツ式をベースにアルストムリンク式の要素を取り込んで変形改良した住友金属製のIS式軸箱支持の台車が採用されています)

 ミンデンドイツ式台車ですが東武8000系が誕生する前年度に様々な台車を試していた阪急電鉄において名車・オートカーにて日本で初めて採用されました(FS344)。ちなみにオートカーは一般型車両らしく、枕バネにはコイルバネが採用されており上下振動対策としてオイルダンパーを併用した形で登場しています(後々、乗り心地改善の為にコイルバネをゴムで固めたエリゴバネという物に改良されたそうな)。そう考えるとやっぱり東武8000系では当初から空気バネ台車を採用した事は異例中の異例の様に思えます。ちなみにほぼ同時期に南海電鉄で本線用の7000系が誕生していますが、こちらもミンデンドイツ式の空気バネ台車を採用しており8000系のFS356/056より先に開発された模様で形式がFS355/055となっていますが外観はほとんど同じ様に見えます。

 なお8000系では空気バネの形状がベローズ形となっています。南海7000系の台車もそうですが、当時は車体支持方式が揺れ枕吊り式でしたのでまずこの形状が採用されています。このタイプは上下方向のバネ作用のみとなっており(意味合い的にはオイルダンパーと同等)、最近では当たり前となっているダイアフラム形と比べると横方向(前後左右)の動きに弱いようです。これについては車体支持方式が揺れ枕吊り式ですからこれによって左右の動きを吸収しているようです。揺れ枕吊り式ですので、ボルスタアンカーは車体と台車枠では無く、上揺れ枕と台車枠を繋いでいますが、これは78系の台車と同様となっています。後期の車両から台車がダイレクトマウント式となり空気バネもダイアフラム形に変わりますがこれについては後程触れる予定です。

 余計な話含め長々と書いてしまいましたが、東武8000系ではこの枕バネが空気バネのミンデンドイツ式台車を採用した事で、枕バネが重ね板バネで支持方式が軸箱守式の台車だった7800系列に比べ乗り心地は抜群に良くなったと言えるのです。

 東武鉄道は他社車両との協調の兼ね合いもあった地下鉄用の2000系はともかくとして地上用の通勤電車に1963年の時点で早くも空気バネ台車を採用する事となりました。当時の空気バネ台車はとかく乗り心地の面が重要視されており優等列車への採用という印象が強かったです。しかし8000系での採用の要因としては、極度の軽量化を進めていった結果であり、通勤車でも後々空気バネ台車である事が必要となる事を示していたと言えます。国鉄では103系の車体をアルミ車体にした様な301系電車を1966年に誕生させていますが、やはり車体軽量化の影響により止むなく空気バネ台車を採用して誕生しています。



<その4に続く>


2013年05月20日編集
2023年08月13日再編集
(今後改変する場合があります。というか意味不明な文章が各所で目立つのでちょくちょく改善しますm(_ _)m)


※文中の写真は特記を除いて全て筆者が撮影したものです。
貴重な画像を提供して下さったシュガートレイン様、ありがとうございますm(_ _)m



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