2023年に前編出して1年以上空いてしまいました…。意外に平成初期から中期って新しい様で意外に情報が見つからなくて苦戦しました(当時現役だった人からしたら全くそうないのでしょうが…)
という訳で後半の30年の振り返りとなります。と思ったのですが、思ったより情報収集に苦戦しましたので一旦15年で切らせてください…近年になるに連れてさらっと流していく年が多いかもですが、ご了承願います。2008年、8000系の編成単位での廃車が開始された年までの8000系や東武鉄道の歴史を振り返ります。
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【補足】8000系の各年代ごとの仕様については下記ページにも一部記載ありますので参考までにどうぞ。
8000系未修繕車振り返り,8000系修繕工事研究室
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東武8000系60年の動きを振り返る(前編)1963年〜1993年へ
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▲平成初期の頃の本線8000系の活躍シーンです。
81107Fと81119Fは2025年5月現在も東上線・越生線に場所を移して共に活躍しています。
今では8111Fと8163Fが長年活躍した東上線から野田線に場所を変えて共に活躍していますが、逆のパターンも見れました。歴史の長い東武8000系ならではですね。
個人的に、この3代目塗装に原型顔・幕式・未修繕時代がたくさんいた時代が凄く魅力的に感じます。
せっかくこの時代に生きていたのに全く興味が持てず記録しなかった後悔の念が強いのかもですね。仕方ないのですが…
81119Fは東上線で前面サボ受けを撤去されたのちに本線に転属しているので81107Fとは風貌が異なります。こういうのも面白いですね。
(茶色制服に切り替わる前なので1995年4月1日以前の記録/堀切駅での記録)
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主な出来事 | 補足画像他 |
1994年(平成6年)冷房化率100%を目指し玉突き転用が進む
東武で最後まで残った非冷房車である3000系列の置き換えを進めるべく新車(10030型50番台)の投入が進みます。
この当時の最新鋭車両と言えば、地上車で言えば10000系列の10030型の50番台車と5扉車の20050系(20050型)となります。
わずかに残る3000系列(3050型・3070型)を置き換える為には 本線なり東上線に10030型を入れて追い出した8000系を七光台に送り込み、七光台区に全車が集結していた5000系列を館林と新栃木ローカル地区に転属させ3050系、3070系を置き換えるという玉突きの動きが開始されたのがこの頃になります。
なお94年12月には現在の副都心線となる有楽町新線(小竹向原〜新線池袋)が開業する事から東上線用として増発用の9050系(9050型)2編成20両が誕生します。
野田線に投入する修繕8000系では4Rと2Rを繋げた6両固定改造編成が継続して誕生しています。
<1994年度の新造車両>
10030系(10050型):11256F,11257F,11258F,11259F,11260F,11261F,11262F,11455F,11456F,11661F,11662F,11663F,11664F ※全て春日部検修区配置
20050系(20050型):21858F(20050型最終増備・2000系は置き換え済なので増発用)
9050系(9050型):9151F,9152F(有楽町新線開業増発用)
94年度で言えばトータル74両もの車両が製造され(10050型が46両)、バブルは弾けてもラッシュ輸送が増え続ける首都圏輸送に対応すべく大量の車両が製造されていました。
1月12日 8535F修繕完了
2月 9日 8525F修繕完了
3月15日 8126F修繕完了
3月31日 8530F修繕完了
3月31日 七光台区より5050系の転出が開始。館林区の3050系の置き換えが始まる。
4月 1日 8128F修繕完了
6月 1日 前年修繕後七光台区に配置された8134F+8533Fでしたが、本線に転属となりました。
代わりに6両固定化された8145F/6R(8145F/4R+8545F/2R)が七光台に配置されます。
6月13日 8145F(6R)修繕完了。七光台区に配置。
6月30日 8542F修繕完了
8月 2日 本線ダイヤ改正。(北千住口輸送力増強)
朝の増強としては業平橋止まり限定だった朝の準急10両運転を浅草着8:00と8:30の2本で実施する事となりました。
ただし浅草に10両編成は入れない為、切り離しは業平橋でも無理なので曳舟で後ろ4両の切り離しを行う事となり、
曳舟から浅草まで6両で運転する形で対応となりました。
本改正より土曜日において通勤ラッシュ時の減車等を行った。(10両・8両の6両運転化)
平日夜下りラッシュ時に浅草始発の準急において8両運転を開始しました(計4運用)
※業平橋始発は従来通り8両で全て南栗橋行きとして運転なのは変わらず。
本線下り10両運転はH9年3月改正まではおあずけです。
その他細かい所で日中時間帯の準急東武宇都宮行きの多くが新栃木止まりに短縮されています。とは言え浅草14:48発は
東武宇都宮行きで残されたりその他浅草16:00〜18:30頃の夕ラッシュ時間帯はまだ東武宇都宮行きが残されていました。
一方で越谷〜北越谷の複々線化はこの頃本格化したので北越谷の引き上げ線を撤去する代替としてお隣にあった待避線構造
の大袋駅を活用し、大袋駅構内改良で北越谷止まり列車の折り返し用として活用されました。
要は一時の竹ノ塚連立事業に伴う草加折り返し機能みたいなものです。
当時の北越谷止まりはラッシュ時限定の運転でしたが、大袋駅構内改良は本線を中から外に変えたり
配線的にもかなり大がかりなものとなっていました。
8月 2日 新栃木検修区配属の8500型7編成14両(※)が全て春日部検修区に転属となり、新栃木区から8000系の配置が消滅しました。
一方で350型12両が春日部検修区から新栃木検修区に転属となっておりその関係による配置調整にも見えます。
※8552F,8553F,8554F(将来中間車化),8556F,8557F,8559F,8560F
8月 9日 8143F修繕完了
9月28日 修繕工事が完了し6両固定化された8148F(8148F+8548F)ですが配置は森林公園検修区で、七光台区への転属は96年となります。
8148Fは春日部区所属でしたが、6両化に際して森林公園区に転属。
9月29日 8551F(将来中間車化)が8151Fと同時に修繕工事で6連化される為春日部区に転属。(翌年1月に修繕工事完了)
10月 8日 8148F修繕完了(6R化)
10月20日 8569Fが森林公園区に転属。8544Fが春日部区に転属でトレード。
10月28日 8544F修繕完了
11月 2日 新田から北越谷間の上り線高架化に伴うJR接続調整という名目の列車一部時刻改正が行われました。
ついに綾瀬川から先や途中の難所の新越谷付近含めて上り線の高架化が実現なりました。
11月27日 8157F(6R未修繕)、が春日部区から森林公園区に転属。
11月28日 8147F修繕完了と同時に春日部区から森林公園区に転属。
8157Fと併せて計10両が東上線ダイヤ改正地上車10両増結用として転属。
12月 7日 営団有楽町新線(小竹向原〜新線池袋※現副都心線池袋駅)が開業しました。
営団成増開業時点でトンネル躯体自体は出来上がっていたが西武有楽町練馬乗入れ工事が難航し94年10月8日にやっと
練馬接続と練馬駅の高架化工事との接続完了実現により西武線が乗入れする為に、小竹向原から先を複々線にしないと
線路容量が足りない(直通運用が減る)事から今回の新線池袋までの暫定複々線開業となりました。
これにより西武では6000系新型車両が投入され和光市で東武電車と顔合わせする事ともなりました。
東武は増発対応に9050系2編成が運用開始となりました。
ただ副都心線開業までは微妙な複々線開通となりましたね。東武からしたら全て有楽町線直通
だったのが一部新線池袋止まりとなってしまいややこしくはなりました。また暫定の為、千川・要町は引き続き有楽町線の
ホームのみだったので新線は池袋止まりな上に停車駅も少ないのでラッシュ時を除き空気輸送が続きました。
また東上線では土曜日ダイヤが廃止され、土休日ダイヤとなりました。
前回ふじみ野駅開業ダイヤ改正で朝最混雑時間帯の10両化を達成したが引き続き前後時間帯の10両化の為に
8000系10両を転属させ増結を図る事となりました。
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▲8106Fの種別白幕時代
8106Fは修繕後1992年10月26日に3000系置き換えの為に七光台区へ転属し以後廃車まで野田線で活躍し続けます。
1994年時点で8101F〜8140Fまで修繕済の6両固定編成が14編成、2024年も野田線で活躍する81110F,81113F,81114Fの未修繕の後期車3編成の計17編成が所属していました。この時代は利用者が増え続け野田線の利用者数は翌1995年が最多となります。そんな時に6両固定編成8000系転属のストックが切れて一時的に4両+2両による置き換えも行われましたが、そんな事を言ってられない程に状態が悪化していた為に再び4両編成と2両編成の修繕の時期を併せて6両固定編成の作成を進めていく事になります。8134F+8533Fは1年経たずに本線へ再転出となりました。それだけ当時の野田線は6両固定が必要とされていました。(5000系や5050系の4+2がまだ残ってましたが…)

▲数を減らしつつある準急東武宇都宮行きです。
8518Fは1990年に8118Fと合体し中間車改造されていました。
未修繕車の古めかしいフォント、良いですよね。
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1995年(平成7年)七光台区玉突き転属が続き、館林地区3050系に続き新栃木地区3070系も置換開始

▲改良工事が終わった大宮駅に停車する8106Fと未修繕の81110Fです。種別白幕や⇔幕が懐かしいですね。

▲オマケで比較用。2025年4月30日撮影です。約30年の比較と思って頂ければと(笑)変わってる様な変わってない様な野田線らしさもあと数年ですかね。
1995年2月に東武大宮駅では改良工事が完了しました。これによりホームは北大宮方に25m程延伸しホーム先端はとても窮屈になるのですが、停止位置を北側にずらす事で新たな乗り換え通路(3連ESC)の設置の場所を確保するしかありませんでした。旧改札付近にあった施設も極力他に移すなり廃止する事で改札機を増やす事も行い、渋滞を解消する事を優先させました。これ以降大宮駅の構造は大きく変わらず一端集中の極端な構造は課題であり、さいたま市と各鉄道事業車による大宮駅グランドセントラルステーション化構想により、現在の東西自由通路の北側に新たな自由通路を整備しここに位置する東武大宮駅の改良工事も併せて構想に入っています。ただし課題も多く東武鉄道が大宮駅付近に自社土地をほとんど所有していない事から調整には難儀しそうな感じです。(特に東武の場合自社土地が無い事は再開発による新たな収益源を確保出来ず、自社で大金を出してまでこの様な大規模な改良に参画する旨味が無い事が懸念点です。土地を追加で手に入れるかも経営判断による所ですね…)
<1995年度の新造車両>
10030系(10050型):11263F,11264F,11265F,11266F,11267F,11268F,11457F,11458F,11459F,11460F,11665F,11666F
※春日部区30両 森林公園区10両
95年度は10030型50番台40両の製造のみです。不況の影響を受けてか利用者数もピークに達し、新車製造もペースダウンしてきました。
次の96年度はいよいよ新型30000系の製造にも着手する為か11267Fがシングルアームパンタグラフ試験車として誕生しています。
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1月 7日 最終増備グループの81117F(未修繕)が七光台区へ転属。
1月28日 8151Fと8551Fの修繕が完了し8151F(6R)となる。七光台区へ配置。(5000系5102Fが館林へ)
2月11日 東武大宮駅改良工事が完成し、改札口の拡大、JR大宮駅へ通じる3連ESCの設置などが実施されました。
ここから30年間現代に至るまで大きな改良が無い大宮駅ですが一応将来的には新東西自由通路の設置に併せて
東武駅も2面3線化に改良される計画はありますが果たして事業着手から完成は何時になるやら…
この改良に併せて野田線と本線でダイヤ改正が行われたようです(詳細が不明)
3月13日 8168F(未修繕)七光台区へ転属(5050系館林へ)
3月28日 列車運転時刻一部改正が実施され、大袋駅利便向上という名目の改定が実施されました。
内容は前年8月2日改正で大袋駅構内が改良され北越谷始発の留置線として使われていた大袋駅副線でしたが、
上り初列車に限定し大袋駅(5:11発)から営業運転したという限定的な措置でした。
これはH9年3月25日大改正までの暫定措置でした。
3月28日 8142F修繕完了
3月29日 8169F(未修繕)七光台区へ転属(5050系館林へ)
4月 1日 電車・バス職員の制服が15年ぶりに刷新され、一時は東武おなじみと言えたオレンジブラウンの色彩となりました。
4月 1日 8152F修繕完了
4月 8日 8146F修繕完了。8146Fと8546Fが6両固定に改造される(春日部区配置のまま)
5月30日 8154F修繕完了。8154Fと8554Fが6両固定に改造され七光台区へ配置。
81110Fが春日部区に転出。(またすぐ戻ってきます)
6月27日 8539F修繕完了
7月 2日 8167F(未修繕)が七光台区に配置(5050系新栃木へ)
8月 1日 8166F(未修繕)が七光台区に配置(5050系新栃木へ)
8月 2日 8144F修繕完了
10月以降 東上線において8000系の6・8両固定編成において弱冷房車の設定が開始された。(9000系,10000系列の実績を基に実施)
10月 3日 8150F修繕完了。8150Fと8550Fが6両固定に改造され七光台区へ配置。(5050系新栃木へ)
10月30日 8547F修繕完了
11月27日 8155F修繕完了。クハ8600形ではよく見られたが、モハ8355のCPがHS-20Cに交換され珍しい存在に。
1995年も引き続き新造車を本線系統に入れて8000系を七光台に送り込み、七光台から5050系を転用し、ローカル地区3000系列の置き換えを進めていきました。
94年は館林区の3050系の置き換えとなりましたが95年からは最後の3000系列・新栃木区の3070系(日光・鬼怒川地区ローカル)の置き換えを同じ様に七光台区から転出する5050系で行っていきます。これにより翌1996年度に冷房化率100%を達成する事となります。
野田線は引き続き4R+2Rの修繕工事で6R化した編成を投入していくのと本線系統から未修繕の6Rを投入し混雑緩和に対応していきます。
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▲95年4月から新制服に
刷新から10年ぐらい経ってもネタにされていたドン小西カラーの東武鉄道制服でした。懐かしいですね。(画像は良いのが無かったのでさよなら5070系の画像から)
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1996年(平成8年)3000系列置き換え完了による冷房化率100%達成
戦前からの車両達がほとんどながらも更新されつつ昭和の東武鉄道の輸送を支え続けた3000系列が1996年度で引退となりました。(一部上毛電鉄に譲渡)
これにより東武もついに冷房化率100%を達成する事が出来ました。更に長年工事が進められて来た北千住駅重層化の高架化工事の完了、草加〜越谷間の複々線化工事の完了などのビッグプロジェクトの終了が近づき創立100周年(1897年11月1日)の記念すべき年となる1997年の3月25日のダイヤ改正に華を添えるべく次世代の新型通勤車両30000系の誕生、複々線延伸による増発用20070系の誕生、更には日光線に新駅・板倉東洋大前駅の誕生など様々な明るい話題が控えていました。この時も東武ファン的には盛り上がったんでしょうが、私は全く興味を持てなかったのが悔やまれます。
<1996年度の新造車両>
10030系(10050型):11461F,11667F,11668F(増備完了)
30000系:31601F,31401F,31402F
20070系:21871F,21872F,21873F(増備完了)
※春日部区44両 森林公園区10両
1月22日 8146Fが七光台区へ転属(5050系新栃木へ)
2月10日 8148Fが森林公園区から七光台区へ転属(5050系新栃木へ)
2月21日 8168Fが修繕工事入場の為本線へ。代わりに81110Fが七光台区に出戻り。
2月25日 8538F修繕完了
3月28日 8142F修繕完了
3月29日 8169F七光台区へ転属(5050系館林へ)
4月 2日 8152F修繕完了
4月 9日 8160F(未修繕)七光台区転属(5050系館林、新栃木へ)
4月24日 8159F(未修繕)七光台区転属(5050系館林へ)※8159Fはこの年すぐに修繕工事開始。
4月27日 新栃木区の3070系が営業運転終了。
4月28日 8158F(未修繕)七光台区転属(5000系・5050系館林へ)
4月29日 8157F(未修繕)七光台区転属(5000系・5050系館林へ)
同日館林区3050系が営業運転終了。
5月 8日 3070系の廃車回送が完了し、関東他民鉄において数年遅れて冷房化率100%達成となった。
6月13日 8168F修繕完了※Sミンデン台車タイプの車両初の修繕編成
→入れ替わる様に8159F修繕工事着手
6月28日 8167F修繕工事に伴い81110Fが春日部区に転属(8167Fは修繕後七光台区配置)
7月23日 北千住駅第一次高架化切り替えに伴うダイヤ改正実施
ついに念願となる日比谷線直通車の3階ホーム移動となりました。
1階と3階の乗り換えは大変ですが、地下鉄始発利用者の長蛇列による大混乱を
考えると分離するのは必須でした。それぐらい始発待ちの列は凄いです。
8月12日 8163F修繕完了
10月24日 8167F修繕完了
11月12日 8555F修繕完了
12月11日 北千住駅第二次高架線切り替え(3階3線共使用開始)※ダイヤ改正はH9年3月25日。
12月14日 8153F修繕完了
12月18日 草加〜越谷間上り複々線使用開始(下り線切り替えは翌年3月22・23日実施)
次の年度からLED修繕グループに移行する為、2025年4月現在も残る幕車の8000系達はこの時期に修繕された編成達となります。(8111F除く)
いよいよ長年の課題だった伊勢崎線の越谷までの複々線完成が間近に迫っていました。本当によくこんなすごい工事進めたものだなと感心するばかり。
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▲未修繕時代の8168F
この時期は野田線に多くの未修繕8000系6両固定が配置されていました。いよいよ修繕工事も半数が実施されSミンデン台車の後期車も施工される編成が出始めました。

▲修繕後の8168Fです。修繕後がやはりカッコいい。
Sミンデングループの編成で幕式で修繕されたのは
8167Fと8168Fの2編成だけでした。
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1997年(平成9年)30000系誕生に合わせ修繕車、更新車にも変化。
8000系はLED修繕車が誕生しました。
1997年は11月1日に東武鉄道創立100周年を迎える記念すべき年ですが、これに合わせる様に本線側では草加〜越谷複々線が完成し目的の北越谷までの複々線もあとわずかという所までなりました。
1988年の竹ノ塚〜草加複々線化時と違い、大きく輸送体系が変化しましたが特に北千住の大改良完成により日比谷線直通のホーム分離、下り特急専用ホームの完成により特急を停める事が難しかった事も解消し本線の輸送が大きく便利になりました。
また本線では次なる課題としては越谷〜北越谷の複々線化工事、営団半蔵門線との相互直通運転に向けた工事はまだまだ続きます。山手線に接続しない唯一の大手私鉄として難しい立ち位置だった東武伊勢崎線も北千住で日比谷線直通、千代田線乗り換えに加え大手私鉄単独路線では初となる地下鉄2路線との相互直通開始に向けて動いていきます。
8000系としてはまだまだ5000系列が残る事から引き続き鉄道輸送を担う事は変わらず後期車の修繕工事が進んでいきます。この年から行先表示のLED表示化に移行し8000系のバリエーションもまた増える事となりました。30000系の投入は営団半蔵門直通までに10両15編成分150両を順次投入していきますが、30000系は当面地上専用で運用する事から10000系列との連結で運行できる事を考慮し設計されたので実質10000系列の増備の延長とも言えます。
<1997年度の新造車両>
31602F,31403F,251F(1819F置き換え用。1800系は1998年3月末でりょうもう運用から離脱。)
車両置き換えが落ち着いた事から予算を見ながら製造できるだけの30000系と1800系置き換え用の250系を製造しています。更に208Fと209Fの更新工事も行う事1800系を急行運用から淘汰していきます。
1月28日 8158Fが修繕工事入り。代わりに8169F(6R未修繕)が七光台区へ転属。
2月12日 8159F修繕工事完了
2月14日 久々の200系更新車207Fが誕生しました。
数年ぶりとあってか30000系の流れを汲んでHID灯化、LED行先表示器、シングルアームパンタ化等
新たな更新メニューで登場しています。3月改正でりょうもう運用が増える事から増発用となります。
2月21日 8168Fが修繕工事入場の為本線へ。代わりに81110Fが七光台区に出戻り。
3月12日 8549F修繕完了
3月22日 新田(綾瀬川)〜越谷間下り複々線化切り替え完了し、草加〜越谷の高架複々線が完成。
3月25日 本線ダイヤ改正(草加〜越谷複々線化・北千住駅改良完了・30000系就役・板倉東洋大前駅開業)
本改正より長年上りに限定されていた10両編成を運転について下りのホーム延伸が完了した事から
曳舟(業平橋は地平ホーム限定)〜館林と南栗橋までの全区間で下り方での10両運転が可能となりました。
折り返しの10両編成を回送運転する必要が無くなったので運用が設定しやすくなったのです。
北千住〜越谷の複々線化に伴い同区間のみ通過運転を行う新種別・区間準急が誕生しました。
今回改正で準急の停車駅に新越谷が追加され、快速は日光線の新駅・板倉東洋大前駅にも停車する事となりました。
また日比谷線直通車については複々線区間が越谷まで延びた事から越谷発着の列車を大増発し竹ノ塚以北に限定すると、
ラッシュ時で大体7分間隔の運転だった日比谷線直通が概ね4分〜5分間隔となっており複々線効果の凄まじさが
伺えます。複々線完成前は日比谷線直通の半数が竹ノ塚始発であり、代わりに輸送力に優れる地上車を増発していました。
入れ替わる様に竹ノ塚折り返しの浅草行きが今回改正から増えていますがどちらが便利かは明らかです。
北千住の改良としては他では中千住の貨物専用スペースを旅客の折り返しとして活用できる様になった事から
本改正より区間準急の折り返しに加え、朝ラッシュ時には準急北千住行きの設定が可能となりました。
これにより曳舟方面まで逃がさないといけない10両編成運用が柔軟になり増結対応に寄与する事となりました。
なお越谷まで複々線が延長した一方で従来朝ラッシュ時の線路容量が限界に達していた事から
北越谷までの増発は基本出来ない事から北越谷始発の代わりに区間準急等を設定し、
始発は越谷から設定するという事で北越谷駅からの始発は初電1本とラッシュ時1本を除き
設定が無くなってしまいました。この措置は2001年の北越谷複々線化完了まで続きます。
これにより北越谷始発電車はラッシュ時7:30〜9:00で従来の4本始発が1本に減りましたが、一方で
越谷からの始発が同じ時間帯で7本に激増しており複々線の効果抜群という内容となっています。
この為に20070系を3編成も増備している事からも相当な線内増発だという事が伺える所です。
特急に関しても北千住駅特急専用ホームが使用開始となり下りの全特急・急行が停車となりました。
こうして東武伊勢崎線・日光線は従来に比べ大きく便利になったと言えます。
4月 3日 8149F修繕完了※最後の幕式修繕編成で、これ以降は97年度分のLED修繕グループへ移行。
6月25日 長年森林公園区で活躍した8164Fが修繕工事入りとなり、
この為81110Fが七光台区から春日部区経由で森林公園区に転属しました。
81110Fはこんな感じで修繕工事の動きに併せて本線・東上線・野田線を行ったり来たり…
※七光台区は8158Fが配置され編成数調整。
7月 4日 8158F修繕完了(初のLED修繕編成)
角型HIDライトや車両情報記録装置関連の特殊ジャンパ栓の取付今では見れない姿での登場でした。
LEDの行先表示が目に付きますが、大型電動ワイパーの採用、車椅子スペースの設置、現在にも続く
新しい列車無線アンテナ交換なども特筆されます。新無線アンテナは既存車の交換は本線系統と東上線系統で
時期が異なる等で全車の交換には2004年頃まで時間を要します。
8月11日 8556F修繕完了(2両固定初のLED修繕車)
9月 8日 8553F修繕完了
9月29日 8557F修繕完了。この編成までで角型ヘッドライトは見納めとなりました。
またすぐに角の面取りタイプに交換されておりある意味この4編成は幻の8000系修繕車と言えます。
10月15日 9101Fが量産化改造(チョッパ制御の更新など)を尼崎・アルナ工機へ甲種輸送の上実施。
11月 6日 8164F修繕完了。角型HIDライトは取りやめとなりHIDライトながら従来車と似た形状に早速変更。
特殊ジャンパー栓も取り外され、ジャンパ栓受けの準備工事までとなりました。
この頃に修繕された編成で運転席下に台座が残されているのはこれの名残という事になります。
当初は森林公園区に配置され、81110Fが七光台区に入れ替わりで戻りました。
81110Fの度重なる配置変更はここで一旦落ち着きます…
12月25日 8169F修繕完了七光台区配置
入れ替わる様に8166Fが修繕工事入り。
12月25日 10030型11640Fと11453Fが春日部区から森林公園区へ転属しました。
この年以降増発が無い場合は30000系新製投入に併せて10030型の東上線転属が進みます。
これにより8000系の修繕工事を行っていき野田線への投入などを更に進めていく事になります。
ついに長年の課題であった複々線区間の入り口である北千住の大改良が完成し伊勢崎線の輸送は大きく便利になりました。
しかし東武単体での混雑緩和にある程度寄与してもほとんどの利用者が目指す先の日比谷線や千代田線の混雑緩和の対策として東武伊勢崎線の営団11号線(半蔵門線)への相互直通運転という新たな都心へのルート構築に向けた工事が進められていきます。
ちなみに…修繕工事の度に先輩の為に異動を繰り返す81110Fでしたが、次年度でやっと30000系増備で車両の動きが落ち着く(30000系投入で今度は本線から10030型が森林公園区に転属出来るぐらい余裕が出来る)事からその任から解き放たれたようです。
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▲区間準急列車誕生
区間準急は複々線区間の優等専用として走りでかつ越谷以北が各駅停車として、北越谷にも停車する優等列車として誕生しました。
日中の運転は1時間に2本辺り北千住始発の区間準急南栗橋行きが設定されましたが、代わりに準急南栗橋行きは準急東武動物公園止まりに短縮されています。微妙に逆転現象…?ただ準急新栃木行きが30分間隔で実は使いやすい時代だったんですよね。

▲複々線が越谷まで完成
一方で複々線が未完成である事から日比谷線直通車折り返し駅が従来の北越谷(大袋)から越谷止まりに短縮されました。元々線路容量が足りない事から今と違って北越谷始発の設定自体とても少なかったのですが利用者に最も重要な上り朝ラッシュ時であっても越谷始発に1駅始発駅が短縮されてしまっています。ただし北越谷7:00発の1本だけ特別に設定されているのが面白い所。当時の北越谷利用者の方々の反応はどうだったんでしょうね。とは言ってもこの越谷複々線化によっては越谷から走る日比谷線直通車が劇的に増えた事は始発列車が減った事を考慮しても便利だったのかなとは感じる所。
北越谷の複々線開業は2001年3月改正まで待たねばなりませんでしたが、それでも越谷市全体で言えば新越谷の準急停車開始などメリット多数だったとは言えます。

▲2両固定初のLED修繕編成8556F
8158F,8553F,8556F,8557Fの4編成は幻の8000系修繕車とも言え、当初はHID灯のライトケースが角型の形状であり、上り方の運転席直下、下り方の運転助士側直下に19芯ジャンパ栓とそれを引っ掛ける台座が取付られました。はっきり言って謎なのですが、基本的に当年度の修繕メニューは最新の30000系に合わせて内容が更新されている事から30000系に関連した内容かなと推察される所です。30000系でも車両情報制御装置を設けていましたがそれに関連した運転情報制御装置など、車両情報の記憶・記録を取る様な機能が持たされていました。30000系と8000系LED修繕車では19芯ジャンパ栓とは別に似たようなコネクタらしきものが見受けられる事からもそんな考察をしている所です。ただ…確かに意味ないよなぁ…。30000系と連結は緊急時以外ありえないので不要でしょうし。そうなると東武電車全体でそういうのを整備する計画があったかどうかは不明ですね。
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1998年(平成10年)1800系急行りょうもう運用から離脱/8104Fが野田線へ転属

▲1998年3月31日で1800系が急行りょうもうの運用から退きました。既に1800系9編成のうち4編成は300・350型へ改造されていましたが
残る5編成の処遇については1819Fのみ車齢が若い事から団体専用車として運用が残り、その他初期編成4編成(1811F,1812F,1814F,1815F)
は長年館林に休車で留置される事となりました。1814Fは残念ながら解体されましたが、残り3編成が数年後まさかあんな劇的な改造がされようとは…
隣には5000系5501Fもいますがこちらも休車となっています。同5000系の5502F含め97年3月には運用離脱となり休車となっていました。
5000系はわずか4編成12両しかいませんが、残る5101Fは野田線で5050系5551Fと組んで運用され、5102Fは館林ローカルで運用されていました。
しかし画像に写っているのが昭和の車両しかいないので1998年に見えませんね(汗)※一番右端の8000系は86年度修繕車の8127Fです。
(1998年5月頃 館林駅)
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<1998年度の新造車両>
30000系:31603F,31604F,31404F,31405F,31406F 5編成24両
新車については97年の本線大改良が終わった事もあり、引き続き営団半蔵門線直通用の30000系を投入するのみとなります。
ただし前年度に続き30000系を春日部区に投入する代わりに同数の10030型を森林公園区に転属させ車両の新陳代謝は継続となります。
※10030型の転属は98年度内ですが、翌99年となります。
1月12日 1721Fの床下機器を活用した200系更新車208Fが誕生しました。
なおモハ1721は東武鉄道創立100周年記念に合わせて車体をカットの上東武博物館に展示されています。
1月26日 200系最後の更新車209F(種車1771F)が誕生し、1800系運用を全て200系・250系で置き換える分が出揃いました。
1800系の急行りょうもう運用は3月で見納めとなります。
2月23日 8161F修繕完了。この編成は6Rですが森林公園区に戻り最後まで東上線用として活躍を続けます。
3月26日 東上線ダイヤ改正(急行朝霞台停車・特急の志木通過・東松山以遠のスピードアップ)
意図的なのか、武蔵野線接続駅の本線・新越谷と東上線・朝霞台駅はそろって改革される事が多いです。
新越谷は利用者数が激増しているにも関わらず複々線完成とホーム増設という改良を待って
やっと準急停車駅となりました。
そして今改正で東上線側でも同じ武蔵野線接続駅で同じく利用者数が激増していた朝霞台駅に
急行停車開始となりました。
なお本改正より特急が志木通過になったのですが、本当に何故やった?って感じでしたね。
池袋の次は川越です。これ速いなら分かるんですが、急行と1分違いだけな為、ただ停車駅を減らす
だけなのは普通に考えて空気輸送を助長するだけでした。
休日の6両寄居行きを思っての事なら寄居直通だけ志木通過にすれば良かっただけなのでしょうが、
細かい違いは避けたかったのかなとか運用の都合なのかとかいろいろ想像してしまう所…
5月29日 8166F修繕完了 七光台区に再配置。
8160Fが春日部区に転属。
6月24日 8157Fが修繕工事の為、春日部区に転属。
代わりに86年度修繕車・8104F(6R)が七光台区に転属。
野田線で長らく丸目顔の8000系として活躍する8104Fがついに七光台区へ転属してきました。
7月30日 8165F修繕完了(森林公園区に戻り、99年に七光台区へ転属)
9月25日 8157F修繕完了の上、七光台区に再配置。
代わりに81114F(6R・未修繕)が春日部区に転属。
11月26日 8170F修繕完了(森林公園区に戻り、99年に七光台区へ転属)
12月頃より野田線七光台区所属の6両固定編成の下り方連結幌の取り外しが開始されました。
8104Fですが、87年度修繕車達から遅れる事1998年についに七光台区に転属となりました。5070系引退後は野田線唯一の丸目顔だったので話題の無い野田線の中で異彩を放つ編成として引退まで活躍します。
98年で大きな所はやはり1800系がりょうもう運用から離脱した事と感じます。1819Fだけはその後長い団体専用運用につく事となりますが、あくまで館林地区の団体のみでそれ以外の団体専用運用については5700系から引き継いでいた6050系が担当する流れは変わっていませんでした。
今後は利用者が芳しくない300系使用のきりふりやゆのさとが期間限定運行になる事から300系が6050系の代わりに団体専用に利用されていき、これによって6050系の運用に余裕が出来た分を新栃木区の5050系置き換えへと活用していく事となります。
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▲8104Fが野田線にやってきました。
8000系一番最初の修繕編成である8104Fが引退までを過ごす事になる野田線へ転属してきたのが1998年になります。8101Fや8106Fらと比較して5年以上遅れての転属となりました。
転属当初はサボ受けが付いてたり、下り方連結幌が残る等本線時代の名残があったのですが次第に幌は外され、サボ受けも外されてしまう野田線スタイルに変化する事になります。
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1999年(平成11年)野田線新鎌ヶ谷開業改正(高柳留置線の設置)/8506F+8505Fによる彩の国号運転

▲野田線船橋口の輸送力増強の上で長年懸案となっていた新たな留置線がついに設置されました。高柳駅に合計6本の留置線が設置されました。
従来は六実駅の中線と側線2本に留置する3編成のみしか留置場所が無く、早朝に七光台から始発5時台に営業列車が10分間隔で走る程の高頻度運転で
船橋口側へ車両を送り込んでいました。ただ柏口の線路容量にも限界があるのでこれ以上送り込みを増やす事も出来ない為抜本的な改善として船橋口側に留置線が必要となっていました。
野田線は99年改正で大宮口側では岩槻〜東岩槻が複線となり、船橋口では馬込沢〜鎌ヶ谷の複線化と89年に部分的に複線化していた新鎌ヶ谷信号所に新鎌ヶ谷駅を新設し、
特に船橋口側では従来馬込沢始発となっていた列車を全て六実始発まで延伸する鎌ヶ谷付近の増発を行う事で2編成12両分の車両増備が必要となった事もあり高柳留置設備の新設となりました。
走行している8114Fが時代を感じさせますね。8114Fは私の中では完全に東上線の車両の印象で、2003年に森林公園区に戻ってからは引退までを東上線で過ごす事となります。
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<1999年度の新造車両>
30000系:31605F,31606F 2編成12両
99年度は車両増備はわずか12両となっていますがこれがそのまま野田線運用増分となります。
99年は野田線の高柳留置設備新設・各所複線化延長に伴う改正が大きな話題となっていました。
また本線では前年200系・250系に統一された急行りょうもう号を急行から特急に昇格しスピードアップする事からそれに伴う改正や特急の停車駅の追加が行われています。
また1997年に東武鉄道が創立100周年記念を迎えましたが、秩父鉄道は1899年11月に前身の上武鉄道株式会社が設立してから100周年になるという事からお互いを記念しつつ埼玉県民の日に合わせて彩の国号という臨時列車が運転され、森林公園区の8506F+8505Fを使用した秩父線直通列車を春日部から三峰口まで運転しました。これも8000系の歴史の中では大きな話題と言えます。
1月22日 8552F修繕完了
2月18日 8569F修繕完了
2月25日 これ以降3月30日まで10030型6R2本(11661F,11662F)と4R3本(11454F,11455F,11456F)が春日部区
から森林公園区に転属し後述する8000系を七光台区に転属させ、当区の5000系列置き換え着手となりました。
※後述する5101F+5551Fと5171F,5172F,5173Fと5070系の置き換えが始まりました。※全て休車扱い
この5編成24両は98年度新造分の30000系と同数となります。
3月 4日 8164F(6R修繕済)が森林公園区から七光台区へ転属しました。
3月12日 8147F+8552Fの4+2の6連が森林公園区から七光台区へ転属となりました。
この転属により最後の4+2として残っていた5000系5101F+5050系5551Fを置き換えました。
5101F+5551Fはこの置き換えにより休車となり、実質引退宣告と言えます。
この両編成は2004年10月改正まで七光台区で活躍する事となります。
3月16日 本線ダイヤ改正(特急りょうもう号誕生・日光線特急の春日部停車開始)
前年に200・250系化が完了していた急行りょうもう号ですが、諸設備改良が完了した事から最高速度を従来の
105km/hから110km/hにスピードアップする事から急行から特急へと格上げとなりました。
更に日光線特急スペーシアは利用者確保の為に通勤特急化の動きを加速し春日部への停車を開始しました(一部)
現代でこそ全日光線特急が停車する春日部であり、通勤輸送にも観光利用にも意義のある措置となりましたが、
当時は本当に不景気からの日光線特急の利用者鈍化に対する危機感もあっての対応となったそうです。
なおりょうもうの東武動物公園停車はまだ先の話です。特急化するのにいきなり停車駅を増やす訳にはいかないと…
3月23日 8165F(6R修繕済)が七光台区に転属
3月29日 8173F(8R)修繕完了。8両固定編成初の修繕車となりました。
3月31日 8170F(6R修繕済)が七光台区に転属
8164F,8165F,8170FのLED修繕編成で5070系3編成の置き換えとなりました。
5月26日 8191F(4R)修繕完了。4両編成初のLED修繕編成となりました。
6月25日 8567F修繕完了
6月28日 8172Fが修繕工事の為、森林公園区から春日部区に転属(修繕後は七光台区配置となります)
同時にトレードという形で前年七光台区から春日部区に転属していた81114Fが森林公園区へ転属。
81114Fは2003年度に自身が修繕工事を受けるまでは森林公園区で活躍する事となります。
8月10日 8175F(8R)修繕完了
9月30日 8172F(6R)修繕完了
11月13日 秩父鉄道創立100周年・東武鉄道創立100周年と埼玉県民の日を相互に記念する合同イベントとして
彩の国号特別臨時列車が春日部〜秩父線・三峰口で運転されました。
秩父ATSに対応した8000系8506F+8505F(連結順)が充当されています。SLの運転など含め大盛り上がりだった模様。
11月22日 8172Fは修繕後しばらく本線で活躍してから七光台区へ転属となりました。
11月23日 8160F(6R未修繕)が七光台区へ転属となり、春日部区から6両固定編成の8000系が一時的にいなくなりました。
この8160Fと8172Fの12両が野田線ダイヤ改正の増発分の増備となります。
11月25日 野田線ダイヤ改正
(新鎌ヶ谷駅開業・馬込沢〜鎌ヶ谷複線間化、高柳電留設備新設に伴う船橋口増発・岩槻〜東岩槻複線化)
1989年改正で船橋口が10分間隔された時に誕生した新鎌ヶ谷信号所がついに駅へと昇格し今では野田線の主要駅と
言える新鎌ヶ谷駅が開業しました。野田線って後から開業した駅が凄く成長してますよね。
船橋口では馬込沢〜鎌ヶ谷の高架化・複線化も完了し(駅は改良途中)馬込沢始発だった列車2本を六実始発に延長
運転する事で鎌ヶ谷地区の混雑緩和に対応する事となりました。
また船橋口の留置箇所不足の解消の為に念願の船橋口留置専用線となる高柳留置設備新設工事が完了し6本の留置線が
出来上がりました。これにより七光台からの早朝送り込みに以外での増発が可能となっています。
なお高柳留置線が出来た後も六実側線の夜間留置は残りました。
大宮口では岩槻〜東岩槻の複線化が完了し(元々春日部まで工事は確定していましたがまだ時間を要する為)岩槻で
折り返しをする運用が東岩槻まで延長運転となりました。
また野田線も本改正より土休日ダイヤとなりました。
これで東上線・本線・野田線の3線共全て土休日ダイヤ対応となりました。
11月25日 春日部検修区南栗橋派出所に車輪転削線が新設され、これに伴う社用品列車ダイヤの設定が行われました。
南栗橋区も平成6年から列検線・洗浄線を設置し列車検査、車両清掃を開始してましたが、更に拡張が進んでいました。
11月29日 8156F(6R)修繕完了。この編成は引退まで森林公園区配置となります。
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▲埼玉県民の日記念・彩の国号(991113運転)
彩の国さいたまって2000年頃のイメージが強いと思ったら1994年にこの呼び名は生まれていたんですね。当時はまださいたま市の合併は行われていませんでしたが、この両鉄道100周年記念と彩の国号出発式は大々的に行われ、両社社長や地方自治体のゲストも招き、くす玉・テープカットが行われる程の盛り上がりだったそうです。当時を見れなかったのは残念ですね(東武に1mmも興味なかったからなぁ…)

▲2004年改正まで見れた東岩槻引上線
東岩槻まで複線化された事で東岩槻の春日部方に引上線(折り返し設備)が設けられました。2004年10月改正までこのシーンは見れたので私も撮影出来ています。
LED修繕車も99年改正時点で8本まで増えて野田線でもよく見れる存在となっていたと言えます。
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2000年(平成12年)東武8000系修繕工事500両突破/未修繕車のLED表示化改造進む

▲1998年後半頃から東上線所属車を皮切りに8000系未修繕車において修繕前でもLED表示器に改造される編成が誕生しました。
8000系の未修繕車について手動幕だったので幕回しなどの手間が大きい事から終点と始発が同じ折り返しの場合⇔表示を行っていました。
この為手動幕だった編成についてはLED表示に交換する事でその手間を大きく省き、切り替えについては車掌がタッチパネルで設定が出来る方式とした事で
⇔表示は見納めとなり、行先の単独表示が可能となりました。従来よりは行先表示が見やすく、分かりやすくなったと思います。
ただ…本当に衝撃的な姿ですよね。私も高校生の時に野田線で初めて見た時はビックリしましたよ…(当時東武に興味なかったですが)
この改造によって表示器が少し大き目になった所も違和感が増す所です。
ちなみに幕車は電動幕車であっても⇔表記が継続され、完全に⇔表示が消えたのは2001年10月頃と推測。(野田線も同時期に⇔表示を無くしたので)
<2000年度の新造車両>
30000系:31607F,31608F,31407F 3編成16両
2000年度の新造も少なく3編成16両となります。2003年まで少しずつ投入が進みます。
この時期は曳舟〜押上の工事や野田線複線化工事、東上線新駅工事(つきのわ駅)などの工事が多くそちらに予算を割くもありました。
また当時は太田駅と栃木駅というローカル線区の主要駅の高架化工事も始まっていました。
1月24日 8558F修繕完了
2月 8日 8160F修繕工事中に伴い、春日部区に配置転換となりました。
代わりに81109F(4R)と8578F(2R)の未修繕後期車コンビが七光台区へ転属しました。
5月25日 8160F修繕完了
8160Fの七光台区復帰に合わせて81109F+8578Fは春日部区に戻りました。
ですがこのコンビは後の5070系置き換え本格化の際にまた七光台区へ戻ってきます。
8月 8日 8185F修繕完了
8月22日 1800系休車のうち1814Fは廃車となりました。
ただし1811F,1812F,1815Fは通勤型に改造される事になります(1815F→新1813Fに改番)
9月11日 東上線において列車運行を一括管理する東上運行管理所を設置。
9月29日 8171F修繕完了(8000系修繕車両500両突破記念編成)
東武の車両10年の歩み写真集に西新井工場で記念HMを取り付けた8171Fの画像が紹介されています。
11月10日 8559F修繕完了
12月13日 8560F修繕完了
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2001年(平成13年)
東武伊勢崎線複々線化完了/8000系ワンマン対応車誕生/1800系通勤改造車誕生
<2001年度の新造車両>
30000系:31609F,31610F,31408F,31409F,31410F 5編成24両
2003年の相互直通運転開始に向けて30000系も第10編成まで増備が進みました。

▲1800系通勤改造車が誕生したのが2001年となります。(西小泉駅で撮影。当時の同区間はツーマン運用でした)
ちなみに写真の1813Fが元1815Fです。元の1813Fと1814Fが廃車済の為、改造に合わせて1815Fから1813Fに改番されました。
1月29日 1800系休車車両、通勤車化改造が開始されました。
留置されていた館林から館林検修区8000系(8543F等)が先導する形で北館林に寄り、中間車2両を切り離し(中間車は廃車)
その後8500型+1811Fの協調運転(お互いがパンタ上げ)のまま杉戸工場へ入場となりました。
前年に廃車された1814F以外の3編成(1811F,1812F,1815F)が同じ方法で順次杉戸工場に入場しています。(4月、6月頃)
1800系通勤改造車投入で5000系5102Fや5050系の置き換えが開始され5000系初期車は引退となりました。
2月 2日 8181F(8R)修繕完了
3月13日 8573F修繕完了(ワンマン非対応最後の2両固定修繕編成)
3月28日 本線ダイヤ改正(越谷〜北越谷複々線化により北千住〜北越谷複々線事業の完成)
それまで越谷止まりだった日比谷線直通車を北越谷始発に延長し現代に至る運行形態となりました。
昭和42年(1967年)6月の西新井駅改良からスタートした伊勢崎線複々線化事業も実に34年を経て完了となりました。
97年改正で越谷発着だった日比谷線直通車は全て北越谷発着まで延長されました。(それ以外の列車は従来通り)
朝ラッシュ時に10両編成の区間準急北千住行きを1本増発し北越谷折り返し列車の増発を行い、北越谷発の中線走行の
各駅停車・浅草行きの増発という感じに朝ラッシュ時の輸送力増強が引き続き図られています。
2003年3月改正から半蔵門線直通運転が開始されますが、その前最後の大規模な改正となるので地上車(8000系・10000系列)
をフルに活用する時期がこの頃となります。
また特急の方では前回99年改正より実施された日光線特急の春日部停車が全列車に拡大しました。
これ以外では従来通勤時間帯停車していた新栃木から栃木に停車駅が変更され、春日部に加え鬼怒川線・新高徳駅への
全特急停車も実施されています。特急に格上げされたりょうもう号は伊勢崎線行きが1969年8月の1800系就役以来実に
30年以上ぶりに復活となりました。ただし金曜日・土休日限定の運転だったそうです。
また臨時以外の運用がほぼ消滅した300系が6050系が担当していた団体専用運用や夜間快速急行運用を置き換える事で
余った6050系運用により新栃木区の5050系運用を置き換えが開始されました。
4月 1日 東上線運行管理システムを使用開始
4月17日 休車状態が続いた5070系5173Fの廃車が開始され、5070系の置き換えも開始されました。
今後の東武の車両の動きは5000系列の置き換えが優先される事となります。
4月18日 1800系通勤改造車第1号1811F(4R)が杉戸工場を出場。凄まじい変わり様に当時のファンは絶句だったそうな。
6月22日 8177F修繕完了
8月16日 81108F修繕完了
9月13日 8192F修繕完了
10月頃? 記録から察するに野田線でこの頃⇔表記扱いを止め行先単独表示となっています。
元々柏発大宮行きやと大宮発柏行きは折り返し時に短区間運転となるので⇔表記をしてませんでした。
なお既存車への新列車無線アンテナ(逆L字アンテナ)への交換は2004年初冬頃まで続いていました。
2001年初冬頃には既に81110Fや81113Fの未修繕車もLED表示器や新列車無線アンテナに交換されていました。
東上線も2001年12月には⇔表記が無くなっており、同時期に取り扱いを止めたのではないかと推測。
11月28日 ワンマン対応改造修繕編成と既に修繕済だった8500型2Rの入れ替えが行われました。
8559F,8560F,8566Fが森林公園区に転属し、森林公園区の未修繕の8561F,8562F,8565Fが春日部区に転属となりました。
この3編成は全てワンマン車対応車に改造され、東武初のワンマン運転区間に投入されていきます。
12月 8日 81109F+8578Fが再び七光台区へ転属
今後七光台区の5070系を置き換える為には6両固定ではなく4+2の8000系を投入し対応していきます。
そもそも6両固定編成も流石に弾切れしてきたもあるでしょうが。
12月22日 8568F修繕完了(これ以降2両固定の8500型修繕車は全てワンマン対応編成となります)
※ただし当初はツーマン編成と同じ運用でした。ワンマン運転開始は2003年3月改正からとなります。
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▲8573Fが最後の非ワンマン対応の8500型修繕編成に
8500型70番編成以降で唯一ワンマン非対応で修繕されたのが8573Fでした。ワンマン改造されなかったので後期修繕車の中では早い段階で引退してしまった編成でもあります。それでも8571F,8578F,8580Fの未修繕編成よりかはマシだったでしょうが…

▲長年東上線で活躍した8561F,8562Fが本線へ
8573Fが先に修繕を受けた一方で8561F,8562Fは少し遅れて修繕を受けました。以降はワンマン編成として本線で引退まで活躍する事となります。98年5月頃の撮影なのでまだLED改造はされていませんが東上線所属未修繕車は98年下期頃からLED改造がスタートしたそうです。
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2002年(平成14年)東武鉄道54年ぶりの単体赤字、53年ぶりの無配転落
<2002年度の新造車両>
30000系:31611F,31612F,31613F,31614F,31615F,31411F,31412F,31413F,31414F,31415F 10編成50両
先延ばししていたバブル期の負の遺産整理などに着手しその特別損失計上により、戦後直後以来54年ぶりの単体赤字という経営的に極めて苦しい時代でした。しかし年度末に2003年3月に相互直通運転が開始されるので増備を完了させないといけません。一気に必要編成数の増備が急ピッチで進められました。
こういった事情もあり、東武電車で言えばまだまだ使えるものは使ったり、ワンマン運転の加速など経営努力が進められる事となります。まさに昭和49年頃以来の危機的状況という奴でした。ただあの時ですら単体赤字じゃ無かったのですから…
一方で鉄道収入は旅客が減る中でも特急の利用を便利にした事などもあり、0.3%ながら収入増を達成してはいました。2002年度末にはついに半蔵門線直通運転も開始と少しずつ好転する材料は揃いつつありましたが当時の東武がまだまだケチだったという印象を受けていた所はこういった事情があったとも言えるでしょう。
8000系の動きに関係する所ではこの年から積極的に野田線5070系の置き換えを行うべく、本線の8000系が七光台区に転属を再開しました。以前と違うのは6両固定編成がいないので4+2の編成達が選ばれています。
2月14日 8561F修繕完了
3月26日 東上線ダイヤ改正<つきのわ駅開業・森林公園〜武蔵嵐山間複線化>
H10年時同様3月26日改正となり、東上線ではみなみ寄居駅の次に新しい駅つきのわ駅が開業しました。
合わせて森林公園〜武蔵嵐山間が複線化され、武蔵嵐山に引き上げ線を設け当駅折り返しの列車が誕生しました。
これは2005年3月改正で嵐山信号所まで複線化されるまで続きますのでわずか3年間の措置でした。
4月頃? 野田線8000系幕車において種別幕が白だったのが黒に交換されブラックフェイスと合わせる措置がされました。
ブラックフェイスじゃない8104Fは白表示のままでした。(その後8509Fで丸目に黒の特別が組み合わせが出ますが)
記録を見ると2002年2月〜3月の時点では白でしたが4月以降が黒になっています。
これも種別幕が導入されるまでは野田線所属車だけの特徴でした。
4月25日 8562F修繕完了
5月15日 8565F修繕完了
6月 2日 8575F修繕完了
7月23日 81112F修繕完了(この時点でワンマン対応改造は未対応)
7月16日 8132F七光台区へ転属(81109F修繕工事入場の為)
この為、8132F+8578Fの組成となりました。
9月26日 七光台区5070系5174Fから廃車が再開されました。
2002年度は一気に6編成の5070系が8000系に置き換えられます。
9月30日 8199F(8R)修繕完了
10月17日 8134F+8533F七光台区へ転属
1994年に同じ組成で本線に戻って以来8年ぶりに七光台区にやってきました。
これ以降は引退まで七光台区で活躍する事となります。
これにより5175Fが廃車されました。
10月23日 81109F修繕完了。修繕後の野田線でわずかに走り本線へ戻り、割とすぐに野田線に戻ってきます。
11月 7日 8152F+8523F七光台区へ転属(5176F廃車)
12月 8日 81109F七光台区から春日部区に転属
12月14日 8563F修繕完了
元々森林公園区所属だったが以降本線ワンマン専用車となるので8569Fが森林公園区に転属。
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▲ワンマン対応編成の本線運用
本線の区間準急北千住行きの運用に就く8565Fです。この画像だと白飛びして番号が見えませんが、補正して確認したら8565でした。車外スピーカーも見えますので修繕後の姿であり、ワンマン運転開始後は2両編成での運転のみとなる為、修繕工事後の2002年〜2003年までのわずかな期間にだけ見れたツーマン車と共通運用されていた貴重な姿です。8両か10両の長編成の先頭にワンマン対応車が走っていた時代も面白いですね。
なお先頭車の19芯ジャンパ栓受けや引っ掛けの台座ですが6両固定や8両固定では省略されましたが、2両固定と4両固定ではこの年度まで取り付けられました。謎ですね。
2002年時点ではワンマン対応改造はあくまで2両固定のみで、4両固定編成は修繕工事を受けてもこの時点ではワンマン対応改造はされていませんでした。
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2003年(平成15年)廃車ゼロのまま8000系就役40周年到達
伊勢崎線⇔営団半蔵門線相互直通運転開始/8000系ワンマン運転開始(大師線・小泉線の一部)
<2003年度の新造車両>
新造無し。赤字の影響もあり本来なら新車を造る余裕がありませんでしたが半蔵門線直通の為に一気に必要車両数を増備した反動でこの年の新車はゼロです。
これにより1975年(S50年)以来28年ぶりの新型車両ゼロとなりました。
そしてこの年からいよいよ8000系のワンマン運転が開始され、今後各地に広がっていきます。現代においては最終的に全ての路線でのワンマンを目指している所でしょうが時代の流れですね…

▲8000系就役40年,10000系就役20年記念HM
2003年11月からの2週間程度の期間限定で掲出されました。
その後50周年の時にもたくさんいたので運行車両にHM欲しかったですね…。
1月 9日 8562Fと8563Fが館林区に転属。(小泉線部分ワンマン運転開始の為)
代わりに館林区から8539Fと8547Fが春日部区に転属。
1月23日 8155F+8555F七光台区転属(5177F廃車)
2月 7日 81117F修繕完了
この日羽生駅の構内配線変更に伴うダイヤ小改正が行われました。
今でこそ2面4線の羽生駅ですが、当時は昔の本線春日部みたいに上り線は1面1線でホームの無い退避線が
配線され、下りホームだけ2面2線となっていました。貨物運転の整理から川俣駅のスリム化に伴う退避機能
の代替が羽生駅に集約される為の動きでした。
3月11日 8131F+8542F七光台区転属(5178F廃車)
3月18日 81111F修繕完了
3月19日 本線において南栗橋検修区が発足。春日部・館林・新栃木の各検修区は南栗橋区の支所、出張所となる。
また隣接地では西新井・杉戸工場に代わる新たな車両工場として南栗橋工場の建築が進められていました。
1986年の南栗橋誕生から18年で東武の車両拠点は南栗橋へ移っていく事となります。
3月19日 本線ダイヤ改正(営団半蔵門線直通運転開始/大師線・小泉線ワンマン運転開始)
【半蔵門線直通運転の開始】
北千住駅や日比谷線の混雑緩和救済として整備が進められていた都心直通ルートとして曳舟〜押上が開業し、
同時に水天宮前〜押上が延伸開業した営団半蔵門線との直通運転が開始されました。
当初は久喜行きの設定は無く、南栗橋・東武動物公園〜押上の運転でありラッシュ時は通勤準急が4本/h、
日中は区間準急が3本/hで内2本は東武動物公園止まりという少数運転のサブ的な存在でした。
新たに半蔵門線直通用の種別として通勤準急が誕生し、曳舟〜北千住の無停車運行列車が誕生しています。
また97年改正に誕生した区間準急も一部を除き半蔵門線直通種別となり、曳舟〜新越谷までの優等運転を行う
列車となりました。これにより北千住以北の通過運転を行う準急と、曳舟〜新越谷まで通過運転を行う区間準急
が同居し、曳舟では準急より先に区間準急が発車し、せんげん台で先に発車していた区間準急が準急を待つという
あべこべな運転が開始されました。またこれにより新越谷以北各駅停車の20m10両編成の運転という事で空気輸送
が凄かった事も思い起こされます。一方で準急は従来通り6両編成での運転となる為、昼間でも混雑が酷かったのが
残念な運転だったなという時代でした。(このあべこべな状況は2006年3月改正で一部解消されます)
【地上車関係】
半蔵門線直通運転開始により、新たな都心直通ルートが構築された事から亀戸線も運転本数削減が行われています。
そして一時期の救済的な存在として設定された業平橋止まりについては終了となり、業平橋の地平ホームは使用が停止され
ました。こちらの場所はすぐに解体が進み、将来的に東京スカイツリーの建設地となります。
業平橋止まりが無くなった事で地上車10両編成の全ては北千住止まりか北千住で4両の切り離しが行われる事となりました。
また本線地上車の最高速度が本改正で95km/hから100km/hに向上しました。100km/h出す事がほとんどないのですが…
細かい所では昭和の頃から長年設定されてきた早朝の春日部始発の準急が消滅しました。
いずれにせよ半蔵門線直通運用開始で地下鉄運用分地上車運用に余裕が出来た事で旧型車の置換を進めていきます。
半直絡みで亀戸線ではそれまで平日ラッシュ時5分間隔運転だったのが7分間隔運転に削減され1運用削減されました。
(当時は大師線は末尾D運用で、亀戸4運用にそれぞれ頭にA〜Dと振られた運用となってましたがDが消滅しています)
また本改正より8000系のワンマン運転が開始され、大師線と小泉線の東小泉〜太田のワンマン運転が開始されました。
※朝時間帯1本だけは西小泉からワンマンで直通運転がされていました。
これ以降各地でワンマン運転が拡大していきます。当時既に小川町〜寄居のワンマン運転化準備も進められていました。
【特急関係+伊勢崎線A準急の廃止】
また特急りょうもう号の東武動物公園に全列車停車が開始されました。一方で東武動物公園〜太田を通過運転していた
準急Aが廃止され、館林までの20分間隔均等運転となりました。この様に速達の面で特急を利用しやすくしたのが伺えます。
日光線特急では春日部に加え、栃木と新鹿沼に全特急を停車させる事も開始されました。
日光線急行の利用者が芳しくない事もあり急行を多客時専用の存在とし、300系を団体専用関係の運用に回す事で
6050系の運用に余裕をつくる事も狙いでした。南会津やしもつけ等、会津田島行きや東武宇都宮行きという専用運用は
かろうじて残りました。また2002年の経営悪化の事もあってかスペーシアのスチュワーデスの添乗が廃止されました。
3月23日 81108F+8567F七光台区転属
これは81113Fの修繕工事入場の為です。81113Fが春日部区に転属となりました。
3月27日 8133F+8521F七光台区転属(5179F廃車)
3月29日 8532F七光台区転属(8578F春日部区転属の為)
これにより8132F+8532Fの組成になりました。
3月31日 8153F+8501F七光台区転属
これ以降七光台区で4両+2両の組成変更が行われる事となり、
8131F+8542F → 8131F+8501F
8132F+8532F → 8132F+8533F
8133F+8521F → 8133F+8532F
8134F+8533F → 8134F+8523F
8152F+8523F → 8152F+8555F
8153F+8501F → 8153F+8542F
8155F+8555F → 8155F+8521F
と並び変えられる事となりました。末尾が合っていた編成もシャッフルされています。
5月 7日 5183Fが廃車され、5070系は5180F〜5182Fの3編成が最後まで残りました。
7月23日 81110F修繕工事の為、本線に転属。
7月29日 離脱後長年休車状態となっていた5000系・5050系の廃車が再開されました。
この頃は譲渡の話などを待っていたのか部品取りなのか休車後数年留置される事が割と当たり前でした。
8月 7日 81113F修繕完了。初のバリアフリー修繕編成の誕生。
スタンションポール取付やピクトサイン導入等8000系が更に30000系に似た進化をした所が話題になりました。
またこの編成が8000系修繕600両達成車両となり、出場時には工場内で記念HMが掲出されました。
9月30日 東武鉄道で最後まで残った貨物運用が終了となりました。
最後まで残ったED5060/5080の4両は一部2両が三岐鉄道に譲渡されましたが処遇の決まらない機関車はしばらく
北館林に留置される事となりました。
なお同日で館林機関区が廃止され、2004年館林作業所として津覇車輛工業の作業場となります。
10月 2日 81114F修繕完了
修繕完了により本線に配置となりましたが、これの代替として番号が似ている(?)8114Fが森林公園区に転属し、
七光台区には81109F+8558Fが転属してきました。3角トレードですね。
11月 1日 8000系就役40周年と10000系就役20周年を記念して記念HMが2週間程度掲出されました。
10年後にもこれやって欲しかったのですが、8111Fで行うイベントだけだったのが残念でした。
11月14日 81112Fが春日部区から森林公園区に転属しました。次年に森林公園区でワンマン改造を受けます。
代わりに本線に8143Fが転属してきました。
12月 9日 81110F修繕完了
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▲8101F40周年記念HM
本線・東上線・野田線で初期編成に掲出されましたが当時興味が無かったので少しだけしか撮影してません。それでもここから全てが始まった様なものでこのHMがなかったらこのサイトは無かったでしょう。

▲HMデザイン拡大
沿線で撮影したかったですね。当時カメラの腕が小学生並なのでまともな記録は出来なかったでしょうが(汗)

▲8501Fら本線の8000系が野田線へ
8501F他本線の4+2両が5070系置き換えの為に次々野田線へ活躍の場を移します。

▲10両編成準急北千住行き
2003年改正で10両編成の業平橋行きがなくなりました。
この頃にファンになったばかりだったので30000系の地上運用と業平橋行きが撮影したくてしょうがなかったのを思い出します(笑)

▲30000系の幅広LEDの本領発揮
半蔵門線直通が開始され、従来の2倍の大きさのLED表示器の本領発揮です。しかしこれもわずか数年で数を減らしていく事になろうとは…
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2004年(平成16年)東上線全通90周年記念8108Fリバイバルカラー誕生
西新井・杉戸工場閉鎖、南栗橋工場が誕生/3両固定編成改造により、ついに8000系初の廃車が発生へ

▲2004年10月30日実施された8108Fリバイバルカラーお披露目走行後の森林公園撮影会です。
2000名限定の撮影会でしたが、当日悪天候もあり更に人手は少なかった記憶です。ノンビリ撮影出来ました。
ファンになってからすぐにリバイバルカラーがされたものでこれで決定的に8000系にのめり込む様になりましたね…。

▲2004年12月25日実施された新型車両50000系お披露目走行後の森林公園撮影会です。
まだファンになったばかりで撮影会とはこんなに素晴らしいのかと実感した内容でしたが、その後20年以上経ちこれを超える撮影会に出会えていません。
車両の並べ方、光線状態、HMや幕の表示等これを超える8000系撮影会は無いと今でも感じています。それぐらい完璧な構図でした。
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<2004年度の新造車両>
50000系:51001F 1編成10両のみ
2003年末に8000系に興味を持ちだし始めた頃に東武で50000系新型車両の導入が発表されワクワクしたのを思い出します。更に東上線全通90周年や8000系40周年を祝う様に8000系のリバイバルカラーが実現しこれで一気に東武8000系好きが加速した記憶です。
2004年は野田線では5070系が全廃し8000系に統一される事になりますがこれも大盛り上がりでした。しかし3両固定編成化に伴い中間車2両の廃車が始まった年でもありました。
2月 9日 81107F修繕工事終了。初の4両編成ワンマン対応車で森林公園区へ転属。
代わりに8144Fが本線へ転属
2月26日 8137F+8522F 七光台区転属
3月11日 8525F出場。杉戸工場最終出場編成として特製HMを掲出の上試運転が実施された。
3月17日 81111F ワンマン運転に向けて森林公園区へ転属。同区でワンマン改造が実施されました。
代わりに8122Fが本線へ転属
3月24日 81120F修繕工事完了。西新井工場最終出場編成として特製HM掲出の上試運転が実施された。
同編成もワンマン改造を施された上で従前の所属地である東上線へ戻りました。
なお同編成は新型50000系を見据えた試験床材が採用されておりHM走行含め話題になりました。
3月31日 西新井工場・杉戸工場の車両検査・修繕作業等各種業務が終了し両工場とも閉鎖となりました。
4月 1日 南栗橋工場が完成、同日より業務開始となりました。
同日南栗橋検修区は南栗橋車両管理区発足に伴い改称されました。
修繕工事の作業場所は昨年廃止された旧館林機関区跡地を再利用し館林で修繕工事が実施されます。
西新井工場からの大きな変更点は広々したスペースにより10両編成の検査がまとめて行える所です。
車両保守管理統合に伴い、車両管理システムを導入し各種車両のデータの全てをデータベース化による
車両保守管理、故障集計、分析簡素化が図られる事になっています。
4月 1日 亀戸線開業100周年記念HMが掲出されました。こちらも40周年HM同様2週間程度掲出されました。
8月 5日 81109F+8558Fが七光台区から本線へ転属
代わりに8126F+8549Fが七光台区へ転属しました。
8月18日 81109F ワンマン運転に向けて森林公園区へ転属
代わりに8120Fが本線へ転属
9月14日 8570F修繕工事の為本線へ転属
代わりに8525Fが森林公園区へ転属
9月28日 8195F修繕工事入場。8000系初の廃車が発生。
8両編成から 801F,851Fの3両2編成に改造される為、中間2両(8995,8996)が廃車に。
10月19日 野田線ダイヤ改正(5070系引退8000系に統一によりスピードアップ/複線区間拡大)
東岩槻〜春日部、新鎌ヶ谷〜鎌ヶ谷が複線化され8000系統一により主要3線区で最後の
100km/h路線となりました。本線と違って野田線は東上線の様にちゃんと高速で走る様になりましたね。
東岩槻行きは消滅し、5070系3編成が引退しスピードアップにより運用増にも関わらず4運用分が
削減可能となりました。ここから8年程野田線は8000系天国となります。
10月19日 亀戸線がこの日よりワンマン運転となり、亀戸・大師両線ともワンマン運転が開始されました。
それまでの亀戸線はワンマン車と幕車が混ざって運用されていましたがこれ以降はワンマン対応車に
統一されます。
10月20日 野田線の運用減に伴い8147F+8552Fが本線へ転属。
11月 3日 50000系第1編成51001Fが落成。まさかこの顔が最初だけになろうとは…
9050系以来の東上線10両固定新車となり、久々に8000系による森林公園への牽引が行われました。
編成は8569F+8510Fが担当し、10両編成新車は恒例の4+2+4の3分割で回送されました。
11月6日に10両全ての納入が完了しこの日が正式な落成日となっています。
51002F以降は誘導障害試験が完了している事から自走になりこれが8000系による東上線新車
最後の牽引となってしまうのだろうと思われます。90000系も先に南栗橋入りでしょうし…
流石に90000系は本線で誘導障害試験後、寄居からも終電後に誘導障害試験を兼ねての自走でしょうかね…
11月10日 81119F ワンマン運転に向けて森林公園へ転属
代わりに8124Fが本線へ転属
11月29日 七光台区8134F+8523Fの中間運転台の機器が撤去され半固定編成化されました。
これは8195Fから誕生する801Fと851Fの新たな運転台に機器を流用する為の改造でした。
経営危機直後の時代なのでこういった節約が図られたと言えるでしょう。
12月13日 8138F,8517F,8520Fの合計8両が春日部支所から森林公園区へ転属。
これは8195F(8R)が801F,851Fに修繕工事と分割改造を受ける為の交換です。
同日付で801Fと851Fが本線配置になっています。
12月14日 81101F修繕工事入場。中間車2両(89101,89102)が廃車に。
ついにここから8000系廃車が開始されました。次年度も800/850型改造の中間車のみの廃車ですが2007年から本格的に編成単位の廃車が開始されていきます。
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▲さようなら杉戸工場HM(8525Fが掲出)
杉戸工場と西新井工場の閉鎖に伴い、それぞれ最終出場編成に特製HMが掲出され試運転実施されました。(100系はシール)

▲修繕工事は館林作業所に移動
西新井で行われていた修繕工事は館林作業所に移動になりました。西新井工場の作業風景も見たかったですね。

▲中間車廃車発生
8両編成を3両固定編成2本に分割する修繕工事が実施され、中間のサハ8900形が廃車される事となりました。妻面のプレートが撤去されており離脱を意味していました。
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2005年(平成17年) 800/850型誕生/女性専用車両導入/野田線流山おおたかの森駅開業

▲2005年の主役はリバイバルカラーの8108Fだったかなと。しかしなかなか東上線に行けずに全然撮影出来なかった…
添付画像は検査入場直前に実施されたギャラリートレインHMを挿し込んだ姿ですね。懐かしい…

▲2005年8月10日に実施された本線から東上線への2両固定3本の転属回送と就役したばかりの802F+852F(元81101F)の並び。
この転属は803F+853F(元8187F)の転属に合わせて実施されました。この後8510Fに牽引されブツ8編成で森林公園へ回送されています。
※鉄道写真撮影ド素人ゆえに準急伊勢崎の貴重な表示を撮影する気ゼロだったのが悲しい…
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<2005年度の新造車両>
50000系:51002F(東上線) 1編成10両
50050系:51051F,51052F(本線)2編成20両
2005年自体は大きな動きは無かったですが、東上線では3月17日ダイヤ改正が実施され野田線ではTX開業に伴い8月24日に接続駅・流山おおたかの森駅が誕生しました。本線では来る2006年に大規模な白紙ダイヤ改正が待ち構えておりそれに伴う準備の1年と言えました。前年から開始された東上線の8両固定編成の3両固定編成×2本改造が5回計10編成分行われ、新たに3桁の800/850型が誕生しました。2005年夏頃に801F+851Fが運用を開始しました。
1月28日 851F(旧8195F 8296-8396-8496)の修繕完了
8000系初の前パン車両が誕生しました。
2月28日 801F(旧8195F 8195-8295-8395)の修繕完了
3月17日 東上線ダイヤ改正
<50000系就役・小川町〜寄居ワンマン化・武蔵嵐山行き廃止・寄居直通特急廃止>
新型50000系51001Fが東上線での運用が開始されました。期待して乗ったものの至る所においてあれ?な
仕様が目立ち、待望の新車感が一気に薄れた記憶…(日立製作所のAトレインの標準仕様が悪いんですが)
武蔵嵐山〜嵐山信号所が複線化され、朝時間帯の小川町発着が増発されましたが一方で武蔵嵐山止まりが
廃止されてしまい、数年間限定の武蔵嵐山表示の行先表示は見納めとなりました。
特急では土休日限定の池袋からの寄居直通6両編成運用が消滅しました。
ただ特急の停車駅に和光市が追加されたのは大きな改善点です。
3月23日 852F(旧81101F 82102-83102-84102)の修繕完了
3月25日 81107F,81112F,81120Fの東上線ワンマン対応改造完了
3月31日 802F(旧81101F 81101-82101-83101)の修繕完了
4月 1日 旧8187Fの3両固定編成2本改造により中間サハ2両(8987-8988)の2両が廃車。
5月 9日 本線・東上線で平日朝ラッシュ時の女性専用車両扱いが開始されました。
固定両数の車両の最後尾にはピンクステッカーを貼って識別出来たのですが
当時は10両編成でも4両や2両が先頭に来る事があり、迂闊に全編成にステッカーを貼れず、
代わりに案内係員を立たせて周知させる対応でした。現代では編成の固定化が進みほぼ全ての車両に
掲出が可能となっていますね。
6月 9日 野田線に女性専用車両が導入されました。本線・東上線と違い、外環状線の為女性専用車両の設定位置は
大宮方を優先に下り方とされましたが、柏口では下り方が乗客の集中する号車だったので当時の利用者と
しては嫌な設定が始まってしまったなぁと思った記憶。
6月 9日 旧8193Fの3両固定編成2本改造により中間サハ2両(8993-8994)の2両が廃車。
6月28日 8108Fのリバイバル運転が終了し南栗橋へ入場となりました。もっと撮影したかったなぁ…
7月 6日 新800・850型の801F+851Fのコンビで本線で運用が開始されました。
特殊運用に充当され他の8000系との連結はされず8・10両編成での運転は見れませんでした。
同日8116F(4R)+8514Fの6両が森林公園区に転属。
8月 2日 802F+852Fが本線で運用入り
8月10日 旧8187F(新803F+新853F)が森林公園区から春日部区に転属し、代わりに8528F+8543F+8547Fが森林公園区へ転属。
803F,853F修繕完了
本線暫定6両固定運用は803F+853Fまでとなり、804F,854F,805F,855Fでの本線準急運用は見れませんでした。
なおこの日付は津覇車輛を出場し南栗橋まで回送される日となっています。なので検査自体はまだ終わってません。
8月10日 TXが開業し、野田線に新駅・流山おおたかの森駅が誕生しました。
特段のダイヤ改正としての変化は無く、停車駅と時間が増えたぐらいでした。
10月 1日 旧81103Fの3両固定編成2本改造により中間サハ2両(89103-89104)の2両が廃車。
10月 2日 第1回東武ファンフェスタが開催されました。
8月10日に津覇を出場した803Fもこのファンフェスタにて検査後のピカピカの姿がお披露目されています。
10月25日 804F,854F修繕完了扱いがこの日に。(何故?)
11月 4日 本線に50050型が新製配置されて半蔵門線直通車の30000系との入れ替えが開始されていきます。
まず最初に31613F+31413Fが離脱し、わずか2年少しで地上運用に戻る事となってしまいました。
また31413Fは10000系との連結を嫌ってか4両単独で5050系の置き換えに回される事となり宇都宮線で運用されます。
11月11日 854Fが3両固定で初めて館林出張所に転属となり、これ以降改正までワンマン試運転に使用されていきます。
12月23日 2025年に全通100周年記念でぶどう色に生まれ変わる81111Fが取りざたされていますが、
20年前の2005年には8112F使用の東上線全通80周年記念号が運転されました。特製HMを付けて運転されています。
8000系の60年の歴史も長いですが20年もあっという間ですね…
東上線から8両固定編成が40両本線に行き800/850型に改造され、これの代替としては本線から8000系のトレードと50000系2編成で賄った感じでした。
本線側では2006年年明けから5050系の置き換えが加速していきますが、50050系投入による30000系の地上運用復帰で対応していく事となります。
2006年3月改正で半直が増えるのですが、あんまり所要本数を増やしている様に見えないでやっているのが不思議な感じですね。実は2003年半直開始時の15運用からあくまで50050系2編成を増やした17運用が東武の所有本数だったのですが予備が3運用だったので30000系20両の離脱で予備を2運用潰して予備を実質1にして何かあれば他社の車両でしのいでたって可能性もあるんだなぁと今更ながら。それほどまでに6+4の30000系の扱いは悩ましいものだったのだなと…
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▲8108Fと51001Fの並び(小川町駅)
撮影してた当時はいずれも見慣れない色ゆえに不思議な気分だったなという記憶です。

▲館林作業所出場は真っ白の姿でした。
最終的な塗装は南栗橋工場での塗装でしたが下塗りまでは津覇車輛館林作業所にて実施されました。また通常色の8000系4両と2両にサンドイッチされて回送される姿も期間限定の姿となりました。もっと撮影しておけば良かったなぁ…と今更ながら。

▲3両固定編成800/850型誕生
2005年7月〜2006年3月までの期間限定で800+850の6両編成が浅草口で運用されました。過去となってしまった赤準急含めて貴重なひと時でした。
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2006年(平成18年) 本線白紙ダイヤ改正(赤準急の消滅と半直との種別総入れ替えの実施)/日中の前照灯常時点灯開始

▲2006年3月18日改正により東武伊勢崎線お馴染みの赤い準急が姿を消しました。
改正以降は区間急行として運行され、半直の急行中心のダイヤに改正されています。
改正としては本当に良い内容だったのですが、赤準急が消えてしまったのだけは本当に寂しい限り。

▲2005年10月〜2006年3月までのわずかな期間だけ見れた803F+853Fの本線運用です。
松原団地駅(現獨協大学前駅)もUR団地が建て替えられた影響で午後は影が掛かりこの角度で撮影出来なくなってしまいました…

▲2006年6月1日以降日中時間帯の前照灯の常時点灯が開始されました。
8108Fは検査でリバイバルカラーから通常色に戻り末期の活躍となります。(次回入場は無く廃車される為…)

▲東上線に比較的多く残った未修繕8000系が本線ワンマン用として改造される事に伴い、車両調整として本線の10030型が東上線に転属となりました。
牽引方法は6両固定編成を3両+3両に分割し、8000系秩父ATS対応車2両×2編成4両で牽引する方法が取られました。
これも後々機関車牽引となってしまう為貴重な記録となりました。
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<2006年度の新造車両>
50050系:51053F〜51060F(本線)8編成80両
30000系の半直乗入れにNoを叩きつけられた影響か久々の大量増備という事で8編成80両もの50050型を新造し30000系を一気に半蔵門線直通から追い出し、地上用に再転用が進められました。(12F,11F,14F,01F,08F,02F,07F)の6両固定・4両固定がそれぞれ地上用に転用)
これにより5050系等釣り掛け電車の置き換え完了が加速する事となりました。改めて…変な時代だったなぁという所ですが2003年の半蔵門線直通運転開始、2004年の南栗橋工場の誕生により日中時間帯の10両編成運用が当たり前となった事や10両長編成の検査体制も確立された事もあり、2006年3月改正により10両編成運用中心の運用が組むこととなりました。これにより東武伊勢崎線北千住口の長編成運用化が可能となった事による急激な変化とも言えました。実際ダイヤ改正前の混雑する準急が遠距離配慮の為だけに6両で運転する事は利用者目線でも不満は感じてはいました。半蔵門線直通中心の運行体系にシフトした事は鉄道趣味者目線での面白味は減りつつも利用者目線での利便性向上にもは大きく貢献したと言えます。
2003年から開始されたワンマン運転化はどんどん加速し、大師・小泉(一部)・亀戸・東上小川町以北だった所に館林地区ローカルが加わりました。館林地区もまずは太田〜伊勢崎と佐野線・桐生線が対象となり、小泉線の館林〜西小泉は車両数の関係からツーマン据え置きになりました。それでも8000系ワンマン修繕車の追加完成を待って9月からはこの小泉線もワンマン化され5050系に続き、1800系通勤車も引退する事となっていきます。
こうして8000系以前の車両の置き換えがほぼ完了してきた結果、いよいよ次は8000系が置き換えをされる順番が回って来たという事になります。

▲8579Fの修繕工事が完了し南栗橋へ回送されるシーン。
2両固定編成修繕の最終年となり、この時修繕された編成達が末期まで残る事となりました。
画像の8579Fが8577Fと共に最後の2両固定編成となります。
搬送車は幕車ばかりしたがこの時は8191Fと8573Fにサンドイッチされいつもより豪華(?)な編成だったでしたね。
1月13日 805F(旧81103F 81103-82103-83103),855F(82104-83104-84104)修繕完了
3両固定編成全10編成が出揃う。
805F,855Fは同日付で春日部支所へ転属扱いとなる。(館林への移動はまだ)
2月18日 804Fと855Fが館林支所に転属。855F+804Fの変則組成で館林駅構内へ回送される。
3月14日 8572F修繕完了 同日付で館林支所へ転属。
3月17日 翌日のダイヤ改正に合わせ、801F,802F,803F,851F,852F,853Fの浅草口運用が終了となり、
全編成が館林支所へ転属となりました。
3月18日 本線白紙ダイヤ改正
●JR新宿からの特急列車の相互直通運転の開始(きぬがわ・日光号の誕生)
かつて日光路で覇権争いを続けてきた東武とJRが手を取り合い日光・鬼怒川輸送を活性化させるという歴史的な
出来事となりました。
これにより100系スペーシアがJR新宿まで運転される事となり、更には野田線が発着するJR大宮駅をJR線側を走行し
野田線車両と春日部以外で交換するシーンも見られる様になりました。
設備としては東北線との接続駅である栗橋駅に渡り線を設け栗橋は今に至るまで乗務員交代の為の停車という形と
なっています。
ちなみに現代ではこの栗橋渡り線が甲種輸送列車の受け渡し箇所ともなっており様々な観点から東武にとって重要な
拠点となる副作用が出ているのも面白い所。
ただ2025年現在、この相互直通運転のお先が余り明るくないのは懸念点。いつかスペーシアXも走らせテコ入れに
動くかどうか…
ちなみにこのJR直通によって100系は設計最高速度の130km/hで走る事が可能となりました。
実際130km/h飛ばす機会があるかどうかは不明ですが、100系は運転速度130km/hのJR東在来線最速区分に入っており、
東武では120km/hが限界でしたがJR直通によってその真価を発揮する機会が与えられました。
●北千住口は半蔵門線直通列車中心のダイヤに変更し、増発を実施
※日中時間帯の久喜・南栗橋での系統分断の始まり。
→従前はラッシュ時1時間4本、日中時間帯1時間3本程度だったのを全時間帯で10分間隔に増発し北千住口において輸送力
に優れる10両編成貫通の半直中心のダイヤに刷新されました。これは本当に大きな改善点です。
終日で比較すると平日で70本増、土休日で66本増となっています。
日中時間帯の運転が大きく変更され、
【従前】準急6本(伊勢崎・太田・館林・新栃木2本・南栗橋)、半直区間準急3本(東武動物公園2本・南栗橋)
【改正】半直急行6本(久喜3本・南栗橋3本)、区間準急3本(全て久喜行き)となりました。
日比谷線直通の普通は据置となっています(北越谷3本、東武動物公園3本)。
これにより久喜と南栗橋でそれぞれ以北接続列車に乗り換える必要性は増えました。また伊勢崎の場合は更に太田で
乗り換えが必要なので以北利用者に対する直通利便性は失われましたが、どっちを優先すべきかは明らかでした。
ちなみに日中時間帯は浅草〜北千住を走る列車が区間準急3本だけになってしまう為、補完として当該部折り返しの普通
が3本設定され北千住駅に引き上げ線が新設されました。久喜の大改良含め合理化の為に各所で改良が実施されています。
●乗り換えは増えたけど実はスピードアップ(所要時間短縮)を実現
浅草から館林・太田・伊勢崎までの直通は無くなりつつも最速列車で見ると6〜10分所要時間が短縮されています。
東武動物公園以北はやる気のないゆったり運転が常態化していたのでそこを改善し、接続改善も相まっての
短縮のようです。
この様にとにかく不合理が随所に多かった東武本線。この改正を機にどんどんそういう合理化が進められていきます。
●半直通勤準急・区間準急が急行・準急に変更され、地上車準急・区間準急は区間急行・区間準急に整理される。
●通勤車が急行となった事から従来の急行は特急に変更。(ただしスペーシアやりょうもうより格下扱い)
→種別の整理が図られました。準急よりも停車駅が少なく、ラッシュ時限定に運転される都合で通勤準急という
名称の変更が目的で、これを急行とし半直は急行・準急とし、曳舟〜北千住を各駅停車で運転する浅草口列車に
区間を付ける事で分かりやすくなりました。
一方で従来300・350型で運転されていた急行についてはりょうもう同様に特急に格上げする事で区別する事としましたが
これで特急がスペーシア・りょうもう・しもつけ他になりそれぞれのランクが微妙に異なる事から細かい料金体制で
区別する事となってます。要はスペーシアが一番高く、300・350型特急は一番安い設定って所です。
そもそもこの段階では停車駅自体はほとんど同じの為確かにそれで良かったのでしょう。
●日光路のオアシス列車・快速の大削減施策により悪夢の区間快速の誕生
東武史上最悪の大改悪と言われる日中時間帯の快速を区間快速化し東武動物公園以北各駅停車という悪夢の様な
列車が誕生しました。ちなみに当時は南栗橋以北の列車を1時間2本から3本にしましたという事で利便性向上です
をうたってはいるものの、運転間隔がバラバラでそこもまた微妙なのです。従来20分、40分の1時間2本でこの40分
空くとこの間に区間快速がいれば良かったのですが浅草から出発する関係でそんな調整は無理という事で
結局は20分・30分・10分という不均等感覚になっています。
栗橋利用者に配慮するなら最初から快速の停車駅に栗橋を追加すれば良かったのでは…
まぁ特急の改善を多くやってたゆえ、露骨な特急誘導と言われましたね…。仕方ないのでしょうが。
●合理化を推し進め、館林地区でワンマン運転が拡大。
伊勢崎線の伊勢崎〜太田が従来の6両編成運転から3両編成運転に大きく削減されました。
日中時間帯は3両編成でも過剰なのですが、当時のラッシュ時は6両から3両への半減という急激な変化により
結構混乱したそうです。しかしそれも過去の話で現代においては今後2両にまで削減されるかもという…
その他館林地区ローカルでは佐野線が4両から3両ワンマンに桐生線は4両から2両ワンマンに削減されこちらも
合理化が加速しています。なお先に東小泉〜太田が2両ワンマン運転化されていた小泉線の館林〜西小泉の方は
ワンマン車両数が足りない事からこの地区最後のツーマン路線として残されました。
それでも準備を整えて、半年後にはここもワンマン化され4両から2両ワンマンに削減されていきます。
4月 5日 ダイヤ改正から遅れる事約2週間。805Fがこの日に館林支所へ転属となり、回送されました。
5月30日 8576F修繕完了 同日付で館林支所へ転属。
6月 1日 この日から日中時間帯の前照灯常時点灯が開始されました。
結構衝撃だった記憶…良い事ですけどね。
6月15日 8579Fがこの日津覇車輛を出場し南栗橋へ回送されました。
この編成が最後の2両固定編成になろうとは…
6月20日 4両固定編成最後の未修繕編成となる81118Fがこの日津覇車輛に入場しました。
7月 2日 8579F修繕完了 同日付で館林支所へ転属。
7月 3日 小泉線(館林〜西小泉)1800系通勤車の運用最終日となりました。
翌4日からオール2両編成で8000系のみの運用となりました。
ワンマン運転開始まで時間があるので8556Fなどの2R-非ワンマンLED修繕車が代走する事となりました。
7月30日 8574F修繕完了 同日付で館林支所へ転属。
9月 3日 8564F修繕完了 同日付で館林支所へ転属。
8564Fが最後のアイボリー塗ドア編成の生き残りでしたがついに見納めとなりました。
現代は8111Fでアイボリーの塗ドアが見れますが、当時は8564Fだけでしか見れませんでした。
9月15日 8両固定未修繕編成の81105Fが津覇車輛に入場しました。
昨年までの800系・850系への改造ではなく、後述する81118F同様に宇都宮線ワンマン化を見据えて
4両固定編成のワンマン車2編成に分割される事になります。新たに81106Fが誕生する事となります。
9月28日 8000系ワンマン車の必要編成数が揃い、小泉線(館林〜西小泉)のワンマン運転が開始されました。
これで館林地区ローカルはワンマン8000系の2両か3両編成化されました。
10月 4日 東上線から未修繕8000系が本線ワンマン用として修繕入場するに合わせて、車両調整として本線の10030系の
森林公園区転属が開始されました。最終的に5編成30両の10030型が森林公園区に転属します。
回送方法は羽生から8000系秩父ATS対応の2両×2編成で2日に分けて3両ずつ牽引する方式が取られました。
その為転属日は6両全てが森林公園に回送された日となります。
10月 5日 11654Fが森林公園区に転属。牽引は8506F+8510Fが担当しました。
10月11日 11656Fが森林公園区に転属。牽引は8506F+8510Fが担当しました。
11月 1日 11637Fが森林公園区に転属。牽引は8505F+8510Fが担当しました。
11月 8日 11657Fが森林公園区に転属。牽引は8505F+8510Fが担当しました。
11月23日 81118F修繕完了(本線初の4両固定ワンマン車)
宇都宮線のワンマン化を見据えた存在として誕生しました。
12月 1日 11655Fが森林公園区に転属。牽引は8510F+8505Fが担当しました。
こんな感じで秩父ATS搭載の3編成で微妙に組成を変えながら牽引したのも面白いですね。
12月 8日 8189Fが津覇車輛に入場しました。4両固定2編成に分割修繕される事となります。
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▲赤準急から区間急行へ
そういえば現代に至るまで幕にアルファベット表記入れないのが硬派ですよね。アーバンパークラインの区間急行はちゃんと入れてるのに…。

▲区間準急・久喜行きの誕生。
2006年から伊勢崎線の久喜分断が開始されました。あれから20年近くが経過し将来的には特急以外完全分断もあるのかと思える程に…

▲半蔵門線直通に50050型がデビュー
当時の田園都市線は各駅停車の種別表示をしない為、50050型は急行じゃないとご覧の様に変な片寄表示となってました。本当に何故こんな変な表示方法にしたのか理解に苦しみますが、現代では種別行先一体の大型フルカラーLEDに交換され見やすい表示に生まれ変わってくれています。

▲通勤準急はわずか3年でお役御免に
通勤準急という種別自体は本線最速種別なので本当はもっと重宝して欲しい種別でしたが、2003年〜2006年までは赤準急中心のダイヤが残った関係で朝・夜限定の半直種別となってました。06年3月大改正で赤準急に代わる通勤輸送の最速種別・中心種別となり、名称も急行となりました。画像の様に改正直前に南栗橋の車庫でこの様な表示をしてくれていましたが、通常運行で50050型が通勤準急表示をする機会は訪れませんでした。

▲JR直通開始によりJR485系と東武日光駅で並ぶ
東武側は100系で良かったですが、JR側としては車両がいない中で既存車両をなるべくハイグレードに改造する事で対応する事となりました。東武100系のシートピッチがグリーン車並みに広い事から写真の485系もそれに合わせた改造がされています。その為、定員が改造前380名が319名まで減っています。今では考えられませんがまだまだJRも国鉄型車両を再利用しないと回らない時代だったのです。

▲直通予備として189系改造編成もいました。
旧彩野編成の189系改造車です。繁忙期の予備扱いとなっているのは485系と違いグレードアップ改造はされずにリニューアルのみでシートピッチ拡大等はされませんでした。

▲189系と485系に挟まれる8000系
8000系は繁忙期の臨時快速として日光まで運転されていました。JR日光駅がすぐ隣にあるのに東武日光駅にJR特急車両が2編成停車する姿…圧巻ですね。懐かしい思い出です。
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2007年(平成19年) 本線8000系10両運転の終焉。ワンマン対応化により勢力拡大しつつ、徐々に勢力縮小と廃車開始への序章

▲2007年GW明け平日から本線北千住口の8000系8・10両運用が終了となりました。
50050型投入で地上運用に転用された30000系が増えてきたタイミングで8000系との入れ替えとなりました。
特にそれまで宇都宮線に30000系や10030型4連が運用されていたものが全て8000系に置き換わっています。
結局区間急行の8000系10両運転はわずか1年1か月程度で見納めとなりました。

▲最後の8500型となる8577Fですが、この年も恒例の大師線お正月輸送で活躍していました。
この時は何故か⇔表示を出してくれましたね。2004年までは亀戸線で当たり前な表示でしたが、大師線では2003年のワンマン開始以来の復活?
何にせよ良い物が見れたって感じでした。

▲最後の8両固定編成未修繕編成となった81115F。
一時期は私鉄最大のインフレナンバーと言われたサハ89116はこの修繕でクハ81116に生まれ変わりました。
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<2007年度の新造車両>
50070系:51071F〜51074F
50090系:51091F〜51094F(全て東上線)8編成80両
本線への50050系投入がここで一旦止まり、選択と集中という事で2007年度は東上線側に8編成80両が投入となります。
東上線では2008年度にとうとう本来の直通先である地下鉄13号線(副都心線)への直通を控え直通増発用の50070型4編成に加え、夕ラッシュ時にクロスシート、朝ラッシュ時・日中時間帯はロングシートで運用可能なL/Cシート対応車50090型を4編成増備する事となりました。
更には宇都宮線と越生線のワンマン運転化を行う上で東上線に残った8両固定編成の未修繕車を優先に(81105F,81115F)修繕工事によって4両固定編成2本に分割改造を行ったり、足りない分は既に8両固定編成で既に修繕工事を終えていた編成の中から比較的新しい番号の編成から選び(8183F,8197F,8199F※8185Fが候補から外れた理由は不明)同じく4両固定編成に分割改造を行う為の代替も兼ねていました。
いよいよ8000系の修繕工事に終わりが見えてきた為、10000系列のリニューアル開始も控えている訳ですがまずは9000系のリニューアルから開始されました。これは、50070型増備同様に副都市線直通に向けての各種改造となります。
1月31日 修繕が完了した81118Fが春日部区から新栃木区へ転属。
2月5日から宇都宮線用として運用を介しました。
2月27日 春日部区の8575Fが七光台区に回送されました。
福知山脱線事故後の省令改正によりEB装置やデッドマン装置の設置が義務化される等改良が必要になり、
既存車の改造前に既に対応してたワンマン対応の8000系が回送され訓練に使われた模様。
3月10日 野田線ダイヤ改正<単線区間の部分複線化や高速分岐器への改良等を実施全線10分間隔運転へ>
この改正により運河〜春日部の単線区間のテコ入れが行われ柏〜運河・清水公園と大宮〜岩槻・春日部
の区間運転を減らし柏〜大宮全線において10分間隔運転を行う様になりました。
梅郷駅運河方分岐器改良と安全側線設置、七光台駅清水公園方の分岐器改良と安全側線設置、
川間駅構内分岐の改良(高速化)、南桜井駅構内拡大による部分複線化と利根川橋梁前に高速分岐器の設置で
単線区間でも上下10分間隔運転を実現する事となりました。(何だかんだ南桜井付近でよく詰まりますが)
個人的には愛宕と藤の牛島も交換時の25km/h制限(警戒信号)も無くして欲しかったですがこれは現代に至るまで
そのままとなってます。
一番の変化点は昭和の時代から長年存在した清水公園行きがこの改正で消滅した事です。
その後急行幕が誕生しても清水公園幕だけは何故か生き残り続けていますが使う計画は全くありません。
この様に全体的な設備改良とも言えますので朝ラッシュ時の時間短縮等にも貢献はしています。
4月16日 81105Fを4両固定2編成に分割して誕生した新81106Fが修繕完了。
4月26日 新81105F(8R→4R)の修繕が完了。このタイミングで森林公園区から新栃木区へ転属。
5月21日 8189Fを4両固定2編成に分割して誕生した新8190Fが修繕完了。
5月 3日 8000系4R車の新栃木転属が開始。これにより宇都宮線運用に固定されていた30000系4Rと10030型4Rとトレードとなり、
ステンレス車が春日部区に転属し本線運用に復帰する事となります。
この転属劇により本線長編成運用をステンレス車(30000・10000型)で統一するのが目的というもの。
まず第一陣としてこの日8117Fと11436Fの入れ替えが実施。
5月 4日 8147Fが新栃木区へ31408Fが春日部区へ転属。
5月 5日 86年度修繕車の8130Fが新栃木区へ31414Fが春日部区へ転属。
5月 6日 8122Fが新栃木区へ31413Fが春日部区へ転属。
なおステンレス車は全編成転属とならず11201F+11202Fの変則4両のみは新栃木区に残る事となりました。
5月 7日 GW明けの平日より北千住口増結運用から8000系が撤退。今後は6両固定運用のみとなる。
いずれにせよこの増結運用消滅により運用に大分余裕は出来たのではないかと思われます。
6月19日 8190Fが森林公園区から新栃木区へ正式に転属扱い。
6月20日 8119F+8558Fが春日部区から七光台区に転属となりました。
前述の通り運用減で余裕が出来たからと思われますが、省令対応工事に伴う予備対応と思われます。
7月 6日 8191Fが春日部区から七光台区に転属となりました。
これは81108F+8567Fの81108Fがワンマン運転対応改造を受ける為の代替として選ばれました。
7月 7日 81108Fが春日部区へ転属しました。その後ちょっと本線で運用して?から館林津覇へ入場しています。
7月13日 新8189F(8R→4R)の修繕完了。
7月30日 8189Fが新栃木区配置へ。
8月 2日 8134F+8523Fが結構な車両故障(トラブル)を起こし運用を離脱しました。
結局復帰する事なく、翌年の編成廃車第一号につながる事に…
8月 6日 前述した編成の故障離脱に加え、更には1編成が検査入場中という事で応援として本線から8122F+8516Fの
若番編成コンビが急遽野田線で運用入りする事となりました。
急遽の野田線運用という事で中間部分は本線幕のまま運用され、1か月程度の活躍でした。
8月24日 81115Fを4両固定2編成に分割して誕生した新81116Fが修繕完了。(8月19日転属扱い)
9月28日 新81115F(8R→4R)の修繕完了。(10月25日転属扱い)
10月23日 8143F+8509Fが春日部区から七光台区に転属となりました。
恐らくは…8134F+8523Fが再起不能という事で正式に転属という形になったものと推測。
今度は正式な転属として完全に幕を抜いた状態で回送されました。
10月31日 宇都宮線で8000系4Rワンマン車によるワンマン運転が開始されました。
これで短編成区間でワンマン化が残るは越生線のみとなりました。
※将来的に館林〜太田もワンマン運転区間になりますがそれは後程。
また新栃木以北や鬼怒川線は6050型の置き換え、20400型誕生まで待つ事となります。
11月 1日 8122Fと8147Fが春日部区から森林公園区に転属となりました。
11月 2日 8183F(8R修繕済)が津覇車輛に入場しました。
これは2008年6月改正より越生線でのワンマン運転の為に8両固定修繕済の編成を
2回目の修繕工事により4両固定編成2本に分割ワンマン改造するものでした。
12月13日 8197F(8R修繕済)が津覇車輛に入場。
12月21日 修繕済だった81108Fのワンマン改造が完了。今後は宇都宮線ワンマン運用へ。
既にワンマン運転は開始されていましたが検査等予備として81108Fが選ばれた様です。
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▲清水公園行きの見納め
野田線で4字行先と言えば清水公園だけでしたね…

▲8509Fの種別幕が黒に
8104Fや急遽運用された8516Fでは種別部白幕で対応していましたが、8509Fだけは何故か更新顔と同じ黒幕に…
この編成だけの唯一の姿が誕生しました。
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2008年(平成20年) 8000系編成単位での廃車開始/8000系修繕工事完了

▲2008年は8000系の編成単位での廃車が開始され、修繕工事が完了した年となります。
その中で残念ながら8571F,8578F,8580Fの3編成6両だけ修繕されずにかつ最初に廃車回送された編成となりました。
2000年に8171Fで修繕工事500両突破、2003年に81113Fで同600両突破し、その後696両まで来ましたがここで完了となり、
700両突破まで4両届かずでした。この未修繕の6両の廃車はそういう意味でも残念な出来事でした。

▲ED5063、ED5083と共に留置される8000系廃車編成達。
未修繕に加え、86年度修繕編成の廃車が複数発生しています。

▲8000系の廃車解体が開始されています。

▲2008年6月14日改正で特急種別が廃止されました。
改正直前に昨年末に本線から転属してきた8122Fで記録出来ました。
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<2008年度の新造車両>
50050系:51061F〜51065F
50070系:51075F
2008年度は50070型が1編成追加増備され、50050型の増備が再開されています。
特筆されるのは車体形式の違いで、50090型で固定窓を止めて開閉式窓を採用したのですが51075Fは従来通り固定窓のままではあったのですがJR東日本209系で緊急停電時の換気不良による体調不良者(救急搬送されれば負傷者)を多く出す鉄道人身傷害事故が発生してしまった事から省令が改正され、換気機能について強化され、従来50000系列に固定窓の弱点を補う為に設置されていた換気設備の存在関係無しに窓の開閉可能面積を拡大する対応がされています。これは今後既存車両にも派生する事となりました。
1月15日 81108Fが新栃木区へ正式に転属しました。
1月19日より宇都宮線でのワンマン運転を開始しています。
1月27日 春日部区より8578F+8571F+8580Fの最後まで未修繕で残った2R3編成が七光台区へ回送されました。
これは自身達も修繕される事なく廃車される為でもありますが、
前年8月に致命的な故障を起こした8134F+8523Fの廃車が確定し牽引する為に選ばれました。
この為、この3編成は七光台検修区に転属という形となっています。
1月29日 8184F(旧8183Fの分割改造編成)の2回目修繕工事が完了。
1月29日 29日の終電後(30日深夜)8134F+8578F+8571Fという組成で廃車回送が実施されました。
8134F+8523Fをまとめて回送ではなく、故障編成を8578F+8571Fで牽引するという形です。
ついに8000系初の編成単位での廃車が開始されました。
また696両まで来ていた8000系修繕工事も完全終了となり、700両達成記念は実現する事がなくなりました…
1月30日 30日の終電後(31日深夜)8523F+8580Fの組成で廃車回送が実施されました。
故障した8523Fを8580Fが牽引するという形です。半固定改造されていた為、8523には尾灯がなく変則的な形で
簡易改造されて回送されたのが印象的でした。
2月22日 8183F(8R→4R改造)の2回目修繕工事が完了。
3月17日 森林公園区でリバイバルカラー編成としても活躍した8108F(6R・丸目)と2両固定の8517Fの8両が廃車回送されました。
3月21日 森林公園区の8504Fが七光台区へ回送されました。転属の場合幕が抜き取られますが、幕が入ったままの回送でした。
3月22日 22日の終電後(23日深夜)に8115F+8504Fが廃車回送されました。
8115Fも8134F+8523F同様に2007年12月頃に車両故障で運用離脱していたようです。
3月23日 森林公園検修区にて、50090型の新ライナー愛称記念決定イベント(撮影会)が開催されました。
新たに分割改造されたばかりの8184Fなども運転台体験車両に使われています。
3月27日 8197F(8R)が2回目の修繕工事により8197F(4R)・8198F(4R)に分割改造が完了。
3月31日 8199F(8R)が2回目の修繕工事により8199F(4R)・81100F(4R)に分割改造が完了。
個人的にキリが良いので81100Fが誕生したのがちょっと嬉しかった記憶…
これにて21年間続いた8000系の修繕工事が完了を迎えました。
2008年度からは次代10000系列のリニューアル工事に移行していきます。
5月13日 10000系2両固定編成の11201Fと11202Fが森林公園区へ転属となりました。
羽生からの牽引は8506F+8505Fが行っています。
これは6月改正で東上線池袋口が全運用10両編成に増結される事から11801Fと11802Fの増結編成が必要だった為です。
いずれにせよこの増結運用消滅により運用に大分余裕は出来たのではないかと思われます。
6月14日 東上線ダイヤ改正<副都心線への相互直通運転の開始・特急の廃止、快速急行の誕生・TJライナー誕生>
本改正の大きな目玉は地下鉄副都心線の開業により池袋〜渋谷に新たな地下鉄路線が誕生した事で中途半端な存在だった
有楽町新線・新線池袋から副都心線・池袋駅となり副都心線も千川・要町ホームが使用開始されています。
当然東武東上線・西武池袋線からの相互直通運転も開始され、これにより東上線・池袋線は有楽町線・副都心線の2路線に
直通する事で利便性が大きく向上する事となりました。
一方で東武東上線からしたら和光市から更に地下に乗客が流出してしまうピンチともなる為、大きく地上部のテコ入れが
行われましたがやはり目玉は夜ラッシュ時に運転されるTJライナーでした。
その後現代に至るまで様々な私鉄のライナーが誕生する訳ですが、TJライナー程成功した例は無いのではという程です。
その要因としてTJライナーは単純にライナーとしてだけでなく様々な面で効率の良い存在となっている所が
更に評価される点です。それはL/C座席とする事で全ての時間帯に使える事にした点だけではありません。
池袋から当時では300円で着席、速達ライナーに座れる利点もありましたが、ふじみ野から先はライナー券不要で誰でも
着席可能な事から川越駅から乗車する以北の利用者にも優しく、またTJライナーの送り込みを新たに誕生した快速急行と
する事で上りの夕ラッシュ時の速達列車に乗車券だけで乗れるという事から恩恵を受ける乗客が直接ライナー料金を
支払わない人まで含め広範囲に渡ります。ここが最も見事に感じる所でした。
その他に朝ラッシュ時に通勤急行を一部急行にし始める等速達化を図る様になりました。
これは朝ラッシュ時の池袋口本数が最大27本/hから24本/hまで減らした事で実現可能となっています。
本改正で特急が消滅し、快速急行が新設されています。快速急行は特急停車駅に志木が追加されました。
ただ本改正から微妙になっていく点も出ています。それが94年改正で池袋口の日中時間帯が美しいパターンダイヤと
なっていたのが崩壊した点です。今回改正より日中時間帯の時間辺り急行4本準急4本から急行5本準急3本に変更されました。
これは川越市以北を考えると大きな改善点に感じるですが、従来の美しいパターンダイヤは失われ不均等で偏るダイヤ
となってしまいました。
ふじみ野駅での緩急接続も無くなり、志木から川越市の各駅停車は従来の8本/hから7本/hに減っています。(準急が減った分)
この流れはこれ以降現代に至るまで続き、副都心線の直通により新たな需要が出た事は基本プラスですが、地下鉄への流出
対策として東武東上線はひたすら運転形態の試行錯誤を続けていく様になり最早抜け出せない沼という印象も受けます…
他にプラスの点として評価されるのは池袋口が副都心線直通を除き全列車10両編成での運転となった事です。
これは本当に地味にと言うか凄い事だと思います。私鉄で東急田園都市線以外オール10両編成なんて路線は東武東上線ぐらい
しかありません。そんなに各駅停車の利用が多い路線ではないので朝ラッシュ時以外に10両である必要はないのですが、
この場合特定の運用をつくらないという運用面の合理化を最優先したと考えられます。
この改正により越生線のワンマン化も完了した事から運用整理が大幅に行われ、8000系幕車の転属・廃車が進みます。
8月 6日 森林公園区8121F+8544Fが七光台区へ転属しました。
8月 8日 春日部区の8127F(4R・丸目)が廃車回送されました。
8月19日 森林公園区8147F+8537Fが春日部区へ転属しました。
9月 1日 8108Fは廃車されましたが、8111Fが無事検査を通過しました。
今も元気に活躍する8111Fですが、本当に8000系の生存は巡り合わせだなと感じます。
10月 8日 森林公園区8114F(6R)+8502Fが廃車回送されました。
11月 1日 この日より乗務員さん駅員さんの制服が現代の紺色のものに刷新されました。
11月11日 森林公園区8513F+8512F+8514Fの3編成が廃車回送されました。
11月28日 森林公園区8510F+8531F+8525Fの3編成が廃車回送されました。
秩父ATS対応3編成の内の1編成である8510Fも廃車回送されています。
これで秩父ATS対応編成は8505Fと8506Fの2編成となりました。
12月10日 森林公園区8536F+8511F+8534Fの3編成が廃車回送されました。
運用整理、越生線ワンマン化により森林公園区の2両固定編成の活躍の場が減り廃車が続きます。
七光台区では2編成(3編成)12両が廃車され春日部区は8571F・78F・80Fの未修繕3編成6両と8127F4両の廃車のみと本線側はそこまで廃車されていませんが、森林公園区では2両固定編成が11編成22両、6両固定2編成12両と34両も廃車されています。
という事で全体では56両の廃車となっています。この廃車の流れは2009年年明け以降も止まらず当たり前の光景が少しずつ失われていきます。
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▲81100F誕生
越生線ワンマン化の為に修繕済の8両固定編成を4両固定編成を2本に分割改造する2回目の修繕工事が実施されました。これにより81100F等従来はいない編成番号が誕生しました。

▲10000系リニューアル開始
21年に及ぶ8000系の修繕工事が完了し、2008年から10000系列のリニューアルに移行していきます。

▲東上線で特急が廃止され快速急行が誕生
快速急行は今では青幕ですが、当初は緑色でした。
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以上8000系の60年歴史中編としてをざっくり振り返ってみました。残る15年として後編の編集を急ぎ行っていかないと…
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