東武8000系紹介 | ||
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![]() ↑大手私鉄・東武鉄道のほぼ全ての路線で走行している8000系電車。 ![]() ↑就役当時はこんな姿でした。 (※これは8000系旧塗装のリバイバル列車で、実際とは一部異なります。) 東京の都心部から埼玉・千葉や北関東一円に広がる広大な路線網を持つ東武鉄道。その東武鉄道の地上用としては初めての高性能通勤電車として今から40年以上も前の1963年11月より東武東上線、伊勢崎線で就役した当時の新型通勤電車、それが東武8000系です。 それまでは片開き扉に床が板張りの7300系・7800系や戦前から走るいわゆるデッカーと言われる17m級の車両達が通勤輸送の主力で、迫り来る高度経済成長期を目前に控え輸送力増強と利用者に対するイメージアップも兼ねての登場となりました。尚、8000系が就役する1年前に東武鉄道では地下鉄日比谷線との相互直通運転開始により悲願の都心乗り入れを実現しましたが、その乗り入れに対応した2000系電車が東武鉄道初の高性能通勤車両として登場しています。2000系電車は乗り入れ協定から東武では主流だった20m車体ではなく18mの車体となりましたが、両開き扉の採用によるスムーズな乗降車、オール電動車による高加減速の実現など様々な新機軸を採用した車両です。8000系は2000系で採用された面を取り入れつつ、20m車体で製造され高度経済成長期を控えていた時代に低コストで大量生産出来る車両として誕生しました。 8000系は当初、4両固定のみが製造され旧型車らに優等運用をまかせて各停運用などに入りました。当時は前述した片開きの73・78系が主に4両で運転(最長で増結による6連)されていたので、ドアが両開き・4扉20m車の8000系投入によるラッシュ時の効果は大きく、更に8000系投入で旧型車による6両運転運用も増やせました。 次年度からは8000系でも6両運転を行えるように2両固定編成(通称:8500系)が製造されました。また2両固定はその身軽さから支線でも使われ始め次第に勢力を拡大してゆきます。昭和47年からは6両固定編成、昭和52年からは8両固定編成(東上線専用)など長編成化にも対応してゆき最終的には2・4・6・8両固定が製造される事になります。 高度経済成長の時代の影響で沿線の利用者が激増し、その輸送に対応したダイヤ改正を何度も行います。ダイヤ改正が行われる度に8000系が増備され、8000系の増備にあわせてダイヤ改正が行われるといった状況です。 8000系は当初は非冷房で製造されましたが、時代のニーズに合わせて昭和47年6月から冷房付の編成が登場し、それと並行して非冷房車の冷房化改造も順次行い、昭和後期には冷房車が主流となりました。このように様々なマイナーチェンジや改良を経て20年間で総数183編成・712両が製造され、私鉄の1形式ではダントツのトップとなりました(鉄道全体で見ると3500両近く製造された103系がトップとなっております)。 ![]() ↑8000系未修繕の車内。就役当時から見るとシートモケットの色など変更点もあります。 8000系の車体は、鋼製ながら当時ではかなり軽量化されており1世代前の78系よりも1両で4〜5tも軽量化されています。当時登場した鋼製車両の中では最も軽い車両としても謳われました。その後前述した78系も東武鉄道が得意とする車体乗せ代えによる更新工事工事が行われ5000系列として生まれ変わりました(既に全車廃車)。その5000系列は8000系と同じ車体を採用しぱっと見ただけでは見分けが付きにくかったです。保守作業の統一化もありますが、その車体の完成度の高さが伺えます。また78系の更新に先駆けては、17m級で戦前から活躍する旧型車両(当時はデッカーと呼ばれていました)であった32系や54系?(ここら辺がちょっと曖昧なのはお許しを・・・)などにも同じ様な車体乗せ代えによる更新工事を行っています。この時に採用された車体はやはり8000系と同一のものでした。ただしこれらは車体長が18m級だったので既に18m級では2000系が登場していたのでこれの車体を採用しつつ、前面は8000系と同じものを採用した車体となり3000系列として長年活躍してきました(既に全車廃車)。この様に一時期は全く同じ顔、同じスタイルの電車が広大な東武線上を走っていたと言う事になります。東武8000系の原型顔が今も“東武顔”と呼ばれている由来でしょう。 長期に渡って活躍している8000系ですが電車で一番目につく車体の塗装も2度変わっています。最初はインターナショナルオレンジとロイヤルベージュのツートーンカラー(一番上から2つ目の画像参照)でしたが、増備される過程で塗装費用などを抑える意味でセージクリーム1色の塗装が採用されました。昭和49年増備の車両からはこの色で登場し、既存のツートンカラーの車両も全てこの色に塗装されました。 ![]() ↑経営の苦しい時代に塗装工程の短縮化などの省力対策で誕生したカラー。 ※シュガートレイン様の撮影・ご提供です。無断転載はご遠慮下さいませ。 また増備も終了した1985年後半頃からはイメージアップの意味を込めて現在のジャスミンホワイト下地にロイヤルブルーとリフレッシュブルーのラインの入った塗装に塗り替えられました。現在では全編成がこの塗装となっています。 ![]() ↑現在は皆様周知のこの塗装になっています。 8000系は車体がかなり軽量化されたため、客が大勢いる満車時と昼間の閑散時では荷重の違いによる床面の高さの差が顕著だったため、当時の通勤車両としては異例とも言える空気バネ付きドイツミンデン台車が採用されました。現在でも昭和に製造された8000系の乗り心地が良いといわれる大きな要因と言えます。 ![]() ![]() ↑上が標準ミンデン台車・FS-356/056で下が車体直結S形ミンデン台車・FS-396/096。 更に8000系は抵抗制御ながらこれまた当時画期的であった超多段(56段)のバーニヤ制御を採用し、加速時の揺れをほとんど感じさせない究極の抵抗制御車といえました。 その他に特筆される変化と言えば1970年の8152編成からは不燃化構造(運輸省新A様式)になり、1976年度新造車からは台車が車体直結のS形ミンデン台車に変更されました(上にある写真を参照)。この台車外観がかなりすっきりしており全くの別の台車に見えますが、乗り心地に大差はありません。更にドアの内部側の塗装が省略されたため車内の印象が若干変わりました。更に床はそれまでの鋼板を張っていただけの構造から、キーストンプレートを張った構造に変わり保温効果を向上させています。1980年度新造車は、側面のドアの窓ガラス抑えの支持枠が目立たない押さえ金具式となり、1981年度〜83年度に新造された編成と1982年以降に冷房改造された編成はMGがBLMG(ブラシレス電動発電機)に変更された。この様に、長期に渡って製造されたために年度ごとに若干の違いがあり鉄道ファンからすると興味深い車両と言えるでしょう尚、20年にも渡り増備され続けた結果、車両の番号、ゆくゆくは編成自体の番号が5桁になってしまった車両が誕生する事になります。 ![]() ↑1979年に製造された8199Fの下り方4両から5桁ナンバーに突入した。 80000系ではなく、8000系の100番台と呼ぶのが一番正しいみたいです。 さらに、1986年から製造から20年以上が経っており老朽化が目立ってきた8000系にたいして大規模修繕工事が施行されました。これについてはこちらのページをご参照下さい この修繕工事は前面形状の変化もそうですが、内装や機器も更新するなど昭和中期製の8000系を出来るだけその時代の新車に近づける内容が盛り込まれています。この更新工事は東武8000系の兄弟分(?)でもあるJR103系電車の更新工事の参考にもなったようです。 ![]() ↑1987年度以降に修繕された編成は前面が大きく変化しました。 1997年度に修繕工事した編成は、更新内容が大幅に変更され行き先がLED(発光ダイオード)式になったり、前照灯がHID(高輝度放電式)ライトに変更されるなどのマイナーチェンジが行われた。更に2002年には東武鉄道初のワンマン運転対応編成が8000系の修繕車にて誕生しており、新車が増えるに連れローカル線や釣り掛け電車の置き換えの為に8000系が充てられ、首都圏の路線でありながら吊り掛け電車が多く残っていた野田線にも進出し始めました。現在では鬼怒川線を除く東武鉄道線で活躍しており、活動範囲は昔以上とも言えます。今後も東武鉄道の主力通勤車両として長い活躍が予想されます。 ![]() ↑1997年度修繕車は大幅にマイナーチェンジされた。 8000系は基本の設計段階から長期間使用する事やどの路線でも使える事を考慮し、保守に優れた使いやすい車両であった為、製造から41年間廃車がありませんでした。しかし、2004年に8両固定編成から3両固定編成を2本製造する際に不要となったサハが廃車にされ初めて8000系の廃車が発生しました。本格的な編成単位での廃車は2008年1月からでそこからは新型50000系列の投入と平行する様に廃車が進み2010年12月にはついに総数で10000系列の486両を下回りました。既に伊勢崎線浅草口からは撤退しており、現在では東上線池袋口の8000系の置き換えが進んでいます。 8000系は編成数の多さからインフレナンバー(80000代)が誕生しましたが、館林地区のローカル路線のワンマン化の際に8000系8両固定編成を種車に東武鉄道では初?となる3両固定編成の列車が誕生しました。既に8900形まで番号が割り振られていたので、見た目は8000系ながら800系・850系という新しい形式を採用する事となりました。3桁の番号は有名な東武を代表する特急スペーシアの100系から使われていますが番号の振り方はこれらと同じ様になっており、3桁の編成番号と車両番号を表す為に−(ハイフン)が使われているのも特徴です。4桁の8000系と見比べるとインフレナンバーならぬデフレナンバーと言われファンの間で話題になりました。 ![]() ↑3両固定に改造の際、8両固定編成の中間2両のサハが廃車された。 ![]() ↑3両固定編成。形式は800/850系ですが、8000系から枝分かれした別番台と言える存在。 以上、非常に簡単ですが紹介させて頂きました。今後、もっと詳しく紹介したいと考えていますが、今の所はこの辺で勘弁して下さい。なお、当サイトでは東武8000系の画像を展示したり、8000系に関する様々な話題を調べて公開しています。東武8000系に興味のある方は是非御覧いただいてほしいと思います。
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