野田線8000系の記録
東武野田線が8000系だけだった頃の記録
8000系オンリー
(2005年11月06日 七光台検修区敷地外より撮影)

【目次】
2004年の記録(10月19日ダイヤ改正にて5070系引退により8000系に統一)当ページ
2005年の記録(女性専用車の開始とTXと流山おおたかの森駅の開業) 2023年12月25日公開
2006年の記録(日中時間帯の前照灯常時点灯の開始)
2007年の記録(大宮・柏口も船橋口同様に10分間隔ダイヤになり清水公園行が廃止)
2008年の記録(8000系編成単位での廃車が開始される)
2009年の記録(81113F他バリアフリー修繕車が転属する一方で8104Fが廃車となる)
2010年の記録(年末に8163Fが転入。他にも東上線での8000系置き換えによる転属が開始へ)
2011年の記録(東上線から若い8000系が転入し古い8000系を置き換えへ)
2012年の記録(8000系のみの最終年の記録)
2013年の記録(10030系転入、60000系新製配置へ。8000系王国の終焉)

 2004年10月19日改正〜2013年2月頃までの約8年間の野田線は臨時を除けば8000系で統一されていました。
 最近でも今でも運用自体は8000系で統一されている路線が残ってはいますが、運用数が多くはない支線という意味での話ですが、当時の野田線は6両で組成された8000系が43本分258両もいました。
 野田線に行けばいつでも8000系しか見れない…2004年10月19日改正で5070系が引退し、通常なら面白味が薄れた路線…になるのですが、自分にとってはここからが本番だったのを今でも覚えています。

 2013年に10030系、60000系と後継車両達が転属なり新製投入される様になってからは8000系も廃車が進み、今では16編成96両にまで数を減らしてはいますが、それでもまだまだその活躍を見れる印象が強いです。
 しかし2022年を迎えコロナショックによる輸送状況の大変化が起こった事により、本線側で車両運用が大きく整理されつつあります。その影響を受けてかもしかすると今年はついに8000系に動きがあるんじゃないか?と思い野田線の8000系を振り返る企画を開始していこうと思いました。

 8000系を可能な限り全力で追いかけていた時代ゆえ、8000系しかいないといいつつもいろんな小ネタを撮影してましたのでそこら辺も交え紹介しながら、野田線がアーバンパークラインと言われる様になるまでの8000系の活躍を振り返ります。

いろいろあった
8000系だけじゃつまらないと思いきやいろいろあったんです。後で振り返るとあぁこんなのあったな的な。

<2004年10月19日改正により5070系引退、8000系に統一までの動き>

パスネットとHM
 新鎌ヶ谷〜鎌ヶ谷と東岩槻〜春日部の複線化と8000系統一によるスピードアップで野田線が便利になったのが当改正でした。
 パスネットにわざわざ汚い8118Fを載せてしまう辺りがThe東武鉄道らしいところなのですが、改正告知HMは全編成に掲出するなど今思えば凄い事やってたんだなと思います。全編成ってのが気合入ってましたね。引退する5070系に至ってはサボを挿してましたからね…鉄道マニアになってすぐだったので当時ではこれが当たり前だと思ってしまってました(汗)。
 当改正前まで8000系6両組成44編成分(内6両固定33編成、4+2が11編成分)と5070系6両固定3編成の計47編成分282両が七光台区に在籍していました。
 うち81109F+8558Fが転出に伴い春日部区から8126F+8549Fのペアがやってきたのが2004年8月頃です。これは修繕工事を受けて2年しか経たない81109Fが2005年改正で東上線末端部でのワンマン運転開始に伴いワンマン改造を受ける為の入れ替えでした。
 更にその前では2004年2月には8137F+8522Fが転属しています。これは5070系の置き換えの為だと思われますが、七光台区では一時5070系や8000系の6両固定が大半を占めていたのですがこの頃は8000系の4+2による6両編成が増えていた時代でした。
 個人的には8549Fは2004年に亀戸線開業100周年HMを掲出していた編成だったり、8522Fは浅草駅で撮影していた編成だったので野田線にやってきたのには驚いたものです。当時は同じ8000系でも本線と野田線では格が違うという印象が強かったからです。子供らしい考えたですが…(苦笑)

 そしてこの改正により5070系5180F〜5182Fの3編成が廃車されましたが、8000系の増備の必要はありませんでした。全線スピードアップ(最高速度90km/h→100km/h)により運用効率が上がり必要編成数が減った為です。それどころか運用に相当余裕が出来たのか当時在籍していた8000系からも8147F+8552Fがダイヤ改正直後に春日部区に転属となっています。
 という感じで8000系6両組成43編成による体制となったのです。

8549Fの転属前後
 8126Fは撮影出来てないので8549Fの転属前後の状況について。
 8549Fは2004年4月に亀戸線で8547Fらと共に亀戸線開業100周年のHMを掲出して活躍していたので凄い印象に残ってる編成でした。
(2004年04月07日 亀戸線小村井〜東あずまにて撮影/2004年09月10日 野田線初石〜豊四季にて撮影)

8522Fの転属前後
 2004年2月頃に8137Fと8522Fの6両が七光台区へ転属してきました。8137Fは館林検修区に10年以上所属し直接七光台に転属となりました。この頃はちょうど春日部検修区から南栗橋検修区と呼ばれる様になり機能移転が進んでいた時代で直後に春日部区含め南栗橋車両管理区となり館林区も検修区から出張所と呼ばれる様になっていました。
 8137Fも8126F同様に撮影出来てないので8522Fの転属前後の状況をご紹介。やはり浅草で準急東武日光行きとして撮影していたので印象に残る編成でした。
(2004年01月17日 伊勢崎線浅草駅にて撮影/2004年08月15日 野田線藤の牛島〜南桜井にて撮影)

8147Fの転属前後
 10月19日改正により運用数が減ったので8147F+8552Fの6両が春日部区に転属となりました。
 8552FについてはLED修繕されていましたが、種別側のLEDが東上線仕様の物が使われていて話題になった編成ですね。
 8147Fについてはその後宇都宮線に行ったり東上線に行ったりと廃車までいろいろと動き回った印象が強いです。
(2004年10月10日 野田線北大宮〜大宮公園にて撮影/2004年12月15日 伊勢崎線越谷駅にて撮影)

 という感じで車両移動の紹介が終わった所で2004年10月19日改正後の野田線画像を紹介していきます。
 5070系は割愛します。そんな撮影していないですし…。
鎌ヶ谷複線化
 ダイヤ改正により新鎌ヶ谷〜鎌ヶ谷間が複線化となりました。ポイント撤去後の作業を昼間もやってたのを思い出します。
(2004年09月05日 鎌ヶ谷駅にて撮影/2004年10月27日 鎌ヶ谷駅にて撮影)

8523F
 ダイヤ改正後最初に撮影したのが、豊春〜八木崎でここも新たに複線になった区間でした。
 この当時凄い気になっている編成がいました。8523Fです(ペアは8134F)
 奇しくも3年数か月後に東武8000系初の廃車と関連してしまう同編成達でしたね…
 何が気になるって、とにかく 汚 か っ た です。種別幕もくたびれ具合に釣られてかズレて赤地が見えているし…
(2004年10月21日 豊春〜八木崎にて撮影)

8523Fが汚いころ
 最初に8523Fが気になったのは運河駅で折り返し運用についてるこの編成を見かけた時ですね。
 こんな汚い車両で良いのか…?と感じ始めていたなぁと。パスネットの8118Fもそうですが東武電車は…汚い。これは申し訳ないが他社と比較すると明らかなんですよね… 最近はどうなんでしょ?
(2004年09月23日 運河駅にて撮影)

検査明けはキレイ
 汚いイメージが強過ぎた結果、相対的に検査明けの車両の美しさが半端なかった印象が強かったです。
 いかにキレイな内に記録に収めるかを重要視していた記憶も…(汗)
 ちなみに画像ですが、これは南栗橋工場での検査明けで夕方回送される8131F+8501Fです。
 この画像も強烈に印象に残っているのですが、乗務員室に4人もいて多いな!と思ったら一番後ろからも職員さんが顔を出し、当時昼間は前照灯(ヘッドライト)を点灯しないのに尾灯(テールライト)を点灯したり、何かこう…賑やかに感じました。撮影としてはヘタクソですが、過去の思い出という事で…
(2004年08月31日 日光線東武動物公園〜杉戸高野台にて撮影)

妻面塗装編成が多かった
 この頃はまだまだ妻面塗装が残る編成がチラホラ見れました。東武鉄道の旧制服も懐かしいですね。
(2004年10月27日 新船橋駅にて撮影)

8104F試運転
 たまたま柏駅で8104Fの試運転を発見。これは本当にラッキーでした。
 当時は2ちゃんねるとかでも匿名で情報のやり取りが行われていた時代ですが、8104Fも状態が悪くてその内廃車にされるんじゃないか?的な事も噂されており試運転もその一環なのか?的に考えていた時もあったかな…
 結局8104Fは2009年まで走り続ける事になるわけですが…
(2004年11月12日 柏駅にて撮影)

8104F試運転
 と言う訳で運河駅まで戻って撮影。何で運河にしたかなんですが(江戸川台でも良かった様な)…
 個人的には8104Fの試運転幕での撮影自体はこれが最後になりました。
(2004年11月12日 運河駅にて撮影)

8523F工事開始
 2004年11月20日頃?になり七光台区で8134F+8523Fで工事が開始されました。この編成達を気に掛けてたらこういう事になったので余計に印象に強く残る感じでしたね。
 25日と26日の2日間撮影してましたが、1日でこの変貌ぶりでした。
 これは800系・850系誕生に伴い、運転台の機器を転用する為の捻出工事でした。2004年にもなってもこういうギリギリなやりくりをやってたんだなぁと…
(2004年11月25日/2004年11月26日 七光台検修区敷地外より撮影)


8523F改造完了と検査
 工事完了後に程なくして検査に入りキレイな姿になりました。固定化されたので8623の幌が取り外されました。
 あの汚いのがここまでキレイになるんですから感銘すら受けるほどです…(特段特別な事をやってるわけではないのですが…)
 この衝撃の影響で検査直後の8000系を追いかけるのが日課になっていったような(汗)
(2004年12月27日 南桜井〜川間にて撮影)

8165F車体広告開始
 当時野田線の8000系では車体広告の編成も走っていました。
 最初が8167Fのルアジ―ランド流山(不動産)で次に8106Fがベルアンジュ(東武ウェディング関連会社)で、それに続く第3弾が東武動物公園車体広告でした。
 それに8165Fが選ばれたのですが、なかなかに派手な車体広告でしたね。
 これ以降もちょくちょく野田線8000系車体広告編成が登場していきますがそれは後程。
(2004年12月23日 南桜井〜川間にて撮影)

雪
 数年に一度凄い大雪に見舞われる事にある関東ですが、この年は12月29日が凄かったですね。ちなみに2日後の12月31日も大雪になりました。最近じゃなかなかこんな短いスパンで雪が積もるはないですよね…。
 当時は昼間はヘッドライトを点灯しないは上でも書きましたが、ご覧の大雪でも点灯しないんですよね。多分指令から連絡あるまで点灯しなかったんですかね…。
(2004年12月29日 梅郷駅にて撮影)

雪
 流石にここまで強くなるとヘッドライト点灯して走行します…。
(2004年12月29日 豊四季駅にて撮影)

雪
 柏で撮影した8146Fはこんな状態でした。見てるだけで寒くなります。
(2004年12月29日 柏駅にて撮影)

おおたか
 大雪の翌日に撮影した1枚です。2005年にはTX開業と流山おおたかの森駅が開業しますが、おおたかの森駅周辺の発展が凄すぎるので2005年開業当時の画像は次回いろいろと出していきたいと思います。
※上述してますが、翌日また大雪に見舞われます…31日は伊勢崎線でしか撮影してないので野田線画像は無し(汗)
(2004年12月30日 豊四季〜初石にて撮影)

 以上が2004年末までの紹介です。2004年は10月以降がメインですが次回からは1年分で攻めようと思うのでもっと多くなるか…?
 こんな感じで懐かしい野田線8000系をご紹介していきます。宜しくお願いします。ご覧頂きありがとうございました。

05年の記録はこちらから(編集中)

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